雨宮処凛がゆく!

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「武装より女装」を掲げるドラァグクイーンと不思議な人々。

 5月19日、福岡に行ってきた。フリーターユニオン福岡が「五月病祭」を開催。集会に呼んでくれたのだ。彼らはフリーター労組と同じく「誰でも一人でもフリーターでも入れる労働組合」。ちなみにニート、ヒマ人、貧乏人、パンク、アナキスト、非国民、負け組なども入れるらしい。以前から「福岡は面白い」と聞いていた。プレカリアート運動と一口に言っても、その地その地で様々な特色がある。昨年、東京から数人が福岡のデモに参加し、いたく衝撃を受け、感激していたのだが、もっとも衝撃を受けていたのは、「これからデモをやるというのに焼き鳥を焼いていた」ということだった。デモ後の酒のつまみを大切にするその姿勢は、ぜひとも見習いたいものである。
 さて、飛行機で福岡に行き、会場についた瞬間、目の前にいたのはピンクのドレス姿のドラァグクイーンだった。その手には「武装より女装」というプラカード・・・。他にもナース服、ロリータなどなど、みんな変な格好をしている。その辺に置いてあるチラシを手に取って、思わず噴き出した。「東アジア反日物騒戦線『猫の肉球』」・・・。ごめん、わかる人にしかわからないネタだろう・・・。
 気を取り直して、3時からフリーターユニオン福岡・執行委員長の小野さんとトーク。トークのテーマは「生きづらさの変容」だ。以前は「豊かだけど生きづらい」社会だった。それが今は「生きづらいし貧しい」ということになっているのではないのか、という問題提起だ。このことは、私にとっても大きなテーマであり、そして私は、そのことに去年まで鈍感だった。生きづらさの取材をしながら心の問題のみを見て、その背景、生活状況に目を向けず、昨年やっと事態がここまでひどくなっていたことに構造として気づいた。その瞬間から、私の問題意識は大雑把に言えば「貧乏な上に生きづらい」に変わった。貧乏と生きづらさの背景にあるのは、これまた大雑把に言えば経済のグローバル化、そしてネオリベラリズムだろう(詳しくは「生きさせろ!」で)。

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路上を思いきり奪還する人々。

 小野さんとトーク前、雑談していて気づいたことがある。それはこういったフリーターや非正規、貧乏の問題に積極的に取り組んでいるのが皆74年、75年生まれということだ。現在31、2歳の人々だ。私も小野さんも、「素人の乱」の松本哉さんもそうだし、「フリーターにとって自由とは何か」を書いた杉田俊介さんもそうである。また、赤木智弘さんも。なぜここまできっちり同じ年、学年を生きた人々がこの問題に取り組むかは、バブル崩壊以降に就業年齢を迎え、今までの価値観や学歴ではまったくもって生きていけなくなったことを身を持って体感した第一世代だからではないか。だからこそ、この世代にとってフリーター問題はいくら脱フリーターをしても他人事ではなく、また、自分がどんなに金持ちになっても終わるものではない気がするのだ。なぜなら同じ年の身近な人々がどういう境遇にあるかを知ってしまうからである。小野さんも皆が同じ年であることには興味を持っていたようで、是非一度、この辺の人達で何かやりたいものだ。

 2時間ほど話したあとは、とうとうデモだ!! 「趣味・デモ」である私の心拍数は急激に上昇。脳からも余計な汁が出てくるのがはっきりとわかる。「働かないぞ! 」「餓死嫌 」「病気の時くらい休ませろ!」思い思いの言葉が書かれたプラカードが不意に車道を埋め尽くす。いつの間にか変な格好の人はどっと増えていて、意味もなくサーフボードを抱える者、骸骨のかぶり物でオモチャのピストルを撃ちまくる者、新撰組コスプレ、学生服コスプレ、チャイナ服など一体何の集まりなのかさっぱりわからない。そうしてとうとうデモ隊が出発! 台車に載せたサウンドシステムが大音量で音楽を轟かせる。なぜか「ゲゲゲの鬼太郎」「北斗の拳」が流れるとトラメガで絶唱する者。そして私たちは叫ぶ。「フリーターを使い捨てにするな!」「路上を奪還しろ! 」「路上は貧乏人のものだ!」「路上で踊らせろ! 」「企業のために死なないぞ!」「我々はフリーター、ニート、貧乏人、非国民だぞ!」「そこの三越で売ってるモノ、全部寄越せ!」「マトモな仕事をよこせ!」「それができないなら金だけよこせ!」「五月病になる前に、五月革命を起こせ!」。夕方の繁華街に突如として現れた一群は、そうして街を混乱に陥れ、飛び入り参加者を巻き込んで膨れ上がっていったのだった。

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「怒ってる巨大なわんこ」も登場。
「赤巻紙青巻紙黄巻紙!」という意味不明な
早口言葉シュプレヒコールもありました。

 デモ終了後は、やはり公園で乾杯。最近、私は店より公園で飲む機会の方が多い気がする。その後は事務所にて、夜中まで今後についての楽しい「共謀」が行われたのだった。 フリーターユニオン福岡が面白いのは、「労働組合」だけでなく「生存組合」という言葉も使っていることだ。「生存」のための組合。具体的な取り組みとしては、金がない人に米をあげたりしているらしい。こう書くと大したことには聞こえないかもしれないが、これはすごいことである。あなたが米を買う金すらなくなった時、米をくれる人がどれだけいるだろう? くだらない説教をせずに、そしてそんな状況に陥ったあなたにちっとも「引かずに」くれる人が。あなたが「米をくれ」と言える人が。
 そうして、気づいた。私が名誉会長をしている「こわれ者の祭典」という心身障害者パフォーマンスイベントのことだ。彼らのやっていることも、生きづらさを分かち合い、生きづらい人達が仲間を作り、交流を重ねる、という点で非常に「生存組合」に近い。というか限りなく同じだ。そしてどちらも大切にするのは「交流」の場である。
 生きづらいのは自分だけじゃない、そして自分たちのせいだけじゃない。そう言い出す場こそが今、切実に必要で、そんな場が得られるかどうかは、多くの若者の生死すら決めてしまう。生きづらい人々は、とりあえず集まらないと自分自身に殺されてしまう時代。それはもう、とっくの昔に到来している。
※5月26日、ロフトプラスワンにて「こわれ者の祭典」代表の月乃光司さんと私が出演するイベントがあります。集合!

 

  

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雨宮処凛

あまみや・かりん: 1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮日記」

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