雨宮処凛がゆく!

 最近、「超左翼マガジン ロスジェネ」が発刊された。ロスジェネ世代4人が編集委員となり、刊行された雑誌で、私も原稿を書かせてもらっている。タイトルは「生きづらさが超えさせる『左右』の垣根 バブル崩壊後の”焼け野原”にて」。創刊号の特集は「右と左は手を結べるか」。「ぼくらの希望は『戦争』か『連帯』か」というタイトルで、赤木智弘さんと、作家で組合活動家の浅尾大輔さんが対談している。

 ロスジェネ、「希望は戦争」論争、そして「連帯」の可能性と、私にとっては涎が出そうなほどのテーマが盛り沢山だ。

 さて、なぜ「超左翼マガジン」なのか、私は知らない。つか、一体「左翼」ってなんなんだろう?

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 この間、朝日新聞の「耕論」に登場させて頂き、「それってサヨク?」というテーマで話した時も、思った。ここ1、2年、私はよく「左傾化した」とか「右翼から左翼になった」と言われる。が、自分自身、違和感がある。プレカリアート運動へのかかわりからそう言われるわけだが、「生存を求める」、そのことに右や左は関係あるのか? それ以前の問題だろう。
 そしてもうひとつ、「左翼」に関しては苦い思い出がある。人からやたらと「左傾化した」と言われるので、自らを「左翼」と言ってみたところ、団塊オジサンに「マルクスも読んでないくせに『左翼』とは何事だ!」とマジギレされたのだ。どうやら「左翼」というものに「なる」ためには、「マルクス」とやらを読破しなければその資格がないらしい。

 一方、私は「右翼」だった時代があるわけだが、右翼に関しては特に「これをこうしなければ右翼ではない」という取り決めはなかったように思う。右翼は自称制で、左翼は許可制ということなのだろうか。ああ、とにかく面倒なので、そんなことには巻き込まれたくもないし、誰かの理解を助けるために、自分自身がどこかにカテゴライズされること自体が窮屈だ。右とか左とか、そんな狭いところに閉じ込めないでほしいというのが正直なところだし、実際、メーデーにずっと参加している右翼団体関係者の若者もいる。そして私には、右と言われる人にこそ、グローバリゼーションやネオリベ政策のもとでの「格差の増大」「貧困」問題には取り組んでほしいという希望もある。実際、右と言われる若者が話を聞きに来てくれたりしている。

 さて、最近、面白い原稿を読んだので、そのことを書きたい。原稿が書かれたのはさっぽろ自由学校「遊」の「ゆうひろば」。4月28日、札幌メーデー前日、以前にも紹介したフリーター当事者ぶっちが自らの日常を撮ったドキュメンタリー映画「遭難フリーター」の上映があり、ぶっちはその時のことを書いている。これが「自己責任」問題の根幹にかかわる素晴らしい原稿なのだ。
 上映後のトークで、私はぶっちとトークショーをした。映画の中、ぶっちはマスコミに「貧困当事者として、何か犠牲者のように見られてしまう」ことに違和感を感じる。当時、彼はキヤノンのプリンタ工場で働いていた。彼は書く。
「毎日ただ働く私の現況を、『負け組』や『奴隷』と呼ぶ大人たち。私は確かに貧乏ではあるが、誰かと競争して負けたわけでも、誰かの下で奴隷としてこき使われているわけでもない」

 そんな彼は現在、朝9時から夕方5時まで派遣で働き、週に数日はその後、夜9時から朝の5時まで居酒屋で働く。16時間労働だ。彼は、貧困の原因について「状況の差はあれど、生活の困窮は自身で招いたのだから、自己責任だ」とトークで言った。もちろん私は「自己責任だけじゃない」と言った。その時のことを、ぶっちは書く。

 「もちろん、安い給料や短期の契約で雇用することを可能にした経団連の報告(注・95年の日経連『新時代の日本的経営』という報告書のこと。不況の中、格差社会を増大させる大きな原動力になった)が現代の格差社会の引き金となったことは分かる。最低賃金が一向に上がらず、企業に都合のいい法整備が進み、セーフティネットが保障されていないことも分かる。だが、そんな風に社会を敵視するには、まず自身が被虐の立場にあることを認識しなければならない。私は、そんな風に思いたくないというプライドがある。俺は俺の意志で今の生き方を選んでいるんだという自負もある。」

 厳しい状況に立たされた者が自身の状況を「自己責任」と言う時、多くの人は、「構造的な原因を知らないからだ」と思う。しかし、そうではない。短い文章の中、ぶっちは的確に構造を読み解き、深く認識している。認識しながらも、そこで「社会が悪い」と言い切るわけにはいかないのだ。それは彼自身の「プライド」にかかわる問題だからだ。

 誰だって、社会の犠牲者、被害者なんて思いたくない。状況がキツければキツいほど、プライドが頼りになる時がある。「自己責任」を巡る論争は、実はその人の「プライド」や「実存」を賭けた闘いでもあるのだ。だからこそ、そんなぶっちやぶっちのような人々の言葉に丁寧に耳を傾けることが大切なのだと思う。

 さて、そんな私は最近、新たな労働組合に加入した。その名も「ユニオンエクスタシー」!
 加入の理由は、名前と、そしてスローガン「労働にエクスタシー(悦び)を!」に猛烈にシビれたから。彼らは京都のメーデーで川からコタツを流したらしいということも大きな動機となった。彼らが訴えるのは「時給を2000円に!」「ラララ、歌を歌いたくなる職場に!」「使い捨てはイヤです!」「労組を作りましょう!」。

 こんなふうに、どうかしてるイカした労組が増えていって、いろんなとこで「働く」「生きる」ことについて話せるようになれば、「自己責任」を巡るあれこれも、ムキになることなく、誰かが無駄に傷つくことなく、普通に話ができるのかもしれない。

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「素人の乱」松本哉さん(真ん中)と、「完全自殺マニュアル」
著者でもある鶴見済さんと対談。webちくまにアップ予定。
90年代を「鶴見信者」として過ごした私は大感激でした。

 

  

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雨宮処凛

あまみや・かりん: 1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮日記」

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