雨宮処凛がゆく!

 突然の「宿代・食費の自己負担」に、10人ほどが辞めていった。

 ごぼうさんは「最初の約束と違う」と主張したものの、2012年10月、突然「あと一ヶ月で解雇」と告げられる。

 そこでごぼうさんは、前から知っていたというフリーター労組に相談。「解雇撤回」を求めて元請けと下請け会社に団体交渉を申し入れる。が、元請けは団交を拒否、下請け会社も誠実な対応をしないという状況が続いた。

 そうこうしているうちに、11月末には宿を出なくてはいけなくなってしまう。

 原発で働く前は東京に住んでいたごぼうさんだが、アパートは既に引き払っていた。

 東京に戻ったごぼうさんは、仕方なく、ネットカフェを転々とする生活を余儀なくされる。季節は冬。原発での仕事は日給1万円だったものの、月給は手取りで16万円ほど。「危険手当」や「帰省交通費」なども一切支払われていなかったので、ネットカフェ代や生活費にもすぐに事欠くようになる。そこでフリーター労組の勧めで使ったのが、「雇用保険の仮給付」という制度だ。

 「解雇撤回で会社と争ってるんでこっちは解雇を認めてないんですけど、生活できないんで、職安でそのこと説明して、会社と係争中ですってことで、仮給付という形で失業給付を出してもらったんです。普通の失業給付とまったく同じ額。ただ、もし会社が解雇を撤回してこっちが復職できたら、給付はちゃんと返すっていう契約書を書きます」

 そんな制度があることを、どれほどの人が知っているだろう。

 しかし、最初の給付はいろいろ複雑な計算方式があるのだろうが、5〜6万円。これではとても生活できない。ということで、ごぼうさんは2012年12月暮れから一ヶ月ほど、ネットカフェ生活をしながら生活保護を受ける。最低生活費に届かない分の「差額」を支給してもらったのだ。

 「それで、ネットカフェ代とかなんとかしました。で、二回目の失業給付が15万円くらいだったので、生活保護は廃止にしました。今はアパートを借りて、そこに住んでます。生活保護って勧めづらいけど、人によっては医療とか考えたら、死ぬよりは使った方がいい(生活保護を受給すると、医療券が出るので、お金の心配をせずに医療を受けられる)。特に冬だったら。作業員の中には、仕事なくて家ないから、除染とか原発って人間もいる」

 約10ヶ月間、原発で働いていたごぼうさんだが、計算上だとその間に20ミリシーベルトの被曝をしているはずだという。ひと月にして、2〜3ミリシーベルト。それだけでなく、毎日の「通勤被曝」は往復で15マイクロシーベルト。日給は1万円だったものの、途中からは様々なものが自腹と言われ、実質拘束時間は12〜13時間。危険手当も帰省交通費もなし。これが、「レベル7」という世界最悪の事故を起こした原発の収束作業にあたる作業員の現実である。ちなみにごぼうさんには、いまだに放射線管理手帳が支給されていないというから驚きである。 

 多くの人が、脱原発の声を上げて2年半。もちろん、私も声を上げてきた。しかし、収束作業にも廃炉作業にも、当然、多くの「被曝労働者」が必要とされる。この問題を、どう考えればいいのだろう。

 「廃炉にするのも、収束作業も、人が足りてないんです。まずは、労働環境をちゃんと整えることだと思う。重層下請け構造が問題で、そうすると、必要な時だけ下請け会社通して人集めて、すぐにクビを切れる。雇用の問題としては、直接元請けで雇用するか、東電で直接雇用する。

 あと、准国家公務員扱いにするべきというのもよく言われますね。住居も医療も将来の生活も保証する形。例えば俺は今回、1年経たずにクビになりました。その間に、無駄な被曝をさせられています。収束宣言や会社の金儲けのために装備が軽くなって内部被曝したり、やらなくていい仕事したり。その分、計画線量に近づくので長く働けなくなる。それが長期雇用となると、会社も責任持たなくちゃいけないので、一人が長く働けるよう、計画的に安全なやり方を考えることになる。一人が長く働ける状況だったら、みんなが原発に働きに行く確率が低くなる。原発で働いて思ったけど、何も特別なことじゃない。ピンハネされるって言っても、地方の最低賃金考えると、原発や除染の方がよっぽど高いし、地元に仕事がないって現実がある。生活が不安定な人たくさんいるけど、たまたま今、自分が原発に行ってないだけなんじゃないかな。そういう見方もあると思います」

 取材から数日後の7月7日、東京都・新宿で、あるパーティーが開催された。

 それは「ごぼう争議案件 解決報告パーティー」。

 長らく元請け・下請け会社と争っていたわけだが、それらが「解決」したのである。が、解決内容は秘密にしなければならないということで、残念ながらここには書けない。しかし、この日のごぼうさんの笑顔はとっても明るいものだったということは書いておこう。

 パーティーには、原発労働者や除染労働者も多く訪れ、みんなでごぼうさんの案件の「解決」を祝った。

 それから、2ヶ月。

 安倍首相は、汚染水を世界にまき散らす福島第一原発が「コントロールされている」という大嘘を世界に垂れ流し、「東京が福島から250キロ離れている」というオリンピック招致のための言葉は、多くの人の心を傷つけた。

 そして今も、イチエフではたくさんの人たちが働いている。

 2013年10月現在、この国では一基の原発も動いていない。

 しかし、そのことを喜ぶ前に、今も収束作業にあたる人々のために私たちに何ができるのか、改めて、そんな課題をもらった。

 

  

※コメントは承認制です。
第275回 被曝労働〜事故後の福島第一原発で働くということ。の巻
(その3)
」 に3件のコメント

  1. magazine9 より:

    たとえ、「一基の原発も動いていない」今の状況のまま、すべての原発が廃炉に向かったとしても、それでも今後、多くの被曝労働者が生み出されることは間違いない。その処遇や保障が「ごぼうさん」の体験したようなものであっていいはずはありません。そう思うと同時に、さらに多くの被曝労働者を生み出す再稼働や新規建設は、(その面からだけ考えても)やっぱりおかしすぎる、との思いを強くしました。

  2. 福島応援団 より:

    生活保護をバッシングする人って、私の周りでは生活に余裕のある人が多い気がします。生活保護を受けざるを得ない人たちのことを考える気持ちの余裕こそが必要ですよね。原発労働者で、高齢になり働けなくなり路上生活者になる人が多いと聞きます。そのような方々のお蔭で東京人の生活は成り立っていたというのに、生活保護となると目くじらを立てるというのは悲しすぎます。

  3. 田中靖 より:

    カリンさんのこのコラムを誰か、英語や、フランス語、ドイツ語など世界中の人たちに発信できませんか。僕は外国語ができないのでお手伝いできませんが、海外からの反響に一番びくつく人たちに薬になると思います。
    安倍さんたちは、私たちみたいの日本人のの意見をたかにくくっていますから。外圧を期待することはさみしいことですが。

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雨宮処凛

あまみや・かりん: 1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮日記」

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