雨宮処凛がゆく!

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移動式お菓子センター。

 2月19日、「脱原発杉並(副題は自由)」デモに参加した人は、一人残らず「歴史の証人」だ。そう、声を大にして言いたい。

 政党も団体も右も左も一切関係なく、ただ「杉並」というくくりで開催されたデモ。地域住民という名の有象無象。その底力を、まざまざと感じた素晴らしいデモだった。

 もうデモ隊列からして有象無象パワーが炸裂している。

 「フォークダンス隊」「キッズ隊」「ほのぼの隊」「ドラム隊」「カラオケカー」「DJカー」「バンドカー」「ゴミ拾い隊」。

 「カラオケカー」って! しかも、当日は小さな子どものための「オムツ交換カー」や「お散歩カート」まで登場すると聞き、なんだか楽しくて仕方なくなったのだった。私はイラク反戦の時から数々のデモに参加し、特にこの6年ほどはまさに「デモジャンキー」として生きてきたわけだが、デモに「カラオケ」が登場し、「お散歩カート」でちびっことともに歩くなんて、まさに前代未聞! 思いついたことすらない。これも、「杉並」の地域住民というくくりだからこその発想の賜物だろう。考えてみれば、世代も職業も考え方も家族構成も何もかもが違う人たちの寄せ集めこそが地域住民なのだ。そしてその地域住民たちが、「脱原発」という一点でこうして行動を起こしたのだ。これってなかなかすごいことじゃないか?

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ちびっこお散歩カート。

 なぜなら、「原発」は、建設されるその過程で「地域住民」をバラバラに分断するものだからである。賛成派と反対派が生み出され、様々な利権によって人々が蹂躙され、そこに雇用の問題や漁業権などの問題も複雑に絡んでくる。原発さえなければいがみ合うことなどなかった人たちが、そうしてバラバラにされ、バラバラにされることで可能となる原発建設。

 それに対し、杉並で立ち上がった人たちは、とにかく「脱原発」の一点でこうしてデモを起こしたのだ。

 当日、集合時間にデモ出発地点の蚕糸の森公園に行くと、もうそこはカオスだった。お菓子屋さんらしき人がみんなにお菓子を配り、保育士さんたちが「お散歩カート」にちびっこたちを乗せている。ベビーカーの赤ちゃん、子ども、家族連れ、学生、若者、パンクス、自営業者、会社員、おじさんおばさん、お年寄り、犬。もうありとあらゆる人種や種族が入り乱れている様子は圧巻で、これほど多様な人が集い、そして自らの職業を生かして参加している(お菓子を配ったり保育士さんが子どもの面倒を見たり)デモは初めてだ。そうして高円寺「素人の乱」の松本さんは、自作の「移動式なんとかBAR」の屋台を引き連れて登場! なんでもデモ中に飲み物なんかをカンパ制で振る舞うらしく、「ビジネスチャンスだ!」とか言っている。ここにも「自らの職業を最大限に生かした参加者」が一人。素晴らしい。しかも、繁盛している。

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カラオケカーでデュエットする二人。

 そうして午後一時半、デモ隊は出発! 風船を持った子どもたちがお散歩カートで先頭を切り、その後にほのぼの隊やフォークダンス隊が続き、そうして登場したのはカラオケカー!! 参加者がトラックの荷台に乗り「脱原発」をテーマにした替え歌を歌う。例えば「時の流れに身をまかせ」の替え歌で「デモの流れに身を任せ」。

 「もしも原発 事故らなければ 私はデモに 来てたでしょうか」「もしも原発 事故らなければ 政府は何を してたでしょうか」

 そんなカラオケを歌う人を載せたカラオケカーが東高円寺の街を進んでいくのだ。そうして次々と参加者たちは熱唱。もちろんなんの替え歌でもなくただ「365歩のマーチ」を歌う人もいれば、「近所の外人」・ジェレミーは「いつでも夢を」をデュエット。なんだか街の雰囲気が場末のスナック風味になっていくけどそれがまた新鮮だ。

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移動式なんとかBAR。

 そうしてこの日、感動したのは、沿道で「トイレ貸します」というプラカードを持つおばさんがいたり、近隣の飲食店なんかのいろんなお店から仕事中の人がわざわざ出てきてくれて応援してくれたり、マンションの窓から子どもと一緒にベランダに出てきて手を振ってくれたり、バスを待つ人たちから拍手が起きたり、そんな「杉並住民」たちがものすごくたくさんいたことだ。みんなこのデモのことを知っているようだった。人に溢れた繁華街で、見知らぬ人たちの前でデモをする時とは明らかに違う反応。街頭の人たちは「杉並の人たちがやっている」ということからか、あたたかい視線を送ってくれる。

 ネットなどの「顔の見えない誰か」の声がなかなか届かないように、「見知らぬ人たちのデモ集団」は時に無関心にスルーされ、反感の対象にもなる。しかし、「杉並」を掲げた脱原発デモに、杉並の多くの人たちは共感を寄せてくれた。

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バンドカーのデモ隊列

 有象無象の地域住民たちが一緒に何かやること。「無縁社会」という言葉が流行となり、「絆」という言葉が強調される中で、今回の取り組みは、様々な角度から見てあまりにも真っ当だと思うのだ。

 ちなみにこの日、デモ解散地点の阿佐ヶ谷では、様々な飲食店が「デモ参加者10%割引」などのサービスをしてくれたのだという。「自分が店をやっている」などの理由でデモには参加できなくても、こういう参加の仕方もある。4000人がデモに参加したあの日、解散地点の阿佐ヶ谷の多くの飲み屋はきっと大繁盛しただろう。

 この日、強く思ったことがある。

 もし、もし仮に東京に原発が作られることになっても、杉並には絶対作れないだろうな・・・。これって、実はものすごく重要なことだと思うのだ。

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松本さんと。

 

  

※コメントは承認制です。
第221回 カオスだった「脱原発杉並(副題は自由)」デモ!! の巻」 に1件のコメント

  1. magazine9 より:

    地域を分断し、コミュニティを破壊していく「原発」。
    この日のローカル色満載デモは、そんな構図に動地域ぐるみで対抗するものでもありました。
    「杉並には、絶対原発はつくれない」。
    そんな場所がどんどん増えていったら、きっといろんなことが変わるはずです。
    そしてこの日、阿佐ヶ谷の飲み屋が繁盛したかどうかについては、「松本哉ののびのび大作戦」をチェック!

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雨宮処凛

あまみや・かりん: 1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮日記」

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