伊藤塾・明日の法律家講座レポート

2014年3月29日@渋谷校

「けんぽう手習い塾」でおなじみの伊藤真さんが主宰する、資格試験学校の伊藤塾では、
法律家・行政官を目指す塾生向けの公開講演会を定期的に実施しています。
弁護士、裁判官、ジャーナリスト、NGO活動家など
さまざまな分野で活躍中の人を講師に招いて行われている
「明日の法律家講座」を、随時レポートしていきます。
なおこの講演会は、一般にも無料で公開されています。

【講師】
菅 俊治氏(左)
(弁護士、「東京法律事務所」所属、B型肝炎訴訟東京弁護団事務局長)
田中義信氏(右)
(全国B型肝炎訴訟原告団 代表)

●講師プロフィール
菅 俊治氏:東京都出身。2001年に弁護士登録し、東京法律事務所に入所後、日本労働弁護団・全国常任幹事、日弁連労働法制委員会事務局次長、医療問題弁護団などを歴任。
田中義信氏:1982年、東京大学生協に就職し、現在6つ目の大学生協である東京インターカレッジコープ(渋谷区)で働く。「生協の白石さん」の元上司。2009年にB型肝炎から肝臓がんを発症し、B型肝炎訴訟原告団に加わる。2013年に全国B型肝炎訴訟の全国代表に就任。

はじめに

 国内最大の感染症であるウイルス性肝炎感染者は、B型・C型肝炎を合わせると350万人にのぼります。そして、B型肝炎ウイルスの感染者120万人の中には、国の指示で実施された集団予防接種で、注射器が使い回しされていたことによる感染被害者が45万人以上いると言われています。
 この国の責任を問うため、感染被害者らが原告となって、長く裁判が続けられてきました。そして提訴から23年もの月日を経て、2011年に国が責任を認め、被害者に正式な謝罪をして、救済の基準などを定めた基本合意を締結したのです。しかし、まだ多くの課題が残されているのが現状です。
 今回は、原告団代表の田中義信さんと、弁護士の菅俊治さんから、ウイルス性肝炎とはどのような病気か? なぜ、それほどまでに被害が拡大したのか? そして、裁判によって原告の方たちは何を獲得したのか、現在残されている課題は何か? といったことについて語っていただきました。

B型肝炎訴訟とは何か?
(原告団代表の田中義信さん)

 B型肝炎は、ウイルスを抑制する薬を飲んでいれば、悪化を抑えることはできますが、根本治癒が難しい病気です。肝炎は悪化すると肝硬変になり、さらに重症化して肝がんに変化します。
 私は、2009年に医師から肝がんだと告げられました。肝がんの場合は手術が成功しても、10年後には10%しか生きられないと言われています。私は幸いにも手術から5年たつ今も再発していませんが、いつまで生きられるかはわからないという不安があります。
 国の責任を問うB型肝炎訴訟は、まず1989年から17年間争われました。この裁判では勝ちましたが、救済されることになったのは原告の5人だけでした。そこで、2008年から全国にいるすべての患者が救済されることをめざして、第二次訴訟がはじまります。原告は1万1000人ほどに増えましたが、実際には訴訟する権利がある人は45万人から50万人いると言われています。
 私は肝がんが見つかり、入院してからこの病気が裁判になっていたことを知りました。そこで、弁護団に電話をかけて第二次訴訟に自分も加わらせてほしいと言ったのです。この裁判では、原告がほとんど実名を公表していませんでしたが、私は名前も顔も出して発言することにしました。
 私は大学生協職員として、学生の生活を守り、発展させることをめざして働いてきました。今は就活生の支援もしています。日頃から「一人は万人のために」と言って活動してきた自分が当事者になったときに、何がやれるかを試されているように感じました。それで実名を出すことにしたのです。
 訴訟の当初は、国側は責任をまったく認めていませんでした。寒い日も雨の日もデモやアピールをやり続ける中で、これで闘っていけるのだろうかという不安を持つときもありました。しかし、次第に多くの方が協力してくださり、理解や共感が広がっていくことを実感して、この裁判は勝てるのではないかと思うようになりました。
 そして2011年に、国の責任を認めるという司法判断が下され、和解案が示されたのです。その後に設立された検証委員会による真相究明の過程では、国の体制に問題があったことが明らかにされ、これまでの問題点を洗い出して、改善策を出すということが決められました。これは大きな一歩だと思います。

被害を訴えるのが難しい裁判
(弁護士の菅俊治さん)

 ウイルス性肝炎といっても、私自身が裁判に関わった当初は、問題の重要性をよくわかっていませんでした。しかし、勉強していくうちにこの問題がいかに深刻かを実感するようになりました。
 国は昭和23年に予防接種に関する法律をつくり、そこから昭和63年頃まで40年間にわたって、国民に予防接種を続けました。注射針を使い回すことで、肝炎がまん延することは戦前から知られていました。厚生省は、この事実を十分に認識し、さらにWHO(世界保健機関)から危険性の勧告を受けていたにもかかわらず、予防接種の場での使い回しを黙認してきたのです。それによって全ての国民に40年間にわたって危険性のある集団予防接種を強制することになり、膨大な数の被害者を生じさせました。
 ちなみに、昭和63年までに集団予防接種を受けた人は、発症していなくても肝炎ウイルスに感染している可能性があります。保健所で無料で検査を受けることができるので、ぜひ検査をしてほしいと思います。

 裁判を進める上で一番難しかったのは、原告を集めることでした。普通は被害者の方から弁護士に連絡が来ます。でも、この裁判は訴えても本当に勝てるか分からないということもあり、呼びかけても集まらなかったのです。最初は原告10人だけではじまりました。患者さんは全国に膨大にいるのに、その後もひと月に3人とか5人とか、ほんの少しずつしか増えていかなかったのです。
 その理由には、被害者の方が、ずっとこの病気による偏見にさらされてきたということがあるはずです。原告になることによって新たな差別を受ける可能性もあります。あるいは今までに病気が原因で、離婚させられたとか、働けなくなったとかいう人が大勢います。そんな状況で多くの方は、家族や周囲に迷惑をかけないようにと、ひっそりと生きてきた。だから裁判をやると呼びかけても、なかなか名乗り出てくれる方はいなかったのです。
 原告になられた方も、ほとんどの方は匿名です。田中さんのように、表に立って発言してくれる方は、例外中の例外でした。そのような意味で、被害を訴えるのが難しい裁判だったと言えます。
 それでも何とか、いろいろなところでアピールしたり、支援者を組織していくなど行動を起こしました。その中で、つらかった体験を人前で話してくれる原告の方も出てきたのです。

日本が歴史的に抱えてきた課題
(菅俊治さん)

 B型肝炎集団訴訟が掲げていた目的は、大きく分けて2つありました。一つは、きちんと国に賠償をさせること。もう一つは、これだけ被害が広がったということを受けて、被害者に対する医療費の助成制度をつくることです。
 そして、2011年の国と原告団との基本合意を受けてできた特別措置法では、次の3つの対策がとられることになりました。1つ目は個別救済です。被害者が接種当時の資料を集めて提出して、条件が満たされれば賠償金を国が払うという仕組みができました。2つ目は、真相を究明するための組織を国が作ること。そして3つ目として、医療費助成に向けた協議をすることが決められました。国は予算を確保し、これによって個別救済が進むようになりました。
 この基本合意と特措法のポイントは、国に責任があるということを認めたということです。感染者の中にも、自分が感染していることを気づいていない方がまだ多いのですが、それも検査して発見する責任を国に生じさせたのです。また、そこで感染しているとわかった人の支援についても国がやることになりました。この成果は我々だけでなく、お医者さんなどいろんな人たちの努力があって獲得できたものです。

 この裁判にかかわる中で気づいたことがあります。国内に350万人と言われるB型・C型肝炎の患者さんは、予防接種だけではなく、輸血や血液製剤によって感染した方が大半です。しかし、予防接種も輸血も血液製剤も、もとはといえば国がよかれと思ってやってきたことです。それによって命が救われたケースもありますが、同時に多くのものが犠牲にされてきたということにも目を向けないといけません。同じようなことは肝炎の他にも数多くあるはずです。そうしたことを、日本社会が歴史的に抱えてきた課題として、どこかで総括しなければならないのだと思います。この裁判はそうした、他の問題にもつながる意味を持っていると思うのです。
 裁判の当初はこのような大きな成果を獲得できるとは思っていませんでした。問題にひとつひとつきちんと向き合っていくことで、国を動かすことができたのだと実感しています。みなさんもぜひ法曹になって、こうした体験をしていただきたいと思います。 

※詳しい情報は全国B型肝炎訴訟弁護団のホームページをご覧ください。
※B型肝炎訴訟救済対象の方に向けた厚生労働省のホームページはこちら

 

  

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