雨宮処凛がゆく!

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9条改憲阻止の旗とタスキと「BABY THE STARS SHINE BRIGHT」
の服を着こなせるのはたぶん世界で私だけだろう
(誰もそんな組み合わせを着こなしたくないだろうけど)。
(写真・週刊新社会提供)

 6月15日、日比谷野音で「9条改憲阻止の会」による改憲阻止集会に参加してきた。この「9条改憲阻止の会」というのは、60年、70年安保を闘った世代が作ったものであるらしい。一言で言えば爺さんだ。その爺さんたちが「9条改憲」を阻止しようと数十年ぶりに集い、ハンストやデモなど、いろいろとやらかしているという。
 この集会で発言を頼まれたのだが、最初は正直、あまり乗り気ではなかった。なぜなら、そこに集うのは「9条一筋30年」みたいな、なかなか言葉の通じない人達ではないかという危惧があったからだ。そして60年、70年安保を闘ってきた人達が山盛りいるという場にも、何か尻込みするものがあった。また、若い頃は運動をやり、その後経済成長のもとで安定雇用を得て、かなりの資産を形成し、定年した果てに年金まで貰って、結局ヒマになったから「9条改憲阻止」かよ、という思いも若干あったことは否めない。こういう世代間闘争って非常に不毛なことはわかっているのだが、たまたま90年代初頭以降に就業年齢を迎えたためにマトモな職にありつけず、たぶんこの先ずーっと低賃金の不安定労働で暮らした果てに年金すら貰えないだろう同世代のことを思うと、どこか割り切れない思いが頭をもたげてくるのも事実だ。だってこの世代の老後ってどうせ野たれ死にでしょ?

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デモに出発! なぜか先頭で横断幕を持つ私。
後ろには樺みちこさんの遺影も。時代の重みを感じます。
(写真・週刊新社会提供)

 そして当日。日比谷野音には1000人以上の人々が集まり、妙な熱気に満ちていた。あちこちに乱立するのぼり。「9条改憲阻止」というタスキをかけた人々。プラカード、旗。爺さんももちろん多いが、若者も結構いる。そしてその爺さんたちが、妙に輝いているのだ。何か「青春」の雰囲気を醸し出している。生き生きしている。その上集会の仕切り、盛り上げ方なんかもさすが慣れてるだけあって上手いのだ。これはあなどれない・・・。

 連帯アピールでは斉藤貴男氏、社民党の保坂展人氏なども発言した。そうして私の番が回ってくる。私は「自民党をブッ壊す」と言いながら、規制緩和、構造改革などで結局は若者の生活、未来そのものをブッ壊した小泉、それを引き継ぐ生まれながらの特権階級の安倍に「憲法改正」とか言われる筋合いはないことなどを話した。つーか、自国民もマトモに食わせられず(ワーキングプアは650万世帯)、自己責任と突き放して「憲法改正」って意味わかんないんだけど。また、「9条を守ろう」「今の平和を守ろう」と言っている人達の見えているこの国と、生存競争の最悪型を日々戦わされている若者の見えているこの国はまったく別物ではないかという話もした。不安定層にとってはこの平和が続くことが、自分が一生「戦場」に閉じ込められることとイコールなのではないか、だからこそ、彼らに届く言葉を持たないと、なんて内容だ。
 そしてその後、60年、70年安保世代の人々からのアピールがなされる。国会前に孫を連れて連日ハンストを繰り広げたという爺さん、「もうデモは体力的にキツいけど、動かないことは得意」なので酒を飲みながら同じく国会前でハンストをしていたという爺さん、そして癌に冒され、死にかけてるのに安倍の「改憲」という喧嘩を買わないで死ねるか、とアジる爺さん(いや、治療に専念した方がいいのでは・・・?)。集会の後半には、「○○大学で活動されていた○○さんが亡くなりました」など怒濤の訃報ラッシュ!

 それを見て、思った。この人たち、本気だ。本気で改憲を阻止しようとしている。なんでかっていうと、彼らにはもう失うものなどないからだ。普段、プレカリアートの運動にかかわっている動機のひとつに、「失う物など何もない貧乏人の底抜けの面白さ」というものがある。立場も、権力も、お金も、彼らは何も持たない。だからこそものすごくデタラメな面白いことができる。それと共通する「失うもののなさ」を、60年、70年安保を闘った爺さんたちに見た。老人はもうすぐ死ぬ。老い先短い彼らはもう何のしがらみもなく、何も気にすることなく運動に取り組める。逮捕されたって別に仕事をしてるわけでもないのであまり迷惑もかからないだろう。定年後、退職金を得て、意味もなくそば打ったり土いじったり陶芸を始めたり、果てはアジアの国に家を購入して移住したりという「個人の最大幸福」のみを追求する爺さんもいるが、そして私はそういうジジイを心の底から軽蔑するが、老人となり、彼らに残ったテーマは「改憲阻止」だったのだ。ある意味筋が通っている。

 集会後、私たちはデモに繰り出した。2・7キロのコースである。爺さんたちは老体に鞭打って歩き、シュプレヒコールを上げる。「子どもたちを戦争に行かせないぞ!」「孫を戦争に行かせないぞ!」。「孫」が出てくるところが新しい。そして爺さんたちは私にはわからない歌を歌う。若い頃、運動のさなかに歌っていた歌だろう。みんな顔が青春で、数十年前の先輩・後輩関係がきっちり今も機能しているところが可笑しい。数十年ぶりに会ってあの頃の恋が再燃、なんてこともあるのかもしれない。どっちも配偶者が死んでたりしたらバッチリだ。最近、「結党! 老人党」という小説の帯コメントを書かせて頂いたのだが、まるでその小説世界が目の前に現れたような光景にしばし戦慄した。やっぱ事実はいつも小説より何倍も面白い。ちなみにその本の帯に書いた言葉はこうだ。「立ち上がれ爺さん! 怒りを叫べ婆さん! 本気でこの国のために闘えるのは、老い先短い老人だけだ! 私は『老人党』を全面的に支持するぞ!」。

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 午後9時、1時間ほど歩いてデモは終わった。どこからか聞こえてくるインターナショナル。爺さんたちの輝く笑顔。なんか、いいなーと思った。いいよ、爺さんたち。素敵。
 ただひとつ心配なのは、久々にテンション上がりすぎて、今頃倒れちゃったり死んでたりしないかということだ。死者を出さない程度に頑張れ、爺さんたち。

 

  

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雨宮処凛

あまみや・かりん: 1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮日記」

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