伊藤塾・明日の法律家講座レポート

2014年1月25日@渋谷校

「けんぽう手習い塾」でおなじみの伊藤真さんが主宰する、資格試験学校の伊藤塾では、
法律家・行政官を目指す塾生向けの公開講演会を定期的に実施しています。
弁護士、裁判官、ジャーナリスト、NGO活動家など
さまざまな分野で活躍中の人を講師に招いて行われている
「明日の法律家講座」を、随時レポートしていきます。
なおこの講演会は、一般にも無料で公開されています。

講師:上山 浩氏
(弁護士、「日比谷パーク法律事務所」パートナー、元伊藤塾塾生)

講師プロフィール:
1981年、京都大学理学部卒。同年4月、富士通入社。大型汎用機用オペレーティングシステムの企画・設計などに携わる。1990年、野村総合研究所に転職。1998年、司法試験合格。2000年、弁護士・弁理士登録。2003年、日比谷パーク法律事務所に入所。特許訴訟など知的財産関連の係争やシステム関係・I T 訴訟などを多数経験。

 特許や著作権などの知的財産分野と、システム開発契約の分野を専門とされ、多数の事件を扱ってきた上山浩弁護士。しかし弁護士が就職難の時代、ある分野の専門家になりたいと思っても簡単にその望みがかなうわけではありませんし、専門性を確立するためのメソッドやコツがあるわけでもありません。講演では、専門性をテーマに、チャンスはどのように現れるのか、それを活かすためには何をすべきかについて実体験の中から、お話をいただきました。その一部を紹介します。

■自分の専門性は何か

 私は大学では物理を専攻しました。そして当時はコンピュータ業界が伸びている時期だったので、富士通に就職しました。そこで機器の設計などの仕事を経験したことが、今の仕事にも役立っています。富士通で大きなプロジェクトが一段落したことを機に、30歳くらいで野村総合研究所に転職しました。
 野村総研では経営コンサルティングをしていましたが、経営の専門家はクライアントの会社の中にもいます。そういう人たちとやりとりしながら、クライアントよりもずっと高い水準の専門性を維持するというのは、なかなか難しいと感じました。それに比べ、参入障壁の高い弁護士業界が魅力的に見えました。弁護士になるのは難しいものの、いったん弁護士になると依頼者とは専門性のレベルがまったく違いますし、いまは弁護士も就職難の時代ですが当時は高い参入障壁のおかげで競争がほとんどないという特殊な業種でした。そこで、将来を考えて弁護士になろうと決め、会社を辞めました。3年で司法試験に合格、弁護士登録したのが2000年です。
 私がずっと考えていたことは、特定の専門分野を確立することでした。他の弁護士と差別化する戦略をとれば、道は自ずと開けます。野村総研では、さまざまな業界を比較して、強みや課題などを検討する業務をしましたが、高収益を挙げている企業は、必ず差別化できる要因がありました。
 自分には理科系の技術的なバックグラウンドがあったので、そこを差別化要因にしようと考え、特許など知財に関する仕事を専門にすることをめざしました。
 もうひとつ頭にあったことがあります。私が大学生だった頃、国際社会において日本は経済的に勢いがあり、今の中国のような存在でした。しかし、私が弁護士になった2000年頃には勢いがすっかりなくなっていました。当時はアメリカが知財をキーワードにして復活をとげていたので、日本もこれからは知財でいくべきだと考え、特許関係を専門にすることにしたのです。
 まず入ったのは、特許関係の比較的小さな事務所です。そこを選んだ理由は、大きな事務所では、大事な仕事を任せてもらえるまでに何年もかかるからです。弁護士になった当時、すでに40歳だった私には時間がありません。そこで特許出願も扱っている事務所に入り、そのおかげで、入社直後から重要な案件を担当することができました。

■目先の報酬だけでは決めない

 私が携わってきた案件は、いずれも技術がからんだものです。Windowsを侵害被疑品とする特許侵害訴訟や、プリンターのリサイクルインクカートリッジ特許事件、最近ではApple社のiPodがわが国の個人発明家の特許を侵害しているという判決の事件などを扱っています。こちらは新聞で〈小さなアリ、象を倒す〉という見出しで掲載されました。弁護士になって数年で、どうしてそのような注目度の高い事件に携わることができたのでしょうか。
 その一例として、iPodの件を簡単に紹介します。これは、個人で会社をやられている方が開発した特許技術が、iPod に無許諾で使用されたという事件です。最初に相談があったのは、私が弁護士になって4年目でした。4年というのは、弁護士としてはまだ駆け出しですが、以前に担当したマイクロソフトのWindowsに関する特許侵害事件に関する情報で、私のことを知って相談に来られました。
 この時点ではまだ特許が取れていない状態だったので、訴訟を起こすことさえ不可能な段階でした。ですので、通常なら勝てる見込みがないという理由で、依頼をお断りするものでした。実際、他の事務所では断られたそうです。この方は、自分で特許明細書を書いて特許庁とやりとりしていました。明細書の書き方は非常に専門的な知識が必要なのですが、素人が自分で書いているので、相談に来られたときはとても特許が取れそうもない状況でした。通常は、事件の受任の時点である程度の額の着手金をいただきます。しかし、この方は個人なので十分な資金がありません。その上特許もまだとれていない。でも、私は明細書を見たときに、アイデアが面白いと感じました。明細書をちゃんとした内容に整えさえすれば、特許を成立させて、侵害訴訟になっても勝負できるはずだと考えたのです。それで報酬はさておくこととして、引き受けることにしました。

 まず時間がかかったのは特許の成立までです。特許の取得だけで、私が関わってからも1年半かかりました。当時は特許侵害事件の経験ある他の弁護士にも加わらないかと声をかけましたが、誰も協力してくれませんでした。だから相当な期間、たった一人で担当しました。特許を取得できたのが2006年で、Apple社との交渉が決裂し、訴訟になったのが2007年です。地裁の判決が出たのが2013年9月ですから、特許を取ってからも6年半かかっています。通常の特許訴訟は1年くらいで決着がつくのですが、Apple社は巨大企業で、ありとあらゆることをやってくるため長引いてしまいました。
 結局、地裁では勝訴して、今は高裁で争っています。やるからには、できることは全てやるという姿勢で取り組んできたことが、結果につながりました。その間無報酬でしたが、目先の損得だけで判断しないようにしようと考えていました。いい結果を出すことで、必ず誰かが見てくれていて、評価してくれるからです。そして、またやりがいのある仕事の依頼が来るものなのです。それは、富士通や野村総研にいたときの経験から学んだことでした。

■強い目的意識で学んでほしい

 この案件は、やっていて意欲がわいてくるものでした。私は、弁護士業務としての収益をきちんと確保する案件と、採算は度外視してやりがいを重視する案件を分けて考えています。周りを見ても、いい仕事をされている弁護士の先生方は、たいてい損得を抜きにした自分の価値観でやっている案件を持っていると思います。
 実際に、こうした無欲で引き受けた仕事をきっかけに、仕事ぶりを見てくださった先生から他の仕事を紹介されるようになりました。おかげさまで、IT契約のトラブル案件など「この分野だったら上山弁護士」と言われるようになりました。
 とは言ってもただ無欲に頑張ればいいというのではなく、目的意識と方向性をはっきり持ち、専門性を確立することが大事です。私が富士通に入社して2年目に、ショックを受けたことがあります。富士通は海外から研修生を受け入れていたのですが、彼らは明確に目的意識を持って学んでいました。単に上司からやれと言われたことをやるのではなく、「それを自分がやることで、何がプラスになるのか」がわからなければやらない、というくらいの強い意識で挑んでいたのです。そういう人はエネルギーを集中できるので、成果を出すスピードも早く、クオリティも高い。それで私自身、どの分野でやっていくのか、そのためには何が必要なのかということを、かなり早い段階から意識するようになりました。
 皆さんも、そうした意識で専門性を身につけていってください。また、目先の損得だけにとらわれず、価値があると思った仕事に打ち込んでもらいたいと思います。そうすれば評価はついてきます。そしてそれが次の良い仕事につながるはずです。

 

  

←「マガジン9」トップページへ   このページのアタマへ↑

マガジン9

最新10title : 伊藤塾・明日の法律家講座レポート

Featuring Top 10/70 of 伊藤塾・明日の法律家講座レポート

マガ9のコンテンツ

カテゴリー