雨宮処凛がゆく!

 私の出身地でもある北海道で、あまりにも痛ましい事件が起きた。
 
 高校2年生の少女が、47歳の母と71歳の祖母を殺害したとして逮捕されたのだ。
 報道によると、少女は「しつけが厳しく、今の状況から逃れたかった」などと供述しているという。その「しつけ」の内実はというと、家事のかなりの負担をさせられたり、行動を厳しく制限されたり、物置のような場所で寝かせられたりと「虐待では?」と思えるものも多く、また少女は暴力をふるわれて入院したこともあったそうだ。その上、幼稚園児の時には身体的虐待のあとがあると児童相談所の介入も受けていたという。
 まだ詳しい背景は明らかになっていないものの、17歳の少女の身に一体何が起きていたのだろう。人の命を奪うことは決して許されることではないが、少女の境遇がどのようなものだったのか、一報を聞いて以来、非常に気になっている。
 同時に、「17歳」と「虐待」という問題の難しさに、頭を抱えたくなってしまう。

 ここにひとつの悲しい数字がある。今年の9月、厚労省が発表した数字だ。それによると、2012年度に虐待を受けて死亡した子どもは51人。前の年と比較して7人が減っているというものの、改めて驚く数字だ。内訳はというと、0歳児が全体の4割で、その半数の11人は生後24時間以内に自宅などで死亡。また、無理心中で亡くなった子どもは39人。心中以外の場合では、虐待加害者は実の母が75%ともっとも多く、次いで実の父で6%。死因としては、身体的虐待が63%、自宅に放置するなどのネグレクトが28%。そうして残念なことに、全体の3割で児童相談所が事前に相談を受けていたという。しかし、防げなかったのだ。
 が、ある意味で、幼い子どもであれば「虐待」について介入しやすい。尋常ではない泣き声などから近所の人が通報して無事に保護された、なんて話も聞く。しかし、17歳となるとどうだろう。貧困問題を取材していて時折耳にするのが「10代の少年少女への支援の難しさ」だ。

 例えば数ヶ月前、婦人保護施設を取材した。知的障害などを抱える女性たちを保護する施設で、その中には、「10代の頃から親に売春をさせられていた」ケースなどもあるという。が、例えばそんな少女が17歳だと、児童福祉法の対象となるので婦人保護施設に入ることは難しいという。そうなると児童相談所ということになるが、現在、児童相談所の一時保護施設は定員が超過状態のところが多い。どうしても、もっと小さな子どもの方が優先されてしまう——という話を聞いた。
 一方で、世間の目はそんな10代少女たちを「ただの不良少女・非行少女」と見ている場合も多い。だからこそ、「見てすぐにわかる小さな子どもへの虐待」と違って、彼女たちの窮地は発見されづらい。

 母と祖母の命を奪った17歳の少女はいわゆる「不良少女」「非行少女」とは縁遠く、次期生徒会長になる予定だったという。成績も優秀でスポーツもできる「人気者」だったそうだ。
 そんな少女が、「この境遇から逃げるためには母と祖母を殺すしかない」とまで追いつめられていた。他に選択肢はなかったのだろうか? もし、自分だったら?
 そう思って、改めてこの国の制度の「落とし穴」がまたひとつ、見えた気がした。一体彼女はどこに、誰に助けを求めればよかったのだろうか。もちろん、一度介入を受けているので、児童相談所というのが最初の手だと思う。しかし、それがうまくいかなかった場合、次の候補は?

 「殺すくらいだったら家出すればいい」という意見もある。が、長らく支配された状態に置かれると、人は「マトモな選択肢」や「正常な判断能力」をあっさりと奪われてしまう。また、本人も「しつけが厳しく」と供述していることから、自分の置かれた状況がなんなのか、虐待なのかそうでないのかすら正確に認識していなかった可能性もあるのではないだろうか。ちなみに、母も祖母も亡くなっている今、このケースが虐待にあたるかどうかの解明は難航することが予想される。

 時折、ホームレス状態を経験した女性に話を聞くと、あまりにも無計画な状態で実家を飛び出しているケースが少なくない。所持金もほとんどなく、知り合いもいないのに田舎から東京に向かい、寮のある風俗に未経験で飛び込んだ、というようなストーリー。
 「なんでまた急に東京に?」
 話を聞くと「いやー、親との折り合いが悪くて…」などと答えるものの、踏み込んで聞いていくと、誰から見ても「それは虐待だよ!」というケースが結構ある。本人はそう指摘されて、初めて「え、そうなんだ…。やっぱりそうだったんだ!」と驚く、というような展開だ。

 長年ひどい状態に置かれていると、ある意味で、「慣れ」てしまう。その上、否定され続けていると、「自分は酷い目に遭って当然」「自分が悪いから仕方ないのだ」という思考回路に陥りがちだ。そんな時、人は誰かに「助けて」とSOSを出すことなどできない。「自分など、助けを求めてはいけないのだ」と思ってしまうからだ。また、親への複雑な思いもある。時折、虐待をしてきた親をかばったりもする。だからこそ、ますます問題は見えづらくなる。

 10代なかばという年齢は、ただでさえ生きづらい。その上、制度の落とし穴にもはまりやすいことが改めてわかった。今も似たような境遇で苦しむ少年少女がいるかもしれない。
 だけど、「殺人」という極端な手段に出る前に、とにかくSOSを発信してほしいと切に思うのだ。

 同時に、私たち大人の視線も問われている。

 

  

※コメントは承認制です。
第312回 17歳、母・祖母殺人事件に思う。の巻」 に4件のコメント

  1. magazine9 より:

    小さな子どもとしては扱われず、だからといって、家庭や親に問題があっても家を出て自立するまでの力はもたない10代の子どもたち。学校では人気者だったという少女も、心のなかでは「助けてほしい」と思っていたはず。この事件をきっかけに、制度の「落とし穴」をどう埋めるのか、どうしたらSOSを発信できたのかを考えるとともに、そしてそれに気づくためには、まわりの大人の変化も必要です。
    第305回「JK産業にみる貧困問題の巻。」も、あわせて考えたい問題です。

  2. ** より:

    非行や犯罪を犯す子供は本人にばかり焦点があてられるが、家庭内の虐待などの問題を抱えている場合が多いのではないだろうか。この少女のケースも虐待に該当すると思う。
    それなのに、稲田朋美政調会長は以前から「尊属殺人の復活を」などと発言している。恐ろしいことだ。

  3. 島 憲治 より:

    安倍から明るく、活力のある日本を取り戻す。その為には日本国憲法の力に待つところが大きい。 子どもは、母、祖母を殺す前に、既に殺されていたのだ。「尊属殺の復活」に言及するのであれば、普通殺人の量刑にも言及しなければ「平等主義」に反する。命の価値は皆同じだからだ。
    国民受けがするのだろうか。 男の欠点を学び、品のない言い方、過激な内容の発言をする女性議員が目につくようになった。

  4. 多賀恭一 より:

    個人情報保護法は、
    家庭の中で発生する犯罪を隠ぺいすることになる。
    家庭内虐待も増殖することになる。
    無論、
    政治家の公共の福祉に反する活動や、
    富裕層の脱税も隠ぺいされてしまう。
    まさに、有害無益!
    煙草のような法律である。

←「マガジン9」トップページへ   このページのアタマへ↑

マガジン9

雨宮処凛

あまみや・かりん: 1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮日記」

最新10title : 雨宮処凛がゆく!

Featuring Top 10/277 of 雨宮処凛がゆく!

マガ9のコンテンツ

カテゴリー