雨宮処凛がゆく!

 今月からマガジン9条で連載させて頂くことになった。
 自分が「9条」と名のつく場所で連載なんて、あまりにも感慨深い。なぜなら、10年前、私は「憲法改正」を謳う某右翼団体に所属していたからである。その辺は一回目にマガジン9条に登場した時のインタビューを読んで欲しい。

 なぜ私は右翼団体にいたのか。答えはいろいろあるが、当時私がフリーターだったこととの関連は大きい。私が高校を出る頃にバブルが崩壊。大学にも入れず(2浪しても全部落ちた)、時代は就職氷河期で会社にも入れない。とりあえずフリーターになった私はただ1人、社会の中でどこにも属していないような日々を送っていた。どこかに属したくて仕方なかった。だからこそ、一気に国という共同体と接続できた。

 誰にでもできる仕事の単調なフリーター生活は、「私にしかできないこと」を強烈に欲望させるものでもあった。また、当時の私は非常に貧乏だった。そんな私が比較したのは第三世界で飢え死にしているような人達だった。そうした人を見ると、「日本に生まれた日本人」の自分はまだ幸せだと思えた。自分について幸運だと思えることが「先進国の日本に生まれたこと」くらいしかなかったのだから仕方ない。国内のホームレスを見ても安心感は得られなかった。なぜなら、それは近い将来の自分の姿に見えたからだ。自分はこのまま、一生時給800円から1000円くらいで働いていくしかないのだろうかと日々不安だった。一応女だから「結婚」という逃げ道も頭をちらついたが、悲しいことに貧乏な女の周りにはそれに輪をかけたような貧乏な男しかいないのである。

 そんな日々は私を追い詰めていった。生きている意味などこれっぽっちもなく、リストカットを繰り返していた。そんな時、知り合いが右翼の集会に連れていってくれたのだ。彼らは私の生きづらさの原因を「アメリカ」と「戦後民主主義」のせいだとブッた切った。それまで、自分が貧乏なのも生きづらいのも、全部自分のせいだと思っていた。しかし、目の前に「敵」が提示されたのだ。怒りを自傷という形で自分に向けずに済む口実が与えられたのだ。私はこれに飛びついた。そうして私は団体に入会した。

 右翼団体をやめた理由はインタビューを参照して欲しい。その後作家となった私は、ずっと自殺や生きづらさの取材をしていた。しかし、数年間、そんなことを追い続け、出口のなさに疲弊してもいた。02年からずっと20代、30代の死因のトップを独走する「自殺」。「自己責任」という言葉が蝕む若者の心。何か、構造的な原因があるはずだと思った。そして「プレカリアート」(不安定なプロレタリアート)という言葉と出会ったのだ。むき出しの資本主義が世界を席巻し、多くの若者の生活自体を直撃している。世間にはびこる「人を蹴落とし、競走に勝ち続け、莫大な富を築くのも自己責任、負けてホームレスになり、餓死するのも自己責任」というメッセージ。こんな世界でどうやって心身ともにマトモに生きていけというのだろう。

 もしかして、不況やグローバル化した経済によって「働くこと」が崩壊したことと、自殺、生きづらさの問題は繋がっているのではないか? そう思った。だって、不安定な生活は不安定な心を生む。働くことが崩壊することは、生きることが破壊されることだ。ロストジェネレーションという言葉が示す通り、失われた世代は「今年の新卒が売り手市場」という言葉を尻目に、たまたま生まれる年が悪かっただけのことで10年以上も不安定なフリーター生活をしいられている。そして一度フリーターになると閉ざされる正社員への道。フリーターだけではない。今や働く人の3人に1人が非正規雇用だ。そんな彼らの中には過去の私のようにさらりと「愛国」に絡め取られている人も目立つ。私は猛烈に取材をはじめ、そして思ったより事態が深刻であることに気づいた。「ネットカフェ難民」という言葉が示すように、フリーターの一部は既にホームレス化していた。あるフリーターは私とまったく同じように「アフリカなんかで飢えている子供にくらべればまだマシ」と自分を肯定した。ある元フリーターは心を病み、ひきこもっていた。そして「偽装請負」などの違法な働き方があらゆる企業に蔓延したことによって、製造業で働く若者が過労死、過労自殺に追い込まれていた。多くの企業が、国際競走に勝つためなら、若者の命や生活、未来を平気で犠牲にしていた。若者たちは既に「難民」化していた。これのどこが自己責任なのか? そんなことを取材しまくり、書いた本が今月15日、発売となった。「生きさせろ! 〜難民化する若者たち〜」(太田出版)だ。

生きさせろ!

15日に発売された「生きさせろ! 〜難民化する若者たち〜」(太田出版)、表紙のイラストはなんと花沢健吾さん! 超細かい注文に応じて下さり、感謝です。
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 ハッ! 連載初回なのに、自分の本の宣伝になってしまった。が、これは憲法25条、「生存権」の問題だ。不安定化した若者の生活から、右傾化の問題も必然的に浮かび上がってくる形となった。とにかく、この文章を読んだ人は、万難を排して読んでほしい。今の日本で何が起こっているか、知ってほしいのだ。

 

  

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雨宮処凛

あまみや・かりん: 1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮日記」

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