雨宮処凛がゆく!

 2016年も残すところほんのわずかだ。

 本当に本当に、いろんなことがあった1年だった。ざっと振り返ってみても、イギリスのEU離脱問題、トランプ氏の勝利、相次ぐテロ、シリアの惨状、そして難民といったキーワードが浮かぶ。同時に浮かぶ言葉と言えば、排除や差別、排外主義といったものだ。

 国内に目を転じれば、相模原事件や沖縄での「土人」発言、はたまたオスプレイの事故後すぐに再開された飛行や、夏に起きた高校生への貧困バッシング、原発事故自主避難者の「みなし仮設住宅」からの来年3月追い出しといった問題が浮かぶ。これらに共通する言葉もやはり、「差別」だ。

 派遣村くらいの時から、ずっと「社会の底が抜けた」という表現を使ってきた。が、本当に、どこから手をつけていいのかわからないくらいに、様々な悪意が集合無意識となって世界を自暴自棄な破滅に向かわせているかのような、そんな1年だったように思う。そして1年の終わりには、「駆けつけ警護」の運用が開始された。

 この1年の自分の連載を読み返してみると、他にもいろいろなことがあった。1月には「格安バスツアー事故」で多くの大学生が命を落とした。4月には、「パナマ文書」が世界を騒がせた。5月には、イラク戦争の検証をする公聴会が民間有志で開催された。7月には参院選と都知事選があり、10月には電通の高橋まつりさんの死が労災と認定され、12月に入ってから、TPPや年金法案やカジノ法案があっという間に可決・成立した。

 バスツアー事故や電通の過労死など、働く人々の環境はより劣悪になる一方で、パナマ文書に象徴されるように、富裕層は税逃れにより更に富を拡大させている。世界的に格差が広がり、不安定化、貧困化が進む中で、フランスやオーストリアなどでも極右政党が支持を伸ばしているという事実。多くの国で、おそらく多くの人が「剥奪感」を抱え、そこにナショナリズムが忍び寄るような構図が浮かび上がる。

 さて、こんな流れにどうやって対抗していけばいいのか。

 そのひとつのヒントも、今年書いた原稿の中にあった。それは9月に開催された「NO LIMIT 東京自治区」。韓国、台湾、香港、中国、マレーシアなどなどアジアのマヌケな人々200人と連日のように路上飲み会やデモ、イベントを繰り広げ、「国際連帯」を実践した一週間。それは確実に、このグローバル資本主義の中、排外主義の誘惑に絡めとられず、「これからの世界」を模索する取り組みだった。

 そうして11月には、韓国で「大統領退陣」を求める巨大デモが始まった。デモを受けて、朴大統領は辞意を表明。隣の国で、人々の怒りの声が歴史を動かした瞬間を私たちは目撃した。

 報道を見ていると、あのデモの背景には、これまで溜まりに溜まっていた怒りがあったことに気づかされる。過酷な受験戦争の中、裏口入学していた崔氏の娘への怒りを口にする高校生・大学生。また、就職も結婚もできないという韓国の若者たちの不満。

 この10年、韓国の格差社会に注目してきたが、聞こえてくるキーワードは悲惨としか言いようのないものばかりだった。例えば少し前まで若い世代は「3放世代」と呼ばれていた。恋愛、結婚、出産の3つを諦めた世代という意味。これがいつからかマイホーム、人間関係を諦めた「5放世代」となり、気がつけば、更に夢、希望までをも捨てた「7放世代」という言葉になっていた。

 厳しい受験戦争に勝ち抜いても職がなく、非正規で働くしかない韓国の若者たち。だからこそ若者たちは「安定」を求めて公務員試験に殺到し、コシウォン(考試院)という勉強部屋に住み込んで公務員試験に備えている人も多い。そんなコシウォンには、日本のネットカフェのように住居がなく住んでいる人もいるそうで、08年にはコシウォンで31歳無職の男性が放火。更には他の宿泊客を刃物で切り付け、6人が死亡、7人が重軽傷を負っている。男性は生活費に困っていた上に以前から自殺願望があり、「世間が無視する。生きていくのが嫌になった」と供述したという。奇しくも同年、日本では秋葉原無差別殺傷事件が起きている。

 もうずっと前から日本と韓国では、驚くほど似通った絶望が社会に漂っているのである。

 格差や貧困が深刻化しているのは日本と韓国だけではない。世界中の先進国で、同じような現象が起きている。私たちはたぶん、似た種類の「絶望」を手がかりに、連帯できると思うのだ。そのひとつの実践が、「NO LIMIT 東京自治区」だった。

 さて、絶望ばかりもしていられないが、この国でも、ある意味「絶望」から始まったような運動が支持を集めている。それは「AEQUITAS(エキタス)」。最低賃金1500円を求める彼らがなんで「絶望」? と思う人もいるかもしれないが、デモでの彼らの等身大のスピーチを聞いていると、一度「絶望」した人が、遂に言葉を獲得し、地上に這い上がり、やっと自らの思いを言葉に乗せられたような、そんな迫力に身震いするからだ。

 2017年は、どんな1年になるだろう。残念ながらあまり楽観できる要素はないが、ここで黙ることは現状を容認することだ。声を上げつつ、そして声なんかとても上げられない人々の小さな声にも耳を澄ましつつ、多くの人と「よりマシな未来」を模索したいと思っている。

 

  

※コメントは承認制です。
第399回怒濤だった2016年。の巻」 に3件のコメント

  1. magazine9 より:

    この1年間の雨宮さんのコラムを振り返ってみても、「こんなにいろいろなことがあったのか」と驚くほどです。暗い話題が多くありましたが、一方で、デモが身近になったり、抗議行動のバリエーションが生まれたり、さまざまなトピックで声を上げる機会が増えた1年もありました。絶望から、きっと希望が芽を出すはずだと信じて新しい年を迎えたいと思います。

  2. James Hopkins「反戦ネットワーク(2002/08)」賛同 より:

    われらひとにとって、ときの刻みとは、ただ過ぎてゆくこととはおもえず、つねに過去来歴へのふりかえりとともに向かうところの未来と、そこにもたらされるであろふことどもをめぐるさまざまを推察思慮することを伴っている。

    さてシリアのMar Yakub修道院のMother Agnes Mariamは自身の”twitter”で、”不正義を目前に知りながらもそれに沈黙することは、不正義に加担することに均しい”と云ったことばを記している。
    また彼女のつぎのようなことばは心胸に迫るものがある。
    ”Thanks to all who are thanking me.I try to follow my consciousness. No discrimination. Searching truth and compassion = best fight terrorism.”21Dec.2016/Mother Agnes Mariam
    Salut

  3. 多賀恭一 より:

    2017年は衆議院の冒頭解散が噂されている。
    どんなに素晴らしい活動を行っても、
    民主主義国家では、選挙に勝たなければ主張は通らない。
    既に、2017年の戦いは始まっている。

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雨宮処凛

あまみや・かりん: 1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮日記」

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