雨宮処凛がゆく!

 「日本は、頑張った人が報われる社会だと思いますか?」

 もしこんな質問をされたら、あなたならなんと答えるだろう。例えば90年代前半くらいまで、「一億総中流」なんて言葉が現役だった頃には、ほとんどの人が「イエス」と答えたのではないだろうか。
 しかし、いつからかこの国は、「一部の人の頑張りしか報われない社会」になってしまった。同時に、「様々な要因から、頑張ることすらできない人がたくさんいる社会」にもなっている。

 頑張っても報われない社会は、人から社会への信頼を奪う。意欲も奪う。向上心だって奪うだろう。今回取り上げたいのは、高校生から「社会への信頼」が奪われそうになったケースである。「子どもの貧困対策法」が成立して2年以上。事態は遅々として、進んでいない。しかし、様々な当事者の勇気によって、少しずついい方向に変わっている部分もある。

 ということで、今回の主役は福島県に住むA母さんとその長女A子さん(高校生)だ。
 A母さんの家庭は、彼女とA子さんからなる母子世帯。うつ病を患うA母さんは、数年前から生活保護を受けて暮らしている。そんなA母さんの長女・A子さんは、高校3年間にわたり、年17万円の給付型奨学金を受けられることになった。そうして昨年、奨学金の一部・14万円を受け取る。が、福祉事務所は全額を収入認定してしまうのだ。
 どういうことかというと、奨学金を世帯の「収入」とみなし、その分の保護費を減額したのである。これでは、奨学金をもらった意味がまったくない。というか、A子さんが努力して手にした奨学金を、福祉事務所が「生活保護世帯なんだからダメ」とブン取ったようなものである。A子さんは奨学金を、大学進学のための学習塾や参考書購入費、また修学旅行費に充てるつもりだった。そんなささやかな子どもの夢を奪おうとしたのである。

 10月17日、東京で開催された反貧困大集会に福島から参加してくれたA母さんは、この「収入認定」の決定を聞いた時のA子さんの様子を語ってくれた。

 「本当にがっかりしていました。やっぱり奨学金は簡単に貰えるわけではなくて、成績だったり出席率だったり、クリアすべきものがたくさんあったんです。それをこなしていって、やっと努力して手にした奨学金なので、本当にがっかりして…。『私の努力は一体なんだったの』って。『全部とられるんだったら、なんのために頑張ったのかわからない。どうせこんなことになるんだったら何もしない方がいい』って」

 A子さんは、しばらくは何もできないような状態だったという。

 「生活保護世帯の子どもの夢を奪う」ような事例は川崎市でも起きている。現在大学生のB子さんが高校生時代の話だ。1年間、アルバイトして月に2〜3万5000円の収入を得ていたB子さんは、バイト代を申告する義務があると知らず、申告していなかった。しかし、福祉事務所の調査によって収入があることがわかり、「不正受給」とされ、1年間のバイト代・約33万円全額の返還を要求される。
 ちなみにバイト代は、9万8000円の修学旅行費や大学受験料に使われた。自分でバイトしたお金で修学旅行に行き、大学受験料を払う。見上げた高校生である。そしてその後、見事大学に合格しているのだ。そんなB子さんにバイト代の「全額返還」を求めた福祉事務所。父親は提訴し、横浜地裁は今年3月、「不正受給と断ずるのは原告に酷」として、全額返還命令の決定の取り消しを命じた。

 ほっと胸を撫で下ろす判決だが、よく聞く「生活保護の不正受給」という言葉、こうした「高校生のアルバイト代の申告漏れ」がかなりの割合を占めているのである。また、川崎のケースでは申告していなかったことが「不正受給」とされ全額返還を求められたわけだが、バイト代を申告すると様々な控除があり、月に3万5000円程度のバイト代であれば、かなりが手元に残ることになる。また、バイト代を修学旅行費やクラブ活動などに充てる場合、そもそも収入と認定しない仕組みもあるのだ。

 A子さんの話に戻ろう。
 「奨学金の全額収入認定」にA母さんは納得がいなかった。そこで「福島市生活と健康を守る会」に相談。すると、「それはおかしい」ということになる。
 そうして反貧困ネットワークふくしまの会員につながり、弁護団が結成される。審査請求、再審査請求をし、今年4月、福島市に収入認定の取り消し及び損害賠償を求めて提訴。現在も係争中だ。
 10月17日、反貧困大集会には弁護団の一人・関根未希弁護士も参加してくれた。

 「この一連の闘いで私たち弁護団が訴えてきたのは、大きく分けて3つあります。ひとつは、そもそも奨学金自体を収入認定の対象としている国の基準が違法ではないか。それから、仮に国の基準を前提としたとしても、今回の奨学金というのは、A母さんの娘さんが高校生活を送ったり、大学等への進学のために必要なものなので、収入認定したこと自体が間違いだと思っています。
 あとは、ここが一番問題なんですが、福島市は、子どもが高校に入学した時にどれくらいの費用が必要なのかとか、どれくらいが生活保護費で賄われるのかとか、そういうところをまったく調査検討しないで収入認定してしまっています。単純に生活保護世帯にお金が入ったからそれを削ればいいというような発想で運用しているのは明らかです。
 このような扱いを認めていては、貧困の連鎖は断てないと思います」

 裁判の行方はぜひ見守っていきたいが、この件に関して、大きく動いたことがある。それは弁護団の再審査請求に対し、8月6日、厚生労働大臣が福島市の判断に誤りがあるとして収入認定を取り消す裁決を出したこと。もっとも、福島市はいまだに間違いを認めず、争っているため、福島市の責任を明らかにするため、損害賠償という形で裁判は続いている。

 また、A子さんの訴えを契機として、更に大きく動いたことがある。今年10月から、生活保護世帯の高校生が奨学金を得た場合、それを「塾代」などに充てる場合は収入認定されない、というふうに運用が変わったのだ。
 これまでも、高校生の奨学金は修学旅行費や部活動費の不足分、私立授業料の不足分としては収入認定から除外されていた。それが10月から、学習塾の授業料、入会金、模試代、教材費、交通費が収入認定されないことが明記されたのだ。
 が、いまだに大学の受験料、入学料に関しては認められておらず、こちらも「貧困の連鎖」を断ち切るためにぜひ獲得したいところだが、「塾代もOK」というのは、とてつもなく大きな一歩である。一人の高校生とその母親が声を上げてくれたことによって、こうして変えられることはあるのだ。その勇気が、同じような境遇の人たちを多く救い、これからも救っていくシステムとして機能し続けるのである。

 この背景には、A子さんの問題について、国会で追及した議員の存在もある。私が知るだけで、共産党の田村智子議員、そして生活の党と山本太郎となかまたちの山本太郎議員が質問で取り上げた。小さな声を掬い上げる議員を増やしていけば、変えることって意外とできるのかもしれない。
 2013年度の生活保護世帯の高校生は約5万7000人。これまでは保護費を減らされることを懸念し、塾に行くことを諦めていた高校生も多いという。また、生活保護世帯の子どもの大学・短大への進学率は19.2%(13年3月卒業)。同時期の卒業生の進学率は53.2%ということを考えると、やはり圧倒的に低い。

 しかし、事態はほんの少しずつだけど、動いている。A子さんの高校生活が充実したものになることを願いつつ、裁判を見守っていきたい。

 

  

※コメントは承認制です。
第353回 生活保護世帯の高校生に起きていること。の巻」 に3件のコメント

  1. magazine9 より:

    第331回のコラムでも紹介されていたA子さんの続報です。奨学金を世帯収入とする福祉事務所の判断には、驚く人のほうが多いのではないでしょうか。進学への道をふさぐのではなく、困窮世帯の子どもたちが自立できるようにあと押しすることは、長期的にみれば国の社会保障費を減らすことにもつながるはずです。A子さんもB子さんも、裁判を起こしたり、支援団体へとつながったりしたことで事態が動きましたが、そうできないまま泣き寝入りしている人も多いのではないでしょうか。生活保護は、その人の命や人生を左右する最後のセーフティネットです。杓子定規的な判断ではなく、暮らしや自立を支える視点をもって運用を考えてほしいと思います。

  2. 島 憲治 より:

    オランダ在住のリヒテルズ直子氏は著書「オランダの教育」に次のように書いている。「なぜ国が国の制度を挙げて子どもの個性を重視し、ハンディのある子どもに教育機会の均等を実現しようと努力するのでしょうか。それは一様な価値観尺度で子どもを選別していると、そこから落ちこぼれる子ども達が将来、社会の何処にも位置を得ることが出来なくなるからです。それは社会不安の原因ですし、その社会の将来の発展にとって大きな損失です。社会そのもの臨機応変の柔軟性と活発な想像力を期待できなくなります。」
    オランダの教育の精神は所得格差が教育格差に陥ることをも食い止めるものだ。 なぜ、教育機会均等を実現しようとするのか。社会の将来の発展に大きな損失。そして、社会そのもの臨機応変の柔軟性と活発な想像力を期待できなくなる。これは、思考停止状態の子を量産したい日本の教育とは真逆の発想だ。どちらが子ども、社会の為に良いか一目瞭然である。

  3. asa より:

    行き着く先は、生活保護に頼りたくなければ、風俗で稼げとでも?
    まさか、これが、こうした福祉事務所の職員の皆様にとっての魂胆であるというならば、
    「お国のため、天皇陛下のため」と言っておきながら、戦場で慰安所なるものを作り、
    使い物にならない間抜け兵士のストレス解消のために、女性と好き勝手に弄ばせようとするのを
    ごまかして、戦場に、多くの女性を「お国のため、天皇陛下のため」と言っておきながら、
    このような使い物にならない間抜け兵士の性奴隷として好き勝手に弄ばれた上に、
    これがバレることがないように、このような使い物にならない間抜け兵士に対しては
    靖国神社に奉りながら、性奴隷とされた女性たちは、口封じのために命を奪われたり、あるいは
    告発されないように、うまく逃げようとしたというのが、大日本帝国軍性奴隷問題と同様の
    前科を、自ら繰り返そうとしているのではないかということは、お見通しのことなのですが?

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雨宮処凛

あまみや・かりん: 1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮日記」

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