伊藤塾・明日の法律家講座レポート

2015年11月21日@東京校

「けんぽう手習い塾」でおなじみの伊藤真さんが主宰する、資格試験学校の伊藤塾では、
法律家・行政官を目指す塾生向けの公開講演会を定期的に実施しています。
弁護士、裁判官、ジャーナリスト、NGO活動家など
さまざまな分野で活躍中の人を講師に招いて行われている
「明日の法律家講座」を、随時レポートしていきます。
なおこの講演会は、一般にも無料で公開されています。

【講師】
松尾邦弘 氏
(弁護士、元検事総長)

●講師の主なプロフィール:
東京大学法学部卒業。1968年東京地方検察庁検事任官。連続企業爆破事件、連合赤軍事件など著名な公安事件を担当。特捜部でロッキード事件を担当し贈賄側の丸紅役員から「田中角栄逮捕」に直結する供述を引き出した。1978年法務省刑事局付、1992年法務大臣官房人事課長、1999年法務事務次官を歴任。2004年検事総長に就任、「ひるむことのない検察」を標榜する。2006年検事総長退任後、弁護士登録。松尾邦弘法律事務所開設。

はじめに

 元検事総長として日本の刑事司法を牽引してこられた松尾邦弘先生は、的確に現状を把握した上で、よりグローバルな視点から、日本の刑事政策について考える必要があると指摘します。
 今回の講演では、具体的な統計資料をもとに、諸外国と比較しながら、日本の刑事事件の変遷や現在の治安状況についてお話しいただきました。

世界汚職認識度マップから世界を読み解く

 グローバル化が進展し、世界の動向が、ほとんど間をおかず情報として届けられる時代になりました。私たち法律家も、グローバルな視点をもって物事を考えることが必要になってきたと感じます。本日は、『データでみる「安全な国 日本」(2015年版)』(公益財団法人 アジア刑政財団)で具体的な統計資料を参照しながら、日本の現状を知り、さらにそれを世界と比較してみたときに日本がどのような立ち位置にあるのか、ということを考えてみましょう。
 まず初めに、腐敗認識指数をご覧頂きます。この地図は、政府や企業の汚職問題に取り組む国際的なNGO組織「トランスペアレンシー・インターナショナル」が毎年発表しているもので、世界175カ国の汚職レベルをランク付けしたものです。この地図によると、世界で一番汚職が進んでいる国は北朝鮮とソマリアです。その他、中国が100位、ベトナムが119位、ロシアが136位にランクされしています。日本はちなみに15位で、1〜5位は北欧諸国です。
 日本で最も汚職事件が多かった年は、1949年で、事件数は8417件。戦後間もなくは、いろいろな意味での混乱があり、とんでもない数の汚職事件がありました。それから年々減少し、2014年は56件となりました。私も担当したロッキード事件が起きたのは1976年で、この年に検挙された人数は約1000人と言われています。
 続いて、中国の汚職事件数の変遷を見てみましょう。2014年には55000人が贈収賄事件で検挙されています。そのうち、約3600件は2000万円以上の賄賂を受領し捕まった件数です。中国では、石油、エネルギー関係等の有力な企業は国営が多く、それらの企業に公務員が多数出向しています。そこで大小様々なお金が動いている。つまり経済構造自体、汚職が行われやすい環境となっているのです。
 なぜ国によってこれだけの差があるのでしょうか。この背景には、社会のものの見方や文化というものがあるのではないかと思います。
 中国、ベトナムは社会主義国です。また、ロシアはかつてソ連という社会主義国で、現在の大統領の力は絶大です。つまり、権力が一極集中しており、あらゆる政策を国主導で行っているため、経済活動を円滑に行おうと思えば「賄賂を渡す」というのが一つの手段のようになっているのでしょう。
 急速な発展と近代化には国が深く関与するものです。日本で最も贈収賄事件が発生したのも、戦後間もない1949年でした。急速に国を復興させ、いち早く先進国の仲間入りをするために、官主導で様々な補助金や交付金が拠出されました。このような社会構造の中で、多数の贈収賄事件は生まれたのです。
 これらの資料を通して、贈収賄事件の発生件数は、当時の社会背景、経済状況を大きく反映しているということが解ります。 

世界の刑務所収容事情

 日本において、2014年度に刑務所に収容されていた人数は63000人です。10年ほど前までは50000人だったのですが、徐々に増え、刑務所の過剰収容が問題となり、この10年間で5000人規模の刑務所を新しく4つ作りました。 
 一方で、海外の刑務所事情はどうでしょうか。例えば、アメリカにおける2013年度の刑務所収容人数は233万9000人です。あれだけ豊かで自由といわれている超大国のアメリカが、0.7%の自国民を拘束している、この事態を信じられますか。もともとこれほど多かったわけではなく、1970年までは収容人数は70万人ほどでした。なぜ、急速に増えたのか。この背景には、レーガン政権下で刑事政策を厳罰化へと転換したことが大きく影響しているようです。今では、アメリカでは、高等教育費用よりも刑務所を維持する費用の方が大きいと言われています。
 その他各国の人口10万人あたりの刑務所収容人数を見てみると、1位がアメリカで716人、2位がロシアで475人、3位がタイで398人、4位がイランで284人。日本は、ランクは随分下がり51人です。
 確かに、日本における刑務所収容人数の増加問題はありますが、各国の状況を見てみると、日本の治安は各国との比較でみれば良好であるといえるでしょう。

犯罪数の変遷と日本の治安状況

 続いて、戦後日本の犯罪数がどのように推移しているかを見てみましょう。
 まず前提として、統計資料の作り方、基準によって数字は大幅に変わるということを頭に入れておいてください。例えば、2000年前後に大きな山が出来ていますが、これは警察の検挙基準が変わったことに起因しています。というのも、それまで10万円以下の窃盗は統計資料に載せていなかったのですが、「軽微な犯罪もデータ化して欲しい」という市民の要望により、警察が統計の基準を変更しデータを作り直したのです。これによって、基準改定後に犯罪数が急増しているように見えますが、必ずしも治安が悪化したということではありません。むしろ、犯罪は年々減少しているといえます。
 年間犯罪数のピークは2002年の285万件です。以来、年々減少し2014年には130万件となりました。データを見ると、日本は世界的にも犯罪の抑止に成功している国と言えるでしょう。
 ところで、覚せい剤事件の存在も念頭におかなくてはいけません。現在、日本の刑務所に収容されている人の半数は覚せい剤犯だと言われています。薬物に依存するのは意思が弱いからだと言う人がいますが、その常習性を克服するには専門的な治療の手助けが必要です。日本社会全体で対応しなくてはならない大きな問題の一つだといえるでしょう。
 その他の事件を罪種別で見てみると、例えば日本の殺人罪は年間1000件前後で、推移しており、増加していません。この半数以上が近親者間の事件です。殺人事件を10万人あたりの発生率でみると日本は0.8であるのに対し、アメリカの発生率は日本の6倍強。10万人あたり4.6人が被害に遭って亡くなっています。
 次に窃盗罪を見てみると、日本で年間10万人あたり831件発生しているのに対し、アメリカは2859件。こちらも、アメリカは日本の3倍以上の発生率です。
 続いて交通事故死者数について、日本では1970年に約17000人が交通事故で亡くなっているのに対し、昨年の事故死者は4100人と激減しています。これは、交通教育や道路整備等あらゆる施策が功を奏した結果といえるでしょう。ただ、亡くなった方の52%が高齢者で、これは他の先進国の3倍の数にあたります。また、被害者の36%が歩行者であり、これも先進国の倍の数です。
 一つ一つの数字を丁寧に読み込み、なぜそのような数値になるのか分析し、効果的な対応策を講じなければなりません。

日本の安全、安心社会のために

 最後に、日本が世界に誇れる犯罪抑止の制度を2つ紹介しましょう。1つは、保護司制度です。日本では、全国に5万人の保護司がいます。罪を犯してしまった人に親身に寄り添い、支えることで、かなり再犯の抑止になっています。もう1つは、就労支援機構です。刑務所から出た後に、職を手にした人は、無職の人に比べて再犯率が5分の1に減少します。保護司も、就労支援も、基本的にはボランティアで行っていますが、こうした市民のネットワークづくりが犯罪対策に顕著に効くのです。
 特異な事件が発生する度にメディアが大々的に報道する為、日本の治安が悪化していると感じる人がいるかもしれませんが、ここ10年ほど、日本の犯罪発生率が急激に減少しています。殺人罪も増えていません。世界と比べても極めて安心、安全な国だと言えるでしょう。
 以上、具体的データをもとに他国と比較しながら日本の治安状況についてみてきました。刑事理論や刑事政策について考える際、理論の根底にある現実を適切に把握した上で、グローバルな視点から、日本の刑事司法、刑事政策を考える力を是非養って頂きたいと思います。

 

  

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