雨宮処凛がゆく!

 なんだかもう、今にも爆発的に泣き出しそうで、叫び出しそうで、正気を保っているだけで精一杯だった。だけど多幸感にも満ちていてデタラメに楽しくて、そしてそこには剥き出しの生命力みたいなものが溢れていて、ただただ圧倒されていた。

 それは11月3日に行った、スーパー猛毒ちんどんVS成宮アイコちゃんのライブ。「障害者はゴミでも天使でもない!」。そんな言葉が、何度も発された。
 
 成宮アイコちゃんは、私が10年ほど前から「名誉会長」をつとめる「こわれ者の祭典」のメンバーだ。彼女の朗読が私は大好きで、いつも心の一番敏感な部分を刺激されて、もういても立ってもいられなくなる。そんなアイコちゃんから、「スーパー猛毒ちんどん」と共演するとの知らせがあったのはつい最近のこと。そのメールで初めて、私は以前から名前だけは知っていた「スーパー猛毒ちんどん」が、主に知的障害者が働く「にじ屋」のメンバーが中心となって活動しているバンドだということを知った。

 以下、彼らのサイトにある「自己紹介」である。

「私たちはさいたま市の障害者団体『虹の会』です。『どんなに障害が重くても地域であたりまえに暮らす』ことをめざして、1982年より活動を続けています。その活動のひとつとして、この『スーパー猛毒ちんどん』というバンドを結成しました。主に知的障害者が働く『にじ屋』のメンバーが中心となり、他業種のメンバーのサポートも受け、活動しています。
 障害者のバンドと言えば、みなさんどんなイメージを持っていますか?
 ゆったり? ほのぼの? 勇気をもらえる?
 私たちのライブで、そのイメージは見事に打ち砕かれる事を確信しています。
 ちんどんとは名ばかり、基本的にはロックショーです。ドラム、ベース、ギター、ボーカル、踊り、旗振り、音響、絶叫担当と、さながら魑魅魍魎、混沌の演舞。『おれたちは先生にいじめられた』から始まるオリジナル曲『いじめ』を含め、オリジナル曲、カバー曲で構成しています。
 障害者は勇気を与えるために生きてるわけじゃない。
 私たちはこれからも『猛毒』を名乗り続けるでしょう。常識を打ち破り、お世話される対象としての障害者像を壊したい。信じるために懐疑しようぜ。作られた意識を疑ってみようぜ。そんな気持ちをロックします!
 オレたち、イカれたスーパースター『スーパー猛毒・ちんどん』
 あなたの中に、混乱と混沌の灯りが射し込む。ぜひ観て、聴いて、感じてください!」

 そうして、ライブ本番。

 ステージに乗り切らないほどたくさんの「イカれたスーパースター」たちが、白塗りメイクと派手な衣装に身を包み、ステージで、そして客席で、全身全霊で歌い始める。

「おれたちは先生にいじめられた」「養護学校の先生にいじめられた」「動きがのろいって蹴られた」「こんなのもできないのって殴られた」

 自らが経験した「いじめ」についての曲だが、歌うみんなの顔は底抜けに明るい。そして「アンタの障害者年金がなかったら一家が生活できないの」という曲では、きわどい歌詞を全員で熱唱。

「ごめんね娘よ アンタの年金がなければ生活できない」「奇数月の15日 市役所からの振り込みがある これでやっと 水道代が払えるわ」

 ライブの中盤、ピエロのようなメイクをした車椅子の女性が歌った「あしがない」という曲も印象的だった。

「てもあしもじゆうにうごかせないからね あのひとになにも してあげられないから」「わたしにはあなたのへやにいく あしがない」「わたしにはあなたにかける こえがない」「あなたのまえでなきわめく こえがない」「あなたをまんぞくさせることも できない」

 悲しい歌詞だけど、なんだかとってもかわいらしい曲だ。

 そうして「トクちゃん」という曲の歌詞がまたすごい。

「オレのあだなは『トクちゃん』 とくがくだから『トクちゃん』 いちにちだれともはなさない バカがうつるって けられた ぶつかったらチカンといわれ きゅうしょくは せんせいとふたり オレのあだなは『トクちゃん』 とくがくだから『トクちゃん』」

 はたまた「怨歌」という曲も強烈だ。

「ちてきなかいわにもうんざりだ げんぱつなんかどうでもいい いますぐせかいがおわりゃいい」「センズリもできないねたきりのオレに きみはやさしいけれど きみにおそいかかるおおかみになりたい」

 そうしてライブ終盤、「ションベン」という曲を、客席のみんなも一緒になって歌う。

「ションベンしたいのに よんでもこない もれちまう ずっとガマンでねむれない なんどもよぶとおこられる オレがなにかしたのかよ ああはやく にんげんになりたい」

 そうしてアンコールでは、アイコちゃんの朗読「傷つかない人間なんていると思うなよ」とスーパー猛毒ちんどんのコラボ。

「障害者はゴミではない 障害者はゴミではないし天使でもないんだよ」

 アイコちゃんの朗読に合わせて、スーパー猛毒ちんどんが合唱する。

「生まれおちて このかた バカだった 仲間はずれ ずっと一人で 笑ってた 今だ 時だ 逆襲だ!」

スーパー猛毒ちんどんのライブ!!

車椅子の女性が歌う「あしがない」は本当に名曲!!

 少し前、「感動ポルノ」という言葉が話題となった。

 8月末、24時間テレビの放送中にNHKの「バリバラ」が「検証!〈障害者×感動〉の方程式」という番組を生放送したことがきっかけだ。そこでオーストラリアの障害者女性のスピーチが紹介されたのだ。

「残念ながら私は『感動』させにきたのではありません」と前向きしたあと、車椅子に乗った彼女は続けた。

「手がない女の子が口にペンをくわえて絵を描く姿、カーボンファイバーの義肢で走る子ども。こうした姿を見たとき、皆さんは『自分の人生は最悪だけど下には下がいる。彼らよりはマシ』だと思うでしょう。私たちはこれを『感動ポルノ』と名付けました」

 障害者は、健常者に勇気や感動を与えるための道具ではない。彼女はそう主張したのだ。

 そうしてスーパー猛毒ちんどんも、自己紹介で「障害者は勇気を与えるために生きてるわけじゃない」と主張する。

 長らく、メディアに登場する障害者像は決まりきっていた。「障害」という「不幸」を背負いながらもけなげに頑張る姿ばかりが求められてきた。清く正しく美しい障害者像以外は決して描かれず、時に「天使」像まで押し付けられてきた。

 一方で、相模原事件の容疑者は、彼らの存在価値を根底から否定する言説を繰り返していた。

 だけど、この日アイコちゃんが何度も言ったように、「障害者はゴミでも天使でもない」のだ。障害者だけじゃない。この日、アイコちゃんは言った。

「わたしは何も繊細じゃない、わたしは何も丁寧じゃない、わたしは何も優しくない、
 だから、『うつ病患者』は繊細で優しいなんて押し付けないでほしい
 あなたの理想とする『うつ病患者』像を押し付けないでほしい
 人を傷つけることがこわいから閉じこもっていたわけじゃない
 人からプライドを傷つけられることがこわいから
 自分がほんとうに空っぽなのだと気づかされるのがこわいから、閉じこもっていたんだ
 わたしは何も優しくない」

 この日は、アイコちゃんのステージに、精神病院から退院したばかりという男性も登場して朗読をした。そしてスーパー猛毒ちんどんのライブの時には、最前列に車椅子の男性がいて、熱心にステージを観ていた。

 あの場にいた全員が、きっとそれぞれの痛みを抱えていた。「弱さ」や「痛み」を出してもいい場で、私は何度も涙ぐんでいた。

 障害者はゴミでも天使でもないし、誰一人、ゴミでも天使でもない。

 最高にカッコいいバンド・スーパー猛毒ちんどん。トンデモないバンドに出会ってしまった。トンデモない世界を知ってしまった。「感動」とか、そんな言葉が一瞬で陳腐になるような、どれほど言葉を尽くしても語れないほどの、彼らの存在。そんなバンドに出会えたことが今、とてつもなく嬉しい。

 スーパー猛毒ちんどんを、これから熱烈に追っかけていくつもりだ。

この原稿を読んで気になった人は、ぜひ、スーパー猛毒ちんどんと成宮アイコちゃんがコラボしたこの日のライブ動画を!

 

  

※コメントは承認制です。
第394回障害者はゴミでも天使でもない! 〜剥き出しの人間讃歌! 障害者のバンド「スーパー猛毒ちんどん」の衝撃!!〜の巻」 に4件のコメント

  1. magazine9 より:

    歌詞を読んだだけでも迫力が伝わってきて、ライブでぜひ聞きたくなります。スーパー猛毒ちんどんのライブ情報は、こちらのHPに掲載されています。また「こわれ者の祭典」の公式サイトに、成宮アイコさんのライブ情報が掲載されています。

  2. うまれつきおうな より:

    感動ポルノの効能は「下見て暮らせ」の説諭だけではないと思う。これは努力や感動のふりをした自己責任論の強調だろう。つまり「他人に迷惑かけないように自分の努力で障害をなんとかしろ」と。そして「障がい者は健常者の何倍も努力(労役)する義務がある」というハンデに対するペナルティの正当化だろう。これらにより他のあらゆる差別も差別される側に克服の責任を負わし、放置、非難することができる。そう考えればなぜ感動ポルノの総本山が日本テレビなのか納得できると思う。

  3. 鳴井 勝敏 より:

    伊藤真氏は著書「中高生のための憲法教室」で次のように述べている。「障がい者などが社会参加しにくいのは平均的男子を想定して社会のしくみをつくっていたからであって、そのような社会構造(バリア)自体を排除する権利を障がい者は持っていると考えるべきなのです。」
    >「おれたちは先生にいじめられた」「養護学校の先生にいじめられた」「動きがのろいって蹴られた」「こんなのもできないのって殴られた」
     健常者の無知と傲慢さがこのような行動を引き起こすのだろう。       >障害者は勇気を与えるために生きているわけではない。  だが、勇気を貰う。ハンディをものともせず挑戦する姿に。問題は貰った勇気をどの様にして生かすかだ。障がい者が持っている社会構造(バリア)自体を排除する権利を支援、みんな違ってみんな一緒。共生社会の実現に寄与したいものだ。

  4. wakakoba より:

    私、障害のあるものです。
    私も、障害=感動、の方程式にははなはだ疑問、時には反吐が出る。
    でも、下には下がいる、という上から感情だけの健常者だけではない、とも思います。
    困難や不自由があって、自分よりずっとがんばってる、という感情、。私は、時々の自分のその感情が優越だとは思わない。

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雨宮処凛

あまみや・かりん: 1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮日記」

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