雨宮処凛がゆく!

一本裏道に入るとコドモ天国。写真を撮れと集まってくる。
このあとこのコドモたちにやたらとセクハラされた・・・。

 3月20日から28日まで、インドに行った。ハイダラバードというIT都市で初めて行われる映画祭に、私が共同脚本をつとめた映画「PEEP"TV"SHOW」(監督・土屋豊)が招待されたのだ。初めてのインドに胸を高鳴らせ、ハイダラバード空港に深夜、到着。空港には映画祭のスタッフが迎えに来てくれているというので行ってみると・・・来てねぇよ。
 こうして到着一秒後にして路頭に迷うという、インドらしい洗礼を受けることになった。なんとか自力で安ホテルに泊まるものの、その晩は蚊の総攻撃に悩まされたのだった。
 翌日、映画祭の事務局に行き、ホテルに連れていってもらった。ホテルと言っても「フィルムクラブ」という施設の宿泊所なのだが、これがあまりにも豪華な部屋だった。フィルムクラブは「映画村」とでも言うべき場所にある。これまでインドの映画都市と言えばムンバイだったそうなのだが、それがハイダラバードに移転し、現在、ハリウッドならぬ「ドリウッド」建設が進められているという。

市場の中で野菜や草を食べる野良ヤギ。ちなみに私はインド滞在中、
汚い食堂や露店のものばかり手づかみで食べていたのに、
一度も腹痛さえ起こさなかった。どんだけ丈夫な胃腸?

 そんなハイダラバードはイスラムの街で、朝と夕方には大音量でコーランが響き渡る。街には一万人収容のモスクがあり、行くと知らないオヤジに勝手に案内されてやたらと金を巻き上げられる。道にはリクシャーと乗用車とバスが猛スピードで走り、信号などという概念のないインド人たちは途切れることのない車の流れに突っ込み、命懸けで車道を横断する。
 
私の身体ギリギリを掠めて走り去る車の群れ。気がつけば、私の腕を掴んで離さない物乞いの老人、男、女、子供、手足のない人、象皮病で顔半分が崩れた人。0.1秒に一度は鳴らされるクラクション。車道をゆっくりと渡る牛の群れ。その喧噪の中を、死体を担いだ男たちが太鼓を鳴らし、歌い、花びらを巻き散らしながら通りすぎる。西瓜とライチとパパイヤとサトウキビの熟し、腐った匂い。気温は40度近く。
 
真昼の太陽の下、そうしてぽかんと口を開けた死体は原色の着物に身を包み、花びらと歌声を浴びながら慣れ親しんだ街を空洞の目に焼きつけている。まるで幻覚のような光景。熱に浮かされた時のような視界が狭まる感覚に、ただただ私も口をぽかんと開けて見入っていた。

映画上映の際の舞台挨拶で、監督と私にレイがプレゼントされた。
ちなみに「PEEP"TV"SHOW」は全国レンタル店でDVD、
ビデオレンタルできます。

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 インドは何も隠さない。大の男が道端でウンコし、子供がゴミを漁り、道端では昼も夜も何も持たない人々が着の身着のまま眠っている。ゴミ捨て場で家族が肩を寄せあって暮らし、牛や馬やヤギや犬や猫や鳥が歩き回り、ゴミを漁って食べている。
 日々、インドに圧倒されていた。肝心の映画祭の方はというと、ネズミの走り回る映画館で、大盛況の上映となった。オープニングパーティーは迎賓館のような場所で行われ、各国大使館の大使、インドの映画監督などが参加した。ちなみに私は「日本の女優」と勘違いされ、カメラマンが群がり、何度も新聞の誌面を飾ることになってしまった。英語ができないのに英語で記者会見したことから更に誤解を招き、「女優」だけでなく「カメラウーマン」「ファッションデザイナー」というニセの肩書きばかり増えてしまった。

「女優」と勘違いされたまま載ってしまったインドの新聞・・・。いいのか? おかげで道を歩くと有名人扱いでした。

 帰国前日、マイクロソフトなどが進出する「ハイテクシティ」に行った。ハイダラバードがIT都市と言われるゆえんの場所である。スラムの中でゴミを漁る人々が住むすぐ近くに、IT関係の会社のピカピカのビルが乱立していた。インドにいる間、私の滞在するフィルムクラブと街との往復は常に格差ジェットコースターだったが、そのジェットコースターは、ハイテクシティとスラム間が最速だった。
 よく、日本の格差など他の国に比べたら大したものではないと言われる。確かにその部分もあるだろう。しかし、『生きさせろ! 一難民化する若者たち』で書いたように、そういう言い方は「犠牲の累進性」と言うべきだ。正社員の長時間労働よりも非正規の低賃金が、非正規よりもホームレスの方が、日本のホームレスよりも第三世界のスラムの貧民の方が、という形でひたすら我慢を強いても何の解決にもならない。過労死したり、ホームレスが餓死しているならば、それはもう日本国内に第三世界が出現しているということだ。
 マイクロソフトのビルのもとに広がるスラム。それは決してインドだけのことではない。帰国してすぐ、「ネットカフェ難民」ならぬ「マック難民」という言葉が登場した。24時間営業のマクドナルドに寝泊まりする日雇いの若者、中高年だ。ネットカフェに泊まるには1000円ほどかかるが、マックは100円で長時間居坐れる。マクドナルドやマイクロソフトに象徴される多国籍企業がボロ儲けしている影で、大量の人々が住む場所も失っているという現実。

 さて、もうすぐ都知事選だ。この間「週刊女性」で石原慎太郎氏と対談したが、彼は絶対にネットカフェ難民、マック難民に象徴される若者たちを救ってくれないことだけは確かである。私がホームレス化しているフリーターなど非正規雇用の状況について訴えると、彼はルワンダの貧困の話をした。まさに「犠牲の累進性」だ。そして「仕事はいくらでもある」と。確かにあるだろう。数カ月で過労死秒読みになる仕事や日雇いの肉体労働、短期の派遣や三ヵ月で解雇され、路頭に迷うことが宿命づけられているような仕事なら。働くことが脅かされ、「普通に生きる」ことすら難しくなっている現状が、日本で一番くらいの「勝ち組」である彼にわかるはずがない。先日、「浅野勝手連」の誘いで、そんな話を街頭でさせてもらった。

 

  

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雨宮処凛

あまみや・かりん: 1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮日記」

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