雨宮処凛がゆく!

 舞台の幕が閉じた瞬間、いろんな気持ちが蘇り、涙が溢れそうになった。
 しかし、私が泣くより一瞬早く両隣の2人がものすごい勢いで号泣し始め、「泣くタイミング」を逃してしまった。
 客席から出口に向かう人々が心配するほどの泣きっぷり。「泣き女」も裸足で逃げ出すほどの大迫力である。
 両隣の2人は、この演劇の「当事者」だった。

 9月12日、紀伊国屋ホールで「羽衣House」(青年劇場)という演劇を観た。
 福島から東京に「自主避難」しているA子さん、B子さんに誘われたのだ。
 演劇は原発事故による避難生活を描いたもので、2人が「方言指導」などで関わっているという話は聞いていた。
 そうして3人で連れ立って行った演劇に、しょっぱなから心を揺さぶられまくった。
 舞台は「羽衣House」という民間の施設。原発事故後、放射能の影響から逃れる人がショートステイしたり、また移住先が決まるまで滞在できる施設だ。周りには自然が溢れ、子どもたちは放射能のことを気にせず、思い切り外で遊ぶことができる。
 この施設を利用している人はもちろん、スタッフもさまざまな事情を背負っている。
 自らの故郷に帰ることがほぼ絶望視される人もいれば、仕事が決まれば福島に戻ろうか、と考えている人もいる。また、夫と両親を福島に残し、母子だけで避難しているケースもある。
 演劇の途中、そんな母子避難の夫婦の間で諍いが起きる。
 「もう大丈夫だから早く福島に帰ろう」と娘たちを連れ戻しに来た夫。そんな夫の「大丈夫」という言葉にどうしても納得できない妻。二人の間で、故郷や家族、子どもの健康や命を巡り、それぞれの思いが引き裂かれるような言い争いが続く。それはもはや、放射能によって分断された個人と個人がすべての実存を賭けて戦う代理戦争のようだ。
 2人の言い争いを聞きながら、私自身も何度も引き裂かれそうになった。
 家族が揃って生活することが何よりも大切だと力説する夫の背景に浮かぶ寂しさ。そして「大丈夫なのだ」ということに決め、それ以上はもう考えたくないというある種の覚悟。そこに至るまでの、様々な逡巡。一方で、子どもの健康を考え、「大丈夫」と言い切れないからこそ避難している妻。そんな彼女も、「自分だけ逃げてしまった」と抱えきれないほどの後ろめたさに日々潰されそうになっている。
 舞台の中、とても印象的な台詞がある。妻が夫に対して「あなたといると安心してしまうの」と言うのだ。危険だ、という人と大丈夫だ、という人。どちらも自らの立場に有利なデータを持っている。しかし、放射能の影響について、長期的にどうなのかなど、正確なところは誰にもわからない。だからこそ、「安心してしまうことが怖かった」。そうして妻は母子避難を決めたのだ。
 演劇を見終わったあと、まずは正面からこれほど難しいテーマに取り組んだ劇団の人々の勇気と覚悟に対して、心から拍手を送りたくなった。
 原発に対して、放射能に対して、ある意味で突っ込んで描けば描くほど、激しい批判に晒される場合もある。また、作者の意図しない一部分がクローズアップされてしまったりと、予想もしない展開になることも少なくない。多くの表現者がこのテーマを扱いたいと思いながらも、「誰かを傷つけてしまうのでは」と時に遠慮し、また放射能のことなどは調べていけばいくほどに「何を信じればいいのか」わからなくなりテーマとして扱うことを断念――なんて話も耳にしたことがある。
 そんな中、「羽衣House」は孤立しがちな「自主避難」の人々にスポットを当て、しかし彼女たちの罪悪感を描くことで「残っている/残らざるを得ない人々」の苦悩にも寄り添い、「あの事故」からこの国のあちこちで起きているだろう人々の営みを丁寧に描くことで、私たちに「命」を巡る多くのことを問いかける。脚本を書いた篠原久美子さんは、何度も被災地に足を運び、そこに住む人たちの声を聞いてきたという。
 あの事故から、9月11日で3年半が経った。
 3年半と1日の日にこの演劇を観て、改めて、私たちが「失った」ものの大きさを思い知った。
 そうして今も、10万人を超える人々が、原発事故によって避難生活を強いられている。
 それなのに今、川内原発をはじめとして、国は原発の再稼働に突き進んでいる。
 演劇が終わった瞬間、涙を流したのは私の両隣の2人だけじゃなかった。多くの人が、泣いていた。その中には、事故によって故郷を失った人もいたかもしれない。東京などに避難中の人もいたかもしれない。家族を失ったという人もいたかもしれない。
 「羽衣House」のパンフレットには、自主避難中の小学6年生の男の子のこんな言葉がある。最後の部分を引用しよう。「ぼくはいわきの山が大好きでした。ワラビやキノコを見つけるのも得意でした。でも、汚染された山は、人の力では元に戻せません。ぼくは、お父さんたちが受け継いだ宝の山を、きれいなまま受け継ぎたかったです。でも、それはもう叶いません。だからせめて、こんな悲しいことが二度とこの国に起きないようにしてください」
 今、再稼働を進めようとしている人たちは、この子どものあまりにも切実な「お願い」に、どう答えるのだろうか。

※「羽衣House」は21日まで上演中です。

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 なんと! イ・イェダさんが外国人特派員クラブで記者会見をすることに!!
 ジャーナリストの方しか入れませんが、なんだかすごい展開です!

 また、イェダさんに会いたい、という方は、「マガ9学校」はもちろん、以下のイベントもあります。
 ぜひぜひ、交流しましょう!

9月18日(木)17時〜
「知ろう! 秘密保護法」
@参議院議員会館1階101会議室
主催:U-20デモ委員会 特別ゲスト出演
※「事前申し込み制」とありますが、当日参加OKになりました!
17:15までに議員会館にお越しください。
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9月19日(金)19時〜 
高円寺パンディット

 

  

※コメントは承認制です。
第309回 「羽衣House」の巻」 に1件のコメント

  1. magazine9 より:

    いまも全国各地に、避難生活を続けている方が多数います。雨宮さんも触れているように、避難する人/しない人、それぞれの葛藤があるなかで、このデリケートなテーマを、とくに当事者以外が扱うのは、ある種タブーのような雰囲気もあります。けれど、触れないようにしすぎることで、問題の存在が見えづらくなってしまうことも、また怖いこと。「原発さえなければ・・・」と思わずにはいられませんが、いま何が起きていて、何をすべきか、きちんと目を向けなくてはと思います。

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雨宮処凛

あまみや・かりん: 1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮日記」

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