雨宮処凛がゆく!

 とうとう終わった・・・。インディーズ系メーデーが、だ。18日、大阪・長居公園の「大輪祭り」でとうとうファィナルを迎えた。今、何かやり遂げた(というかやっちまった)気持ちでいっぱいだ。こんなにも短期間で(インディーズ系メーデーは約20日間)、こんなにも沢山の同志と出会ったのは初めてだった。18日、メーデーファイナルには全国からインディーズ系メーデーの首謀者たちが集合した。なんと、広島メーデー首謀者の一人は、私のひとつ年下の公務員だった。インディーズ系メーデー実行委員の中にフリーターやニート、ひきこもりだけではなく公務員もいるとは、広がりを持ったものである。彼は職場の非常勤の人たちの問題に心を痛め、インディーズ系メーデーを立ち上げたという。

 ということで、メーデーファイナルのことを書く前に、5月4、5日の「9条世界会議」について、書こう。様々に報道されているので御存知の方も多いだろうが、この日、幕張メッセには会場に入り切れないほどの人々が集まり、数千人が会場に入れない、という事態まで起きた。私が着いた頃も既に入れない人が会場から溢れ、騒然とした雰囲気。普段「9条」とか「平和」とか言ってる人たちが「暴徒化」したらどうしようと思っていたが、その辺は大丈夫だったようだ。

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9条世界会議でイラクのカーシムさんと。

 今回私が参加したのは、「イラク、アメリカ、日本」というトークセッション。2日に渡って行われたこのトークセッションは、私にとってあまりにも刺激的だった。なんたって、メンバーが凄すぎる。イラク戦争前年、徴兵制によってイラク軍に入隊した私よりひとつ年下のカーシムさん。そして現在26歳のイラク帰還兵・エイダンさん。彼は「人生に迷っていた」頃に米軍に入隊、イラク戦争に送られるが、アブグレイブ刑務所でのイラク人虐待を目撃して良心的兵役拒否。虐待写真の数々をアメリカへ持ち帰った。私たちがニュースで目にしたアブグレイブ刑務所の写真は彼が持ち帰ったものらしい。そうしてアメリカの元陸軍大佐で、現在は反戦活動家のアン・ライトさん。これらの人々と一堂に会する機会を作ってくれたのは、高遠菜穂子さんだ。

 1日目、2日目と、いろいろな話をした。その中で印象に残っているのは、イラク帰還兵のエイダンさんの話だ。エイダンさんは虐待の写真をたくさん持ってきてくれた。アブグレイブ刑務所で虐待され、死んでしまったイラク人の死体の数々。死体の脳みそをほじくり返すスプーン。イラク人は「人間ではない」と教えられていたという米軍兵士。そんな刑務所には100人が収容される建物と、600人が収容されるテントがあり、100人収容の刑務所の方には「テロリスト」が収容されているということだった。が、彼が他の兵士に「本当にテロリストなのか?」と聞いたところ、「よくわからない」という答えが返ってきたという。よくわからないまま虐待され、殺されていくイラクの人々。

 「一体、イラク人をそんなふうに殺すのはどんな人なのか?」と私は聞いた。エイダンさんの答えに、愕然とした。18歳、19歳なども多く、高校を出てすぐに軍隊に入った人や、高校も出ていない若者も沢山いるという。アメリカでもっとも貧しく、もっとも教育を受けられない若者たちが取り込まれるのが「陸軍」で、「マクドナルドと陸軍が貧しい若者を取り合うために競争している」という。その多くは軍隊に入ることによって得られる大学の奨学金などが目当てだ。しかし、そんな若者が死体の脳みそをスプーンでほじくるようになるまでには1年かからないという。そんな経験をしたイラク帰還兵の若者たちが、現在、精神的な後遺症に苦しんでいる。そのことを彼は「貧困という名の徴兵制」と言った。

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9条世界会議でイラク帰還兵のエイダンさんと。

 ちょうど9条世界会議が行われた頃、「もやい」の湯浅さんの新刊「反貧困」を読んでいた。そこにはあまりにもアメリカの状況とシンクロするような事実が記述されていた。ネットカフェ難民やワーキングプアの若者などの生活支援をしている「もやい」に、自衛隊の募集担当者から積極的なアプローチがあるというのだ。ターゲットはもちろん、食えなくなった若者たちだ。それを読んで、ゾッとした。なんだかどこかの国と妙に似てるんですが・・・。アメリカの貧困と戦争については、堤未果さんの「貧困大国アメリカ」に詳しいので読んでほしい。

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 世界会議2日目を終えた夜、高遠さん、カーシムさん、エイダンさんたちと食事をした。99年と03年、私はイラクに行っている。03年は反戦デモをするために、そして99年はイラクの国際音楽祭に出演するために行った。その時、私が大統領宮殿に招待され、サダム・フセインの長男のウダイ・フセイン氏と会ったと言うと、カーシムさんとエイダンさんはものすごく驚いた(ちなみに証拠のツーショット写真は幻冬舎『悪の枢軸を訪ねて』に載ってます)。考えてみればすごい取り合わせだ。当時「反米愛国バンド」としてイラクでライヴし、ウダイさんと会った私と(当時私は24歳。今にも増して命知らずだった)、そのウダイさんを殺した米軍にいたエイダンさん、そしてイラク軍で米軍と戦っていたカーシムさん、そのイラクで人質となった高遠さん・・・。なんだか時空が歪むような、いつ死者が出てもおかしくないような取り合わせなのに、この4人が出会っているのがあの世でもなく、イラクの刑務所でもなく、日本の「9条世界会議」なのだ。これってなんだかすごいことだ。そしてたぶん、みんなが同じものを目指している。殺したくないとか殺されたくないとか、そういう、あまりにも単純なこと。奇跡のようなこの出会いを、大切にしたい。カーシムさんには、いつかイラクで会いたい、と伝えた。そのいつかが、本当にすぐだったらいいのに。

 そして出会いはインディーズ系メーデーファイナルでも沢山あった。18日、長居公園の「大輪祭り」で、インディーズ系メーデーのトリとして、私たちは「P8」宣言(大輪祭り版)をした。

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「大輪祭り」にて、「生きさせろ! 」「何か食わせろ!」の箱男。

 「P8」とは、「G8」にひっかけた名称で、「貧困者末端会議」。税金を使って世界の8人がよからぬことをお喋りするなら、こっちはこっちで「P8」をやるぞ、こっちが世界の中心だ、というような意味を込めた。主張は3つ。「金がない」「だけど私たちはつながりはじめた」「私たちが生きる今こそが世界の中心だ」。以下、P8宣言(大輪祭り版)からの引用だ。

 「(前略)これまで私たちは、どなられたり、無視されたり、誤解されたりする対象だった。言い返せずに黙り込んだりしてきた。自分の声なんて誰も聞いてくれないし、自分なんていなくても同じだと思ってた。

 でも今は違う。今年、私たちはお互いのことを認め合い、話せる人たちと出会うことができた。それも、ただ話すだけでなく、解決に向けて一緒にやっていける人たちと出会うことができたのだ。

 私たちは、このつながりを絶対に手放さない。このことを伝えたい人がいる。伝えたかった人がいる。

 だから、ここで叫びたい。

 もう少し生きるぞ! 何とかするぞ! 何とかならなくても、とりあえず生きるぞ!(後略)」

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同じく大輪祭り。なぜかファッションショーが開催される。

 こうして、私たちの08年のインディーズ系メーデーは幕を閉じた。全国で、たくさんのプレカリアートたちがつながり始めたことを全身にビシバシ感じながら。祭りの終盤、長居公園では、フリーターや野宿者の人々、学生、子ども、犬、難民の人、リストカッター、メンヘラーなどなどが踊り狂った。この公園では、数年前、野宿者の排除が行われた。野宿者のテントを撤去するのは日雇い派遣で雇われたフリーターだったという。貧乏人同志が傷つけ、貶めあうのを見て、ほくそ笑んでる人がいる。だからこそ、私たちはもう、末端で傷つけあうことなどないのだ。

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P8にて。全国からインディーズ系メーデーの首謀者が集合
(来られなかった人もたくさんいるので、その分脳内連帯しました)!

 

  

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雨宮処凛

あまみや・かりん: 1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮日記」

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