雨宮処凛がゆく!

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「あかね」にて赤木智弘さんと。今月号の「月刊オルタ」に
対談が掲載されています。また、赤木さんに刺激を受けて、
今発売中の「群像」の連載「プレカリアートの憂鬱」で、
「『難民』たちよ! 100円でマクドナルドを占拠せよ!
32歳、不安定作家 希望は、革命戦争」という原稿を書きました。

 この間、NHKで放送された「クローズアップ現代」に出演した。「憲法9条」についての番組だ。
 憲法9条をテーマとする「マガジン9条」のサイト上でこんなことを言うのもなんだが、私にとって「憲法」の問題とは、やはり少々遠い。生活、そして生きることそのものと密着したプレカリアート問題と比べ、どうしても距離を感じてしまう。また、護憲派の人々の「テンションの高さ」についていけない部分があることも事実だ。例えば、憲法9条を守ろう! と叫ぶ人達はもう既にそのモードにどっぷり入っているので、憲法の問題にまったく興味がない層に訴えかける言葉を失っているように感じる。「9条一筋30年」みたいなオーラが出ていて、対話の糸口がなかなか見つけられない。なんか言うと怒られそうだし。で、もっとも重大な問題は、「憲法の話」って、眠くなるのだ。不眠症の人は「日本国憲法」を枕元に置いておくといい。私も今まで様々な不眠対策本(「判例タイムズ」とか、「国民生活白書」とか)を試したが、「日本国憲法」を上回るパワーのものはない。

 番組を見た人は御存知だろうが、番組の中で、私は「31歳フリーター 希望は、戦争。」という文章を書いた赤木智弘さんと対話した。「論座」1月号で赤木さんが書いたこの原稿は大きな反響を呼んでいる。コンビニで働く彼の月収は10万円強。私と同じ年の彼は、就職氷河に就業年齢を迎え、フリーターとして10年以上、働いてきた。彼は書く。「バブル崩壊以降に社会に出ざるを得なかった私たち世代(以下、ポストバブル世代)の多くは、これからも屈辱を味わいながら生きていくことになるだろう」。
 
しかし、彼らの苦悩は「努力が足りない」の一言で済まされる。彼が望むのは、「再チャレンジ」などというギャンブルではなく、安定した職だ。結婚して家庭を持つことや貯金など、「夢のまた夢」でしかないフリーターの「尊厳」はどこに消えたのかと彼は嘆く。彼らが低賃金労働者として社会に放り出されてから、もう10年以上経った。しかし、社会は彼らを罵倒するだけで救わない。今年の新卒は売り手市場と言われているのに、たまたま社会に出る年が悪かっただけでこの有り様だ。「平和」が続けば、こんな不平等がずっと続く。
 だから、彼は書く。「極めて単純な話、日本が軍国化し、戦争が起き、たくさんの人が死ねば、日本は流動化する。多くの若者は、それを望んでいるように思う」。

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なんと、あの小林よしのり氏と対面!!
どんな対話になったのかは、来月発売の「論座」で。

 さて、あなたはどう思うだろう。私はショックを受けながらも、過去の気持ちを思い出した。赤木さんと同じく「失われた10年」に社会に放り出され、20代なかばまでフリーターとして低賃金単純労働に従事していた私は、その頃、右翼団体にいたからだ。失うものもなければ、フリーターからの出口もなかった。戦争や大地震でも起こってくれないと永遠に「再チャレンジ」の機会はないと思っていた。もうひとつの出口は「自殺」だ。当時の私の愛読書は「完全自殺マニュアル」と「戦争論」。それがちっとも特別でないことは、この2冊がこの世代によってどれほどの部数を稼ぎだしたか考えてみればわかるだろう。
 
自殺志願とないまぜになった破滅願望。戦争待望。二十歳の時にオウム事件と阪神大震災で戦後の価値観と具体的なモノが崩れるのを目撃し、それ以前、バブル崩壊によって「普通に就職して生きていく」ということが一部特権階級にしか許されなくなったことを身を持って知っていた私は、それまでの教育過程で教えられたことがまったく通用しない時代に突入したことを知っていた。「頑張ればなんとかなる」なんて言葉と同じくらい、「反戦平和」という言葉を空虚に感じた。
 
どうすれば最低限、餓死したり、ホームレスになったりしないのか、そんなことさえ予測不可能な地平でフリーターをしていた私は、自分たちが誰も経験したことのない不安定な生き方をさせられる第一世代になったことをわかっていた。それなのに「だらしない」などとバッシングされる。当時の私は、このままいけば一生時給800円から1000円の間で使い捨て労働力として生きていかざるを得ないことも知っていた。フリーターのままでは30代、40代、50代になっても収入は変わらず、逆にまだ体力のある20代がもっとも稼げる時期だという厳然たる事実も。だけど、誰もフリーターを助けてくれなかった。

 彼にとって、このままの平和が続くことは、このままの格差社会が、一部の者が虐げられ続ける不平等が続くことだ。だから彼は「反戦平和」というスローガンを「持つ者の傲慢」と言う。持つ者は戦争で失うが、何も持たない者は戦争で何かを得られるかもしれないからだ。
 彼は改憲した方がいいという意見だ。先のまったく見えないフリーター生活より、軍隊生活の方が体力的には厳しいけれど、精神的にはマシだと思う、とも語ってくれた。護憲派の人達は怒るだろうか。だけど、今の「平和」がどれほどの不安定層を「生存競争」という戦場に閉じ込めている上で成り立っているか、そこから話を始めないと、議論は空回りするだけだろう。「平和」という名の不平等。戦争という「希望」と、平和という「絶望」。この国では、もしかしたら今、「戦争」と「平和」の定義が逆転しようとしているのかもしれない。

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「平和」を体現していらっしゃるうちの猫。ぱぴちゃん(黒い方)
とつくしちゃん。衣食住が保障され、病気になったら病院にもいける
飼い猫は猫界の正規雇用層だ。

 

  

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雨宮処凛

あまみや・かりん: 1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮日記」

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