雨宮処凛がゆく!

集会開会直前。左から共同代表の尾藤廣喜弁護士、医師の本田宏氏、私、同じく共同代表の井上英夫氏。

 時代は変わったんだな――。

 ステージの上から、そんなことをぼんやりと考えていた。
 10月28日、「人間らしく生きたい。10・28生活保護アクションin日比谷 25条大集会」でのことだ。
 会場に詰めかけたのは全国から4000人。「生活保護」をテーマとして、これだけ大規模な集会が開催されたのは前代未聞のことだという。

 午後1時。天気予報では雨だったのに、夏を思わせる晴天。司会だった私は、開演前から会場の様子を見ていた。多くの人が自作のプラカードを手にしている。そこに書かれているのは「25条は私たちの誇りだ」「私たち抜きに私たちのことを決めないで」「私たちを無視するな」などの「生存権」を全面に押し出した言葉たち。
 しかし、同じくらいに多かったのが「9条も25条も守ろう」「どの国とも仲良くしよう」「戦争させない」などのプラカード。会場には、障害を抱える人たちも多くいて、それぞれのプラカードを手にしている。その様子を見て、安保法制反対の国会前デモに来ていた、車椅子の男性の言葉を思い出していた。「もし戦争なんかになったら、自分たちのような障害者が『役立たず』『足手まとい』と言われて真っ先に殺されるんですよ」という悲痛な訴え。
 この日、開会の挨拶で、生活保護問題に取り組んで40年になる弁護士の尾藤廣喜氏は、「憲法25条と9条は、私たちの生活を守る両輪」「25条を実効性のあるものにするために9条も大切」と述べた。

集会には野党各党の議員さんたちも参加。民主党、維新の党、生活の党と山本太郎となかまたち、共産党、社民党からそれぞれ連帯の言葉をいただきました。

 この夏、「憲法9条」や「平和」という言葉は、安保法制反対運動によって新たに命を吹き込まれた。が、平和は「戦争していない」ことだけでは成立しない。「健康で文化的な最低限度の生活」がすべての人の生活において実現してこそ、だ。
 しかし、現実はどうだろう。この連載でも何度も触れている通り、第二次安倍政権は発足直後、生活保護基準の引き下げを強行。2013年8月から段階的に引き下げが始まり、平均で6.5%、最大で10%も引き下げられてしまった。この日の集会に参加した支援者によると、札幌の母子世帯(母52歳、子ども10歳)では年の引き下げが9万円にもなったという。ある程度の年収の人にとっては大した額ではないかもしれないが、生活保護世帯に年間9万円ダウンは、あまりにも厳しい。
 それだけではない。今年7月からは家賃に相当する住宅扶助が引き下げられ、10月からは北海道など寒い地域で支給される冬季加算の引き下げが始まった。
 「もう暮らしていけない」「貧乏人は死ねってこと?」「“お前は生きていてはいけない”と言われているような気がする」。私のもとにも、そんな悲鳴のような声が寄せられる。

 そんな状況を打破しようと、今、ふたつの裁判が進行中だ。ひとつは「生存権裁判」と言われる裁判。老齢加算(70歳以上の生活保護受給者に支給されていた加算。月1万5000〜8000円くらい)が06年に廃止されたことによって、「交通費がないから親戚のお見舞いにも行けない」「香典がないからお世話になった人の葬式にも行けない」などの事態が続発。そんな状況を受け、全国の高齢者がまさに「生存権」を求めて提訴した。現在、70名以上が原告となって闘っている。
 もうひとつは、第二次安倍政権になってからの基準引き下げが「違憲」であると訴えた裁判。こちらは全国で800人以上が原告となり、裁判中だ。
 この日の集会には、そんな原告の方々も約70名、参加した。
 老齢加算を廃止された80代、90代のお爺ちゃんたちも舞台に立ち、話してくれた。
 「生活保護で生きさせてもらっているのはありがたい」と前置きしながら、お爺ちゃんは訥々と語る。
 「生活費で削れるものは食費しかないから、お腹がすくのは苦しいけど辛抱している」「衣類も新しいものは買えない」「お風呂の水も滅多に変えられない」「生きていてよかったと言えない生活が続いている」――。そんな姿を見ていると、政治は、このお爺ちゃんたちにこんなこと絶対に絶対に言わせちゃいけないだろうと、強く強く、思う。
 今、安定している人の中には「自分には関係ない」と思う人もいるかもしれない。が、今や生活保護を受けている世帯の半分近くが高齢世帯である。藤田孝典氏の『下流老人 一億総老後崩壊の衝撃』(朝日新書)を読めばわかるように、現役時代にそれなりの収入があったとしても、かなりの貯金があったとしても、ちょっとしたことがきっかけで、あっという間に貧困に陥ってしまう時代になったのだ。高齢者が切り捨てられる社会は、老後を迎えた私たちもあっさりと見捨てる社会だろう。

 この日は、集会のあと、全国から集まった原告の方々と厚生労働省に「これ以上の社会保障の削減を止めてください」などの要望書を持参して申し入れをし、記者会見を行った。その席で、原告の方々は口々に述べた。

 「3年前に脳梗塞になり、今は週に4日、朝に2時間しか働けない。生活保護しか生きる道がない。それが引き下げられた。生きるために闘うしかない」(岡山の原告の男性)

 「自分たちの保護基準で生活できるなら、してほしい。月7万6370円で生活してみたら実態がわかると思います」(精神障害を抱える女性)

 「お金がないので町内会にも入れず、近所付き合いもできない。近所に不幸があっても行けない。兄弟からは世間体が悪いと縁を切られた」(北九州の高齢の男性)

 「生活保護の利用はそんなに罪なことなのか。友人に『来ないで』と言われた。『あなたが来ると自分まで生活保護を受けてると思われる』と。別の友人からはお茶に誘ってもらっても、お金がないので断ってしまう。200円か300円、余裕がある時に自分から誘うと『この前誘っても断ったのに』と断られてしまった。本当は、美容院にも行きたい。だけど行けないから自分で髪を切っている」(大宮の女性)

 切実な話に胸が痛んだ。だけど、感動してもいた。それぞれの原告、当事者の方たちが「今日、仲間に会えて元気を貰った」と話してくれた。そして「自分たちが生きるために闘うしかない」と、本当に崖っぷちのところで声を上げていた。彼らはまさに「生きさせろ」とギリギリのところで叫んでいて、その姿は美しかった。そしてとても、優しかった。人前で話すことに慣れていない人が言葉に詰まると、初対面の誰かが「大丈夫、ゆっくりでいいから」と声をかけ、それぞれがそれぞれに常に気配りしていた。

 こういう人たちを切り捨てるのなら、政治って一体、なんのためにあるのだろう? 何度も、思った。
 最後に、この日、集会の最後に読み上げられたアピール文を紹介したい。文案は私が作り、当事者の方たちが様々に意見を述べ、まとめてくれて出来上がった。みんなで作ったアピール文だ。

貧困は、お金だけの問題ではない。
貧困は、人間の尊厳を破壊する。
人間関係を奪い、社会や他者への信頼も奪う。
教育の機会、医療へのアクセス、住む権利――。
住民登録を奪い、選挙の機会も奪う。
人並みの生活、そのすべてを奪い去る。

そして、自分は生きていい、価値ある人間なのだという自己肯定感も奪う。
自分は少しくらい迷惑をかけても助けられていい人間なのだ、SOSを発信していいのだ――。そんな気持ちも奪う。
貧困が奪うもっとも大きなものは、
生きる上で一番大切かもしれない「助けて」という言葉ではないだろうか。

私たちは、無差別平等に生きる憲法と制度を持っている。
貧困に命を奪われないためのしくみはある。
私たちはもっと「助けて」と言っていいし、
私たちはもっと「助けて」と言われていい。
生活保護制度という命の砦を、私たちは守り、
より良いものに作り変えていく義務がある。

誰一人、貧困に殺されない社会。
そんな当たり前のために、私たちは声を上げ続ける。

2015年10月28日
25条大集会参加者一同

集会の最後には、みんなで「憲法25条守れ!」のプラカードを掲げ、「命をまもろう」とコール。

 

  

※コメントは承認制です。
第354回 25条大集会〜私たちはもっと「助けて」と言っていいし、私たちはもっと「助けて」と言われていい〜の巻」 に3件のコメント

  1. magazine9 より:

    子どもの貧困、女性の貧困、若者の貧困、老人の貧困――さまざまなタイトルで貧困問題が取り上げられてきましたが、もはやこの国では、どの世代も貧困とは無関係ではいられなくなっています。状況を悪化させれている非正規雇用の増加、年金や住宅の問題などは、個人の責任ではなく、社会として解決しなくてはいけない問題です。一度も失敗したり、迷惑をかけたりしたことのない人はいないはずなのに、「助けて」といいづらい雰囲気はどこから来るのでしょうか。「貧困は、お金だけの問題ではない」とアピール文にありましたが、社会のまなざしこそ、まず変えなくてはいけないものではないかと思います。

  2. 未登録行政書士 より:

    私も去年憲法を学んで、25条は大切だと思いました。因みに発達障害、精神手帳2級で合格証書番号は平成26年度第2723号です。今年の社労士は落ちてしまい来年度に向け勉強中です。

  3. 仲倉重郎 より:

    障害者差別解消法が来年4月1日から施行される。禁止法を解消法と言い換えた姑息さはあるが、これを単にあるだけのものにしないで、正面からこの方をおしたててじちたいに要求していくことが必要ではないだろうか。たとえば通勤通学に介助者が使えないというのは、明らかに差別であるのだから。

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雨宮処凛

あまみや・かりん: 1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮日記」

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