雨宮処凛がゆく!

揃えられ主人の帰り待っている飛び降りたこと知らぬ革靴

名づけられる「心的外傷」心ってどこにあるかもわからぬままで

次々と友達狂う 給食の煮物おいしいDVシェルター

友達の破片が線路に落ちていて私とおなじ紺の制服

孤児たちの墓場近くに建っていた魚のすり身加工工場

 セーラー服の歌人、鳥居を知っているだろうか。
 今月、初の歌集『キリンの子-鳥居歌集』が出版された。それと同時に、東京新聞記者の岩岡千景氏による『セーラー服の歌人 鳥居 拾った新聞で字を覚えたホームレス少女の物語』も出版。冒頭に紹介したのは、鳥居の短歌の中でも私が特に好きな歌だ。

 歌集の帯には、こんな言葉が並ぶ。

「目の前での母の自殺、児童養護施設での虐待、小学校中退、ホームレス生活——拾った新聞で字を覚え、短歌に出会って人生に居場所を見いだせた天涯孤独のセーラー服歌人」

 これらのキーワードからわかるように、彼女のこれまでの人生は壮絶だ。だけどそれがいかに壮絶かは、おそらくこれから多くの人が書いていくだろうからここでは触れない。また、私は一度、彼女について書いている。昨年、彼女に取材する機会があり、「イミダス」というサイトで書かせて頂いたのだ。

 セーラー服に身を包んだ彼女は小柄で、まるで人形みたいで、小さな声で話す礼儀正しい人だった。
 学生ではないのに、彼女がどうしてセーラー服なのかは、説明しておく必要があるだろう。
 小学5年生で母が自殺し、児童養護施設に入った彼女は、義務教育から実質、排除されてしまった。
 施設には虐待が蔓延し、病気や怪我をしても治療などはして貰えなかった。熱が出ると「ほかの人にうつったらよくない」と倉庫に閉じ込められ、数日間忘れられて放置されたこともあるという。もちろん、食事も与えられない。遺書を書くことを強要されたこともあれば、「死にたい」と漏らすと職員に「自殺するなら、よそでやってね」と返されたこともあるそうだ。施設での暮らしが辛すぎて、頼み込んで精神病院に入院させてもらったこともある。そうして気がつけば、学校は遠いものになっていた。

 彼女は、自分が「卒業した」とされる中学校に足を踏み入れたこともなければ、どこにあるのかも知らないという。
 こういった、形だけの卒業者を「形式卒業者」というのだと、私は彼女に会って初めて知った。まったく出席していなくても卒業の資格が得られることは、義務教育を受けられなかった人々の社会進出を可能にするものである。が、逆にマイナスの面も持っている。

「この形式卒業は、全ての人に提供されるべき義務教育を、大人になってからさかのぼって受ける機会を失くさせてしまうという側面も持っています」(『セーラー服の歌人 鳥居』より)

 義務教育を受けられなかった人の学習の場として、「夜間中学」がある。が、中卒資格を持つ形式卒業者は、夜間中学には入学できないのだ。かと言って、突然高校を受験して合格できるのか。無事に高校に行けたとして、小学校の途中までしか義務教育を受けていなかった人が高校の勉強についていけるのか。
 この問題については彼女も声を上げ、昨年7月、形式卒業者も夜間中学に入学できるよう、文科省から通知が出た。彼女のような形式卒業者に対し、実に60年越しで問題が解決され、学びへの道が開かれたのだ。

 彼女がセーラー服を着ているのは、自身が排除されてきた義務教育を受けたいという思い、そして様々な理由で学びへの道を断たれてしまった子どもたちの思いの体現である。
 彼女がいた児童擁護施設には、虐待によって全身が火傷のあとで爛れていたり、人身売買に遭った経験があったり、家族がカルト宗教に入っていて人身御供に捧げられそうになった子どもたちがいたという。

慰めに「勉強など」と人は言う その勉強がしたかったのです

 私は彼女に出会って、自分が当たり前に受けてきた「義務教育」が、いかに現在の自分の武器となっているかを初めて理解した。こうして文章を書けること。それなりに漢字が読めること。普通に本が読めること。
 義務教育を途中までしか受けていない彼女は、今も持っている歌集の漢字に、友人などにルビをふってもらっているという。

 鳥居は今も「複雑性PTSD」を抱え、働くことにドクターストップがかかっている状態だ。
 そんな彼女の短歌はここ数年、高い評価を受け、いとうせいこう氏をはじめとして、多くの著名人が称賛している。私も完全に彼女の歌に魅了された一人だ。「鳥居論」を執筆中の東大大学院総合文化研究科博士課程の岩川ありささんは、「鳥居さんは、これから世界に出ていく人です」と語った。また、昨年私も訪れた彼女の短歌朗読会には、驚くほど多くのメディア関係者が集まっていた。
 彼女を見ていると、「言葉を獲得すること」の重みと強さに、心が震えるような思いがする。

 彼女の生い立ちは壮絶だ。
 しかし、貧困問題や生きづらさの問題を取材していれば、壮絶な生い立ちの人は少なくないことに気づかされる。
 そんな人たちと関わる中で、私の周りでは多くの人が自ら命を絶っていった。
 考えてみれば、私自身も10代からリストカットや自殺未遂を繰り返してきたわけで、「どうして生き延びられたのか」と問われると、「言葉を獲得したから」としか言いようがない。でも、何をどうしてどうやったらそうなったのか、人にはまったく説明できない。でも、わかる人にはわかると思う。そうして私は勝手に、鳥居はわかってくれていると思っている。

 「生きづらいなら短歌をよもう」

 彼女はそうよびかけ、「生きづら短歌会」なども開催している。
 本当は、彼女の短歌がいかに素晴らしいものかを書きたいけれど、短歌にまったく詳しくない私にはどうしたって言葉が足りない。
 だから、最後にまた好きな短歌を紹介しよう。

これからも生きる予定のある人が三か月後の定期券買う

孤児院にサンタクロースの服を着た市長あらわれ菓子をばらまく

みわけかたおしえてほしい 詐欺にあい知的障害持つ人は訊く

あたたかく見える言葉に手を伸ばす真暗な部屋光るPC

 とにかく私は、歌人・鳥居の登場が嬉しくて嬉しくて仕方ない。
 彼女の言葉は、なんだか私の味方のような気がするからだ。ここにいていいよ、生きていていいよ、と言ってくれている気がするからだ。
 生きづらい人は、鳥居の世界にぜひ、触れてほしい。

 

  

※コメントは承認制です。
第366回セーラー服の歌人・鳥居。の巻」 に4件のコメント

  1. magazine9 より:

    ホームレス生活も体験したという鳥居さんは、マガジン9でも何度か取り上げた「路上文学賞」第3回の大賞も受賞しています。生きることを問い続け、身を切る思いで獲得したであろう鳥居さんの言葉には、人をひきつける迫力がこもっています。

  2. James「反戦ネットワーク(2002/08)」賛同 より:

    ”初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は初めに神と共にあった。~この言の内に命があった。そしてこの命は人の光であった。光は闇の中に輝いている。そして、闇はこれに勝たなかった。(ヨハネ福音書)”こうあってほしいものである。
    ところで、この度のエッセイを読んでまづ最初に想い起こしたのは、過日の札幌「遠友夜学校」のことである。この「遠友夜学校」の構想及び創設は、新渡戸稲造と妻メアリーによるもの。ちなみに十勝開拓団の吾が曾祖父のひとりは、入植開拓地に子女らの通う学校を設立しようとさまざま準備していた頃に、倒れ亡なったと伝え聞く。
    幼少の者たちの身辺平和とよき生育は、邦国の礎といえるのだが。どうもここ10数年来、事態は悪化の一途を辿っているようなのが、悔しく残念でならない。/よき光とその導きが共にあらんことを

  3. asa より:

    「この形式卒業は、全ての人に提供されるべき義務教育を、大人になってからさかのぼって受ける機会を失くさせてしまうという側面も持っています」(『セーラー服の歌人 鳥居』より)

    これもキャリアコンサルタントから見た、この私たち日本人およびこの日本社会全体として、自ら解決すべき課題でもあるのではないかというのが、本質的な見立てでもあるように考えられるのだとすれば、全ての人に提供されるべき義務教育を、学校以外の場所でも提供出来る様にすることにより、形式卒業と言われようとも、高校や大学への進学の機会を得られるようになることを具体的目標に置き、そのための手立てとしては、夜間中学というのも学習すべき場所の一つとしては大いに結構なことですが、施設の中で、例えば、定年退職をした教師の皆様を迎え入れて、義務教育で学ぶべきことを学習する機会を作り上げるというのは如何でしょうか。

    高校生の年代となれば、大学進学とまではいかなくても、高校卒業と同等の資格を得ることを目的とした、大学入学資格検定試験のための学習の場として活用しても良いのではないでしょうか。

    同時に、これがキャリア教育というものに繋げていくのであれば、例えば様々なボランティア活動などへの参加を通じて、社会全体が、これを暖かく迎え入れていくことにより、合理的な推論に基づく職業選択の意思決定や、その職業につくために必要な専門知識を身に着けるための進学や、あるいはアルバイトなどによる啓発的経験を通じて、これが正規雇用に結びつけていくことに繋がっていけば、こうした出来事も、たまたま起きてしまったことであり、決して主体的選択でもなければ、このような出来事というものも、受け止め方を変えることにより、次第に解決することも可能なのだということを学習することで、これを乗り越えて、幸せに暮らすことが出来る様になれば、今度は同じような境遇に合う人を、一人でも少なくして、仮にたまたま似たような境遇に陥ってしまあった人に対しては、そっと「静かに暖かく見守りながら、恩返しをしていくことにより、これがこの日本国の運命を大きく変えるきっかけとして捉え直すことにすれば、簡単に解決できますよね。

  4. kajen より:

    鳥居さんの歌を読んでみたいと思いました。

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雨宮処凛

あまみや・かりん: 1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮日記」

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