伊藤塾・明日の法律家講座レポート

2015年3月14日@東京校

「けんぽう手習い塾」でおなじみの伊藤真さんが主宰する、資格試験学校の伊藤塾では、
法律家・行政官を目指す塾生向けの公開講演会を定期的に実施しています。
弁護士、裁判官、ジャーナリスト、NGO活動家など
さまざまな分野で活躍中の人を講師に招いて行われている
「明日の法律家講座」を、随時レポートしていきます。
なおこの講演会は、一般にも無料で公開されています。

【講師】
阿古 智子 氏
(東京大学大学院総合文化研究科准教授)

●講師プロフィール
大阪外国語大学外国語学部中国語学科卒。香港大学教育学系Ph.D(博士)取得。在中国日本大使館専門調査員、姫路獨協大学助教授、学習院女子大学准教授、早稲田大学准教授を経て、2013年より東京大学大学院総合文化研究科准教授。主な研究テーマは、現代中国の社会変動。著書に『貧者を喰らう国 中国格差社会からの警告』(新潮選書)など多数。

はじめに

 阿古智子さんは、25年にわたって中国各地の農村でフィールドワークを続けてこられました。この数十年、都市部では経済成長が著しかった中国ですが、阿古さんが訪れた村では、血液ビジネスのために多くのエイズ感染者が出たり、環境汚染で農作物がとれなくなったりすることもありました。そこから見えてきたのは、法の支配が浸透せず、社会的弱者が苦しい状況に追い込まれていく、現在の中国の実態です。
 「日中関係がなかなか良くならない現状でも、国境を越えて法の支配を普遍的な価値にしていくことは大変意味があります」と語る阿古先生から、中国での貴重な経験をベースに語っていただきました。

中国の農村に飛び込む

 私は中国の農村を訪れ、社会学の手法でフィールドワークをしてきました。はじめは1990年代の前半、湖南省というところでの「参加観察」でした。「参加観察」とは、研究の対象に参加をし、記録をとって調査するというものです。このときは博士課程の修士論文を書く目的で、日本のNGOの一員として教育援助事業に参加したのですが、この経験から、中国でフィールドワークをする際に気をつけなければならないポイントを学ぶことができました。

 中国は社会主義の国ですから農村に調査に行くと、だいたい役人がついてきます。貧困地区の教育援助が目的なので、一応歓迎はしてくれるのですが、普段は外国人が行かない地域ということで、警戒もされます。そのため、なかなか一般の村人と直接話すことができません。
 また当時の中国では、外国から投資を呼び込むノルマが地方に課せられていました。教育援助も投資の一環と考えられていたので、地元の役人は私たちを接待して機嫌を取ろうとするのです。貧困地区の調査が目的なのに、普段食べないようなごちそうが出てきて、ディスコみたいな所にも連れて行かれました。

 それでは表層的にしか物事が見えてこないので、私は同行した役人たちと離れて、「ここに1ヶ月半残って村で暮らしたい」と申し出ました。そこでようやく村の人たちと触れ合うことができるようになりました。1日かけて町に行って買ってきたカステラを、ネズミに全部食べられてしまったこともありますが、「参加観察」というのはそこに住んでいる人と同じ物を食べ、同じような感覚を持てる経験をしようというものなので、貴重な体験となりました。

声なき声を伝えたい

 その後、内モンゴル自治区の赤峰市にある貧困地域での調査も行いました。そこでは、農民が地方の役人を訴える「陳情」について調べました。中国では、一般の人が地域の行政の腐敗などの問題を解決してもらおうと思っても簡単ではありません。地方ではどうしようもないので、遠く北京の中央政府に出向いて陳情する人たちがたくさんいます。まるで時代劇に出てくる「悪代官をどうにかして欲しい」というような状況が起きているのです。でも、陳情を届けても状況はなかなか変わりません。

 陳情の実態調査をしていると、当然ながら地方の役人から目をつけられます。それまで教育援助で行っているときは、役人の愛想も良かったのですが、そのとき初めて村人の側に立って役人と接することになったのです。地方では役人が、10台くらいの黒塗りの車で村に乗り付けて、人の家にずかずかと入り、タバコを吸いながら村人を見下した態度をとっていました。権力やお金がある人は、村人を同じ人間だと見ていないのです。農民の側に立ってみて初めて、いかに役人が尊大で、腐敗しているのかを実感しました。汚職にまみれた役人たちは裁判所とも癒着しているので、なかなか農民の声が中央に届かない現実がありました。私はこのような体験を通して、声なき民の声を届ける手助けができればと考えるようになったのです。

「エイズ村」での調査から

 その後、河南省では「エイズ村」での調査を行ないました。当時、経済的に貧しい地域では、血液を売って生活の糧にしていた人がたくさんいました。ピークは90年代半ばです。上海や北京などの大都市はどんどん豊かになって行く一方、地方はどんどん貧しくなっていました。貧しい地域で流行したのが、貧しい人にでもできる売血という行為でした。200ccくらいの血を200元で売るのですが、売った人に入るのは50元くらいです。利益の多くは仲介業者や病院などに持って行かれてしまいます。

 当時は、血を採って終わりではなく、体に負担をかけないよう必要な成分だけを抜き、あとは遠心分離機にかけて体に戻すというやり方をしていました。でも衛生状況は悪く、同じ遠心分離機を村中で使い回したりしていたことで、エイズが広まってしまいました。私が入った村は、なんと村人のおよそ3分の1がエイズになっていました。私が関わったきっかけは、やはりそういう村から北京に陳情に来ていた人がいたからです。外国からの研究者がそういう地域に入ると、政府に警戒され盗聴されることもあり、村には入ることができず、近くのホテルで聞き取り調査を行ったこともあります。

 ただ、こういったことは中国だけの問題ではありません。日本でも60年代頃は売血が盛んに行われ、問題になった時期がありました。日雇い労働者の方が血を売って、肝炎が流行したこともあります。薬害エイズ事件も引き起こしています。日本の経験から、中国に活かせることはたくさんあるはずです。そこで、2008年には日中の関係者を集めて、啓発のイベントを実施しました。また、日中双方の弁護士さんたちのつながりも作りました。私はそういう草の根のつながりを一つひとつ築いて行くことが、エイズに限らず、両国の相互理解にもつながっていくのだと思っています。

中国が変わるためにできることは?

 90年代から農村に入って調査をしてきましたが、それが今になって日中関係を考える際に役立っています。日本では、「だから中国は問題なんだ」という見方をする人がいますが、そんなに単純な問題ではありません。環境問題にしても、工場での違法な搾取労働にしても、国境を越える問題です。例えば日本企業の部品をどこから調達しているのかといえば、ほとんどが中国です。そこでの労働の管理がどうなっているのか、きちんと把握していない企業もあります。だから中国の問題を見ていくと、程度の差はあるものの、同じような問題が日本にもあることがわかるのです。

 そうした問題に対処するために、同じような価値観を共有する中国の人たちとつながっていくことが大事だと思います。私は本当に弱い立場にいる人たちの中に入って活動している中国の弁護士たちを数多く知っています。こういう弁護士さんたちは、今の中国でナショナリズムが煽られて、日本バッシングをしている風潮を批判しています。日本でも同様に、ナショナリズムを煽り、中国や韓国を敵視するような動きがあります。でも単純化してお互いを敵としてしまえば、いずれ戦争になってしまうかもしれません。

 中国の人たちを敵対視するのではなく、一つひとつの事例で、法律に基づいて人権や環境がきちんと守られているかどうかを指摘していくべきです。その指摘に筋が通っていれば、内政干渉にはならないのです。中国という大きい国が変わっていくとしたら、そうした小さな取り組みをきっかけとして、市民社会が徐々に発展していくことが大切です。私が信頼している弁護士やジャーナリスト、NGOの人たちは、すでにその行動を起こしています。彼らは今の政権の下では弾圧の対象になってしまいますが、長い目で見れば、必ず国を動かす力になります。私たちは、市民が自発的に社会問題を解決しようとするそのような動きを、外から支えていかないといけないと思っています。

 

  

※コメントは承認制です。
現代中国社会の変動が教えるもの
~法曹を目指す皆さんへの期待~
阿古 智子 氏
」 に2件のコメント

  1. Shunichi Ueno より:

    「人権に国境は無い」と外から言うのは簡単ですが、現場では様々な苦労がおありのことと思います。地道な根気強い活動を敬服します。

  2. キャリー より:

    自分が地方都市も含め旅行した限りでは、気楽そうに見えたんですが、農村部はまだまだ貧しいのですね

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