雨宮処凛がゆく!

 戦後71年目の憲法記念日がやってくる。安保法制が成立・施行されて初めての憲法記念日だ。

 1年前の5月3日、あなたはどこで何をしていただろうか。
 私はみなとみらいで開催された集会に参加し、スピーチした。全国から3万人が集まった大集会。初めて大江健三郎氏に会った日でもあった。
 あの日、楽屋裏で、憲法集会でおなじみのおじさまたちは「最近ストレスで白髪が増えた」「髪が少なくなった」などと話し、「安倍のせいだ」などと笑っていた。集会には若者の姿もあったものの年配の方の姿が多く、「憲法」=年配の人々の運動という「いつもの光景」が出現していた。

 それがどうしたことだろう。それからすぐに国会前にSEALDsが現れ、「憲法守れ」という言葉はリズムに乗って軽やかにコールされるものとなり、みるみるうちに若者は増え、その動きはあっという間に全国に広がり、今や「憲法守れという運動」=「若者の運動」として認識されるまでになっている。その間、たった1年間。憲法守れ=年配の方々というイメージは、完全に過去のものとなった。

 そんなこの1年間、全国各地に講演などで行くと、これまで「9条守れ」という運動をしてきた年配の方々はみんなやたらと元気なのだった。
 去年の今頃までは、どこに行っても「うちの会も高齢化が進んでいて・・・」と嘆き、「若者は何をやってるんだ」と憤る年配の人々に出会った。しかし、昨年夏の「若者の覚醒」は彼らを変えた。ママの会や若者グループとともに運動をするようになり、「告知はSNSでするとか、ビラをフライヤーと言ったりとかわからないことだらけの上、コールが英語で早口すぎてついていけない」と言いながらも満面の笑顔だ。
 皆、「自分たちの言い続けてきたことが若者に継承された」自信と喜びに満ちている。そして皆、明らかに若返っている。「体調が良くなった」「高血圧が治った」「毛が生えてきた」などという驚きの声も聞いた。なんだか健康食品の「体験者の声」のようではないか。「若者の覚醒」は、どんな健康食品よりも効く「万能薬」のようである。長い間、若者たちになかなか見向きもされない中、地道に「9条守れ」と声を上げ続けていた人々。そんな年配の人々の「やっと伝わった」という思いに触れると、涙ぐみそうになっている自分がいる。

 なぜなら、私の中には、「憲法守れと叫び続けて数十年、元教員・鈴木亀二郎さん72歳」みたいな人格が住んでいるからである。亀二郎が登場したのは2014年10月、SEALDs前身のSASPLのデモに初めて参加した時のことだった。
 特定秘密保護法に反対する学生たちが「民主主義ってなんだ?」「憲法守れ」とコールする姿を見た瞬間、感動という言葉では言い表せないような思いが突き上げた。06年からずっと生存権や反貧困などを掲げてデモや運動をしてきたものの、「自分より下の世代がデモをする」ことはほとんどなかった。もちろん、その間、3・11を受けて脱原発デモは盛り上がっていたものの、SASPLという大学生たちのデモは今までにない規模のものだった。彼らの言葉の力に驚いた。そんな下の世代の運動を見たことで、私の中に亀二郎が生まれたのだ。 
 たぶん、その背景には、団塊世代とSEALDs世代の間の「空白の世代」という問題がある。これについて分析すると長くなるのでまた別の機会にしたい。

 さて、そんな私自身、「生きさせろ!」と叫び始めた10年前から憲法25条の生存権を「武器」に声を上げてきたわけだが、これまであまり声高に「憲法守れ」とは言えないできた節がある。なぜなら、憲法そのものが空洞化しているような現実がずーっと続いているからだ。
 例えば25条。貧困や生活困窮、ブラック企業の問題などに苦しむ当事者に「憲法」なんて言っても鼻で笑われるだろう。労働基準法にもちっとも守られていない当事者に、「生存権」なんて言ってもそれは机上の空論でしかない。実際、彼ら彼女らの生存権は守られてなどいないのだ。既にホームレス状態で、誰も助けてくれなくて、他人にも世の中にも不信感で一杯で、そんな彼らには「権利」という言葉も「人権」という言葉も「限られた特権階級にだけ与えられるもの」と等しかった。言えば言うほど「現実を何もわかっていない気楽な人間の言葉」として空回りする気がし、反感を買うような空気を感じていた。時に「憲法守れ」「平和を守れ」という言葉は、困窮する彼ら彼女らの状況を永遠に固定する無神経な言葉として響いていた節さえある。

 だけど、昨年、気がつけば私も国会前で「憲法守れ」と叫んでいた。
 安保法制成立という緊急事態を前にして、叫んでいた。これほど真っ正面にその言葉を叫ぶ日が来るなんて、「生存権」の運動に関わり始めた10年前には想像もしなかったことだった。

 戦後70年目の憲法記念日から71年目の憲法記念日にかけて、これほど「憲法」という言葉がメディアに登場し、これほど多くの人が「憲法」について語った1年間はなかっただろう。私自身がそうだった。戦争について、自衛隊の人々の命について、遠い国の誰かの命について、これほど真剣に思ったことはなかった。そしてそれらについて、多くの人と語ったことも初めてだった。
 こういった一人ひとりの地道な積み重ねが、10年後、20年後のこの国の民主主義を作っていくのだと思う。
 
 戦後71年目の憲法記念日を、私は福島で迎える予定だ。
 原発事故から5年の地で、多くの人と語り合いたいと思っている。

 

  

※コメントは承認制です。
第375回戦後71年の憲法記念日に考える「この1年」。の巻」 に5件のコメント

  1. magazine9 より:

    雨宮さんのコラム第314回に、SASPLに涙ぐむ亀二郎さんが登場してから1年以上。いまでは、デモや集会に高校生や大学生、若い母親たちの姿があることが当たり前になり、少し前までなんだか遠い存在だった「憲法」や「政治」は現実味のあるものになりました。まだまだ課題はたくさんありますが、この変化があと戻りすることはないと信じたいと思います。

  2. 「憲法守れという運動」=「若者の運動」というほどは広がってない気がするけれど、百歩譲って、SEALDSよりInterFMとかで安倍政権批判してる反体制ミュージシャンのおっさんたち方が影響力が強い気がするな。その方面の重鎮のバラカンさんとか、夕暮れ時の陰謀コーナーがお洒落?なデイヴ&ジョーさんとか。あの辺の人はフェスでの実権も握ってるから、テレビとかのメジャーなとこに出なくとも若者への影響力は非常に大きい!

  3. Shigekyo より:

    【 憲法改正 】には、若者達の「 声 」〈 行動 〉は必要不可欠!!!
    高校生 大学生…… 頑張ってますからねぇ……

  4. 松本 聰 より:

    Facebookでシェアさせていただきました。on.fb.me/1THVFwL ありがとうございます。

  5. moriemon より:

    全国でおそらく数十万人の人が、反安保法を叫んだのに、政策に具体的な影響力を持てなかった事は、真剣に考える必要があると思います。やはり、政財官の“財”が完全に政権よりの立場を取り続けたのは、労働組合が有名無実になっているからでしょうか。過去の安保闘争と今回の安保闘争の明らかな違いは、労組の旗がなかったことですね(映像でしかしりませんが)。どれほど多くの人が反対を称えようと、それが“個”を超えない限り、権力に採っては、脅威にならないのでしょうか?

←「マガジン9」トップページへ   このページのアタマへ↑

マガジン9

雨宮処凛

あまみや・かりん: 1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮日記」

最新10title : 雨宮処凛がゆく!

Featuring Top 10/277 of 雨宮処凛がゆく!

マガ9のコンテンツ

カテゴリー