雨宮処凛がゆく!

 このところのISILなどの問題で、書こうと思いながら書けなかったふたつの事件について、書きたい。

 それはどちらも昨年に起きた殺人事件。
 ひとつは昨年12月、前橋市で起きた高齢者殺傷事件だ。刃物で刺されて亡くなったのは、81歳の男性。男性の妻も首などに重傷を負った。
 この事件で逮捕されたのは26歳の土屋和也容疑者。警察の調べに対して、「食べ物と金がほしかった」と供述しているという。

 そんな容疑者の生い立ちは、困窮に満ちている。1歳頃から経済的な理由で施設に預けられ、両親は幼い頃に離婚。高校時代からは祖父母と叔母が暮らす家で生活し、卒業後は会津地方の塗装会社に就職するも、8ヶ月で解雇される。その後、前橋市に移り住んだ容疑者は、5ヶ月の食品工場勤務ののち、建設会社に就職。しかし、7ヶ月で解雇され、ラーメン屋に転職。通常は数ヶ月で正社員に登用されるらしいが、アルバイトのまま約4年間働き、昨年6月、退職。その後、警備会社に入るものの、そこも昨年10月、解雇された。
 部屋の電気やガスは止められ、消費者金融に約130万円の借金があったという。ラーメン屋時代の月収は16万円。そんな容疑者は昨年11月、やはり前橋市で93歳の女性が遺体で見つかった強盗殺人事件への関与も認めているという。

 「仕事がうまくいかず、金に困っても相談する人がいなかった」

 そう供述しているという容疑者は、事件後に自分が働いていたラーメン店に侵入したことがきっかけで逮捕されたのだが、その時の所持金はごくわずか。また、店からは4千円分のチャーシューとメンマがなくなっていたという。更に、夫婦殺傷事件を起こした家では複数のリンゴを食べたことがわかっているという(朝日新聞1月15日、1月22日夕刊)。

 経済的に困窮し、食べるにも事欠いて犯した殺人事件。
 以前から書いてきたことだが、私が出会う比較的若年層のホームレス状態の人たちには、児童養護施設などの出身者が多い。この国最大のセーフティネットである「家族」「親」の不在は、施設を出た若者をあっという間に困窮に追いやってしまう。家賃滞納で部屋を追い出されそうになった時にお金を借りることができる親、そして住む場所を失った時、帰れる実家。ちなみにこの容疑者は、高校生の頃は祖父母と叔母が住む家に住んでいたわけだが、その後、様々な理由から家族と暮らせない青少年を支える施設に移り住んでいる。報道では、叔母との折り合いが悪かったことにも触れられている。イギリスなどでは、「児童養護施設出身者はホームレス化しやすい」ことが広く知られ、特別な支援が用意されているという。翻って、日本では公的な支援はあまりにも乏しい。
 が、現在は児童養護施設などの出身者が問題にぶつかった時に相談に乗ってくれる団体はある。例えば「アフターケア相談所ゆずりは」だ。しかし、おそらく彼は相談に乗ってくれて、助けてくれるような団体があることを知らなかったのだろう。

 もちろん、どれほどの困窮状態にあったとしても、殺人や人を傷つけることは決して許されるものではない。ただ、彼の26年の人生の中で、誰かが親身にかかわれるチャンスはなかったのかと思うと、私たちが、そしてこの社会が問われているとも思うのだ。

 さて、ここまで書いてきた事件は「家族の不在」がひとつのキーワードだが、もうひとつ、書きたい事件は「家族」がいることによって起きてしまった事件だ。

 それは昨年10月、北海道で起きた事件。高校2年生の三女が就寝中の母親と祖母を殺害した事件だ。その背景には、三女が10年以上にわたって受け続けてきた虐待があった。殴る、蹴る、竹刀で叩く、火のついた煙草を押しつけるなど。また、庭の草むしりや早朝に雪かきをする姿も近所の人に目撃されている。さらには、冬に庭に立たされてホースで水をかけられることもあったという。食事もマトモなものなど与えられていなかった。知れば知るほど、扱いは「奴隷」に等しい。

 周りが関与できるチャンスはあった。6歳の頃、彼女は祖母に足をかけられ何度も転倒して脳内出血の重傷を負っている。この時に病院からの通報で児童相談所に保護されたのだ。しかし、ほどなくして家に戻されてしまう。小学校低学年の時には家出したが、警察に保護されて連れ戻される。虐待は、子どもが非行に走ることなどから発覚することも多いようだが、三女にはその兆しはまったくなかったという。
 逮捕後、三女は自分の置かれた境遇を「厳しいしつけだと思っていた」と語ったという。その上、「私は弁護に値しない」と弁護士を拒否している。
 この事件を巡っては、三女の同級生やその保護者が、処遇に配慮を求めるよう署名活動をし、2ヶ月で約1万8000人の署名が集まった。
 そうして今年1月21日、三女には医療少年院送致の保護処分が下された。

 家族の不在によって困窮し、その果てに起きた殺人事件。そして家族に10年以上虐待され、追いつめられた果ての殺人事件。
 「家族」は多くの場合、「とにかく大切で素晴らしいもの」と語られる。ここ数年見ていないが、最後に見た紅白歌合戦でも、演歌歌手なんかがやたらと「家族」を連発していて興ざめした記憶がある。家族に恵まれているならそれでいい。しかし、「家族」にセーフティネット的な機能を丸投げすることによって「家族」から弾かれた者が困窮するという現実があり、また一方で、「家族」という密室だからこそ、10年以上にわたる虐待が起きてしまうという現実がある。

 ふたつの事件から、改めて、「家族」を考えている。

 

  

※コメントは承認制です。
第328回 「家族」を考えさせられるふたつの事件。の巻」 に6件のコメント

  1. magazine9 より:

    児童養護施設への入所理由のトップは、親の不在ではなく、「虐待・酷使」(2008年厚労省調べ)だといわれています。たとえ親といっしょに暮らしていても、親自身が困窮していたり、家族関係が悪かったりと、家族に頼ることが出来ないケースも少なくないはずです。「素晴らしい家族」がいればいいですが、子どもは生まれ育つ家庭を選べません。この先の社会を支える子どもを、社会全体で見守り育てていくという視点、そのための仕組みづくりが必要ではないでしょうか。

  2. 加藤瑞恵 より:

    こんにちは。私も長い間家族の問題を考えてきました。アリス・ミラーの「魂の殺人」はとても深い学びになりました。ご参考までに。

  3. 多賀恭一 より:

    失業者は警官隊に強制採用し、
    同時に他の職業にもつけるように、再教育制度を整える必要がある。
    この制度が無いのは、
    政治家が無能で、政府が怠けているからだが、
    最大の責任は、なにも知らず、知ろうと努力もしない国民にある。

  4. スメルジャコフ より:

    僕はいつも「家族というのは本質的に素晴らしいものだ」というような言葉があれば、どうして「リア王」や「カラマーゾフの兄弟」が古典として今でも読まれているのか、と思うことにしています。

  5. ピースメーカー より:

    >ふたつの事件から、改めて、「家族」を考えている。

     そのような切り口で社会の事象を考察する事こそが、リベラル派知識人の社会的責務です。
     しかし一流大学卒の「リベラル」を自負する知識人がそれを出来ず、高卒の雨宮さんがそれを出来る。
     単純に面白いかつまらないかの区別でも、高卒の雨宮さんの方が圧倒的に面白く、一流大学卒の知識人が書く文章は圧倒的につまらないものばかりです。
     これは一体、どういうことなのでしょうか?
     国家の運営も、社会問題の考察も、国際平和の構築も、意欲のある低学歴者たちに全権をゆだねた方が、結果的に日本の将来に有益かもしれませんね(笑)。

  6. 仏の提言 より:

    ピースメーカーさん。大変含蓄のあるコメント参考になりました。

    雨宮さんにも読んでほしいと思います。私も高校卒ですが、今の日本を変えなければと必死に頑張っています。3年ほど前から九条の会、反原発デモなどをされていたり、マスコミでリベラルな発言をしている人、法学館研究所、ルベラル21、週刊金曜日などに手紙、メール、コメントを入れ続けていますが全く返信が有りません。

    私のような学のない人間に、返信などしないのが世間の常識かもしれません。しかし内容は決まって、現状を憂慮し今、リベラル新党を発足しましょうと言う文です。日頃デモや、講演会、マスコミなどで活躍されている人だから、やればできると思うからお願いするのです。

    デモをしたり、マスコミ、講演で現政権を批判したりするのも自由ですが、自分たちで作り上げるという観点が抜けています。これらは、昔の百姓一揆と同じで権力者に対する直訴です、お願いです。私は情けないと思います。この際正々堂々と、政党を樹立して政権を奪い取る気概が要ります。

    日本は間接民主主義です。議会制民主主義です。暴力や、大きな声を出して政策を変えさせるなどと言うのは間違いであります。法に合った行動をすべきです。

    選挙は、新しい時代に即した戦略を導入すべきです。例えばブログ、ツイッター、スカイプなどを駆使したりすれば一か所に集まらなくても、全国の人々と会議ができます。例えばテレビ会議です。

    選挙は市川房枝先生の「理想選挙」を行い、徒歩と自転車にします。ポスターも使いません。金を使わない、金が要らない選挙をすべきです。

    と、いう事です。誠に突然ですが是非ご検討ください。

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雨宮処凛

あまみや・かりん: 1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮日記」

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