雨宮処凛がゆく!

 1月17日、とても嫌なことが起きた。

 ご存知の通り、小田原市の生活保護担当の職員が「保護なめんな」「不正受給はクズだ」などの言葉が入ったジャンパーを勤務中に着用していたという問題である。各種報道を見ると、10年前の2007年、生活保護の支給が停止された男性が職員を切りつけるという事件が起きたことが「ジャンパー制作」のきっかけだったようだ。現場の空気を盛り立て、連帯感を高めるというような意味で作られ、64人が購入したという話もある。

 もうどこから突っ込んでいいのかわからないが、この国の最後のセーフティネットであり、まさに命の砦を支える現場で働く人が、これほど無神経なことをしていたことが残念でならない。

 まず、「不正受給はクズ」などと書いているわけだが、生活保護の不正受給は2%。額にして0.5%。もちろん、少なくても不正受給は決してあってはならないことだが、98%の人は適正受給なのである。すべての条件を満たして(ということは本当に資産も何も失った状態で)受けているのである。そんな適正受給の人の家庭に訪問する時にも着ていたというジャンパー。

 ちなみに、現在、生活保護を受けている人の半数以上が65歳以上の高齢世帯。次に多いのが障害・傷病世帯で3割近く。高齢や病気、障害を抱えて働けない人で8割近くを占めているのである。また、母子世帯が6%、稼働年齢層である「その他世帯」は16%ほど。それぞれが様々な事情を抱え、働きたくても働けなかったり、どうしても仕事が見つからなかったりで貯金も底を尽き、役所の窓口を訪れるわけである。

 そんな「生活保護という制度がなければ生活できない人たち」が、「保護なめんな」という文言や「悪」という字にバツ印がつけられたジャンパーを見て、どのような気持ちになっただろうか。自分だったら、と想像してほしい。惨めな気持ちになったり、罪悪感に苛まれたり、恐怖を感じるのではないだろうか。それを思うと、「生活保護受給者の自殺率は一般の人々と比較して2倍」という数字が迫ってくる。

 さて、そんなジャンパーが作られたきっかけとなった「支給停止された男性が職員を切りつけた」事件だが、一部報道によると、この支給は「住所不定」になったことで打ち切りとなったらしい。が、生活保護は、住所不定でも受けられる。ホームレス状態でも、その地に住民票がなくたって受けられる。このことは08年末から09年明けの「年越し派遣村」以降、広く知られるようになったわけだが、それ以前は「ホームレスは受けられない」などの間違った言い分で追い返される「水際作戦」がまかり通っていた。どれほど追いつめられたとしても職員を切りつけることなどは決して許されないが、この時の「打ち切り」に違法性がなかったかどうか、職員たちがすべきはそれを徹底的に調査することで、「ジャンパーを作る」ことではないだろう。

 この事件が起きたのは07年だが、この年は、生活保護が大きく注目された年でもあった。北九州市で、生活保護を「辞退」させられた男性が「オニギリ食べたい」という言葉を残して餓死したことが大きく報じられたのだ。その前年には、同じく北九州市で、元タクシー運転手の男性が生活保護を受けられずに餓死するという事件も起きていた。このことによって、「申請に行っても『働け』などと追い返す」水際作戦が大きな批判を浴びたわけだが、小田原市はそんな役所への逆風の中、あのジャンパーを作っていたのである。

 そんな今回の事件、とりわけショックだったのは、小田原市の職員が、生活保護の担当を「誰もやりたがらない人気のない仕事」と言っていたことである。

 貧困問題に10年以上関わる私の周りには、現役のケースワーカーや元ケースワーカーなど、生活保護の現場で奮闘してきた人たちがいる。彼ら彼女らの熱意、そして「自分たちが最後のセーフティネットを支えているのだ」という自負と誇り、また、一人ひとりと丁寧に向き合う姿勢などを日々見ている私は、「生活保護の仕事って、大変だけどものすごくやりがいがある尊い仕事なんだ」と常々思い、プロとしての彼ら彼女らに尊敬の念を抱いていた。しかし、そうやって受給者に優しいまなざしを向け、伴走するように支援する職員がいる一方で、小田原市では「誰もやりたくない仕事」でしかなかったという事実。生活保護については、自治体によってあまりにも対応に格差があることが問題となり続けているが、「命の最後の砦」(ここで追い返されたら、死ぬ確率がもっとも高い窓口である)を守る現場の意識の違いに、愕然としたのだった。

 さて、どうにもフォローのしようもない今回の事件だが、このようなことが起きてしまう背景としてひとつ挙げたいのは、「現場のオーバーワーク」という問題である。

 11年に生活保護受給者が200万人を突破したわけだが、以来、受給者は過去最高を更新し続けているような状態だ。が、受給者は増えているのに、職員は増やされていない。よって一人あたりの担当ケースは増え続け、本来であれば80ケースくらいが標準のところ、一人あたり120〜130ケースを担当しなければならないという地域もある。「誰もやりたがらない」という言葉の背景には、このような事情もあるのだ。

 現場の職員が常に過労状態で、とにかく一人でも受給する人を減らしたいと思うようになれば、申請に来た人を窓口で追い返す水際作戦が横行し、「打ち切り」の誘惑にもかられるだろう。決して許されることではないが、「小田原の職員がひどい」というだけの話ではないのだ。まずは国がちゃんと職員を増員して、現場のオーバーワークに対応すべきなのである。「個人の頑張り」にだけ頼っているから「連帯感を上げる」などとしてこのような馬鹿げたことが起きてしまうのだ。

 と、ここまでいろいろ書いてきたが、このジャンパー問題に対する一連の過熱気味の報道やバッシングの激しさに、若干違和感を覚えている自分もいる。それは、「今回の小田原のことをバッシングしてる人の中に、12年の生活保護バッシングに燃えてた人、いそう…」というものだ。

 今から5年前の2012年、芸能人の家族が生活保護を受けていた問題を受け、嵐のように広がった生活保護バッシング。悪ノリしたテレビ番組の中には「受給者の監視」を呼びかけるものまであり、私のところにも生活保護受給者から「怖くて家から出られない」「買い物に行けない」「日本中から死ねと言われている気がする」という悲鳴のような声が多く寄せられた。このバッシングには片山さつき氏など自民党の政治家も大いに加担し、「生活保護を受けていることを恥と思わないことが問題」などと発言。私が把握しているだけでも、この時期、生活保護受給者が数人自殺している。

 このバッシングが起きた12年、自民党は生活保護プロジェクトチームにて「生活保護費10%削減」を掲げ、12年末、第二次安倍政権が始まってすぐに生活保護費を引き下げている。バッシングが、政策を後押ししたと言えるだろう。これによって、この国でもっとも生活が厳しい層、特に子どものいる生活保護世帯は大打撃を受けた。13年には「子どもの貧困対策法」が成立するわけだが、その前に安倍政権は生活保護世帯の子どもを見捨てるような引き下げを敢行しているのである。

 さて、なぜわざわざ「同じ人が正反対のバッシングに参加してるのでは?」と書いたのかと言えば、「バッシング」に、「祭り」として参加する人も一部いるからだ。が、軽い気持ちのバッシングが、このように政策の変更に繋がるなどの事態を生み出すこともある。

 例えば12年の生活保護バッシングの5年前の07年は、前述したように北九州市の餓死事件が注目され、「役所の水際作戦はひどい!」というバッシングが起きた。「ヤミの北九州方式」なんて言葉も生み出されたわけだが、「役所がこんなにひどい」というバッシングは、どこか形を変えた公務員バッシングに見えた部分もあった。もちろん、北九州の役所は当時、本当にひどかった。しかし、そんな水際作戦や打ち切りが横行した背景にはやはり国による締め付けがあったものの、多くの人には興味のないことだった。そうして嵐のようにバッシングは盛り上がり、すぐに忘れられた。

 それから5年、今度は12年に生活保護バッシングが起きたというわけだ。そうしてそれから5年、今また役所が叩かれている。その間、生活保護の捕捉率(受けられる人がどれだけ受けられているか)は2〜3割と少しも変わっていない。貧困率が16.1%であれば、貧困ライン以下で暮らす人は2000万人ほどいる計算になるが、生活保護を受けている人は216万人。貧困ラインだけで計算すると、1割強しか受けていないことになる(フランスの捕捉率は9割、スウェーデン8割)。

 そのように、根本的なことは何も解決していないこの10年間に、生活保護を巡って実に3度のバッシングが起きているのだ。1度目は「餓死した人可哀想!」、2度目は「生活保護受けてる奴らって甘えて怠けて楽して得してる!」、3度目は「小田原の職員、ひどすぎる!」。そうして一時だけ盛り上がり、ガス抜き作用もあったりして、おそらくすぐに忘れられていく。国が職員を増やすべき、捕捉率を上げるべきという根本に触れられることはなく。

 このような構図は、30年前にもあった。

 1987年、札幌市白石区で、3人の子どもを持つシングルマザー(39歳)が餓死したのだ。この女性は一時期は生活保護を受けていたものの、打ち切られていた。その後、3つも仕事を掛け持ちしながら子どもを育てていたが、体調を崩して働けなくなり、役所を訪れる。が、「若いから働ける」「別れた夫に『扶養できません』と一筆書いてもらえ」などと言われ、申請を阻まれたのだ。ちなみに女性は別れた夫にDVを受けていた。そんな相手に一筆書いてもらうことなど到底無理だろう。結局、生活保護の相談に行ってから2ヶ月後、女性は骨と皮の状態になった遺体で発見される。大柄だった女性の体重は30キロまで減っていたという。3人の子どもたちは、同じ市営住宅の人にお金を借りるなどしてなんとか食事をとっていたらしい。

 30年前のシングルマザー餓死事件の背景にも、生活保護バッシングがあった。この事件が起きる数年前は、第二次石油危機などで少しずつ受給者が増えていた時期だという。そんな頃、暴力団による不正受給問題が発覚し、マスコミで大きく報じられた。それを受けて81年、当時の厚生省は「123号通知」を出す。不正受給をなくすために、審査を厳しくする通知を出したのだ。これによって「水際作戦」が増えることになる。

 受給者の増加、不正受給発覚によるバッシング、そして「締め付け」が始まり、餓死者が出る。そうして役所が日本中からバッシングされる。既に30年前にこのような構図があったのである。

 そうしてシングルマザー餓死事件から25年後の2012年、同じ札幌市白石区では、40代の姉妹が孤立死している。死因は餓死・凍死と見られている。妹には知的障害があり、姉は生前、3度も役所に生活保護の相談に訪れていた。しかし、「若いから働ける」などと追い返され、最後に役所を訪れてから半年後、変わり果てた姿で発見されたのだ。

 今回の小田原市のジャンパー事件。バッシングだけに終わらず、なぜこのようなことが起きたのか、根本的な原因はなんなのか、どこを解決すればいいのか、そんな建設的な議論に繋がることを祈っている。

 バッシングってすっきりするし、なんなら「正義感」も満たされるし、暇つぶしにはもってこいだ。

 だけど、それでは何も変わらないことを見てきたからこそ、冷静に事態を見守り、発信していきたいと思っている。

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『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)から10年、
貧困問題を追った集大成的な一冊になりました。

 

  

※コメントは承認制です。
第402回生活保護バッシングと役所バッシングの5年周期〜「保護なめんな」ジャンパー問題に思う〜の巻」 に5件のコメント

  1. magazine9 より:

    昨日(24日)、雨宮さんはじめ生活保護問題対策全国会議のメンバーが、小田原市の担当者と面談をしたそうです。おかしいことはおかしいと言うこと、黙認しないことは本当に大事なことだと思います。小田原市では新年度からケースワーカーの増員を決めたそうですが、こうした事態が起きる前に改善できなかったのでしょうか。人を大事にしない職場、社会の在り方が、悪循環を招いている気がします。

  2. 樋口 隆史 より:

    GDP世界第三位とやらの国でどうしてこういうことが起きるのか、頭の悪いわたしには理解出来ません。結局、国や権力者からすると弱いものや邪魔者は死んでくれ、と言うことなのでしょう。しかし、現代における国や権力の形は弱者救済など相互扶助の実践が人類としての進歩の証しであり、それなしではなんのためにこの地球上に人類とやらがはこびっているのか。本当はしっかり富の正確な計算と正しい再分配を行えば、誰も働かなくても数十年は暮らせるんじゃないか、でもそれを隠している・・・・・・そんな邪推すらわたしら庶民には思い浮かんできます。

  3. ルパン13世 より:

    生活保護によって同じ市民の命、生活を守ってることをうまく伝えたいですよね。

    そのうえで、生活保護を申請した人に向けて、家計のやりくりのヒントとか、お金の使い方について気軽に相談することができたら、彼らの生活を立て直すのに役立つと思うのですが、どうでしょうか?

  4. 鳴井 勝敏 より:

    > 「生活保護を受けていることを恥と思わないことが問題」。この発言に問題が凝縮されていると見る。恥と思うか否かはその人の勝手だが、思わないことがなぜ問題なのか。
    無知の姿をさらけ出す片山さつきさん。 あなたの発言が恥ずかしい、等という軽い話ではない。これは、無知、不安、差別の流れに沿う発想。ヒトラーのユダヤ人大量虐殺、障害者大量殺人を犯した青年の優勢思想に通じるものだ。

  5. 鈴鹿修 より:

    こんにちは。逆ですよねえ。「恥と思わないようにしなければならない」ですよね。公務員も一般人も、受給者が世の中で堂々と気兼ね無く生きていけるようにしなければ、制度の意味はないし、また、生活保護を抜け出す力を蓄えさせることもできないだろうと思います。一定数生活保護でずっと行くしかない人が居るのはもちろん、抜け出すことが期待される人でも、このような状態では疲弊していく一方で休んで力を蓄えることなどできません。

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雨宮処凛

あまみや・かりん: 1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮日記」

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