伊藤塾・明日の法律家講座レポート

2016年11月19日(土)@渋谷本校

「けんぽう手習い塾」でおなじみの伊藤真さんが主宰する、資格試験学校の伊藤塾では、
法律家・行政官を目指す塾生向けの公開講演会を定期的に実施しています。
弁護士、裁判官、ジャーナリスト、NGO活動家など
さまざまな分野で活躍中の人を講師に招いて行われている
「明日の法律家講座」を、随時レポートしていきます。
なお、この講演会は、一般にも無料で公開されています。

【講師】
牛田喬允 氏
(弁護士、「赤坂山王法律事務所」弁護士、元伊藤塾塾生)

●講師の主なプロフィール:
1978年、東京都生まれ。2011年、司法試験合格、司法修習新第65期。2012年、弁護士登録(第二東京弁護士会)。都内事務所に入所後、2015年12月に赤坂山王法律事務所を開設。2016年7月、弁護人として活動した刑事事件で、検察官が被告人は犯人ではないとして控訴取消請求をしたことにより、公訴棄却決定がなされる。年間100件ほどの刑事事件を扱うほか、一般民事事件や行政訴訟等、幅広い分野を担当。事務所には常駐の通訳がおり、外国語を母国語とする方の事件も多い。

はじめに

 2014年に起きた東京都八王子市の傷害事件で、誤って逮捕、起訴された2名に対し、今年11月、警視庁と東京地検が正式に謝罪したことが大きく報じられました。
 この事件で主任弁護人を務めた牛田喬允先生は、「刑事弁護とは、被疑者・被告人の立場に立たされる人のみならず、その家族や関係者の人生に深く関わるものです。先日の公訴取消がなされた事件では、まさに弁護人にしかできないことがあると感じました」と話します。
 弁護士登録から4年ながら、これまでに300件を超える刑事弁護を取り扱ってきた牛田先生。今回の講演では、刑事弁護人に課される職責、使命とは何かなど、日々の活動を通じて考えていることをお話しいただきました。

「なぜ犯罪者の味方をするのですか?」

 僕はもともと刑事弁護をやりたくて法曹を目指し、2012年に弁護士登録してからは毎年100件ほどの刑事事件を扱っています。罪名は、詐欺、窃盗、傷害、覚せい剤、風営法違反、入管法、売春防止法、その他・特別法など。最近では外国人の事件も多く受任しているので、事務所には専属の通訳が在籍しています。
 みなさんは刑事弁護と聞いてどのようなイメージをお持ちでしょうか。「冤罪を防ぐ」「無実の人を守る」というイメージかもしれませんが、実際には無罪を争う事件はそんなに多くありません。むしろ自分の罪を認めている人の方が多く、犯人だと思われている人の弁護が中心的な業務となります。ですから「なぜ犯罪者の味方をするんですか?」とよく聞かれます。
 人が人を裁くという制度の中に弁護士が組み込まれているのだから弁護活動をするのは当たり前じゃないかと思うのですが、一般の人からするとなかなか理解が得られないようです。しかし、一般の人に分からないようなところにこそ、この仕事の必要性があるのではないかと思っています。

黙秘権の行使は悪いこと?

 一般に、事件は逮捕から始まります。ある日突然、家に令状をもった警察官がやってきて捜査車両に乗せられ警察署に連行される。場合によっては事情が分からないまま家族にも友人にも会えず、これからどんな手続が待っているのかも分からない。そんな状況に置かれるととても不安ですよね。
 僕は、逮捕されてしまった人と初めて面談するときには、今後の手続の流れについて図を使いながら説明したうえで、最も重要な黙秘権の告知をします。「あなたには、話したくないことは話さなくてもいいという権利がある」ということを教えてあげるのです。
 「無罪の推定」という言葉を聞いたことがあるかと思いますが、どんな人も有罪と宣告されるまでは無罪と推定されることは、近代法の基本原則です。被疑者も被告人も、刑事手続上、まだ疑いをかけられているだけの人であって、犯罪者ではありません。
 「自分でやったことを黙っているとは何たることか!」と黙秘権を行使することを快く思っていない人がいますが、少し考えてみてください。被疑者へ事情聴取するのは警察、検察です。自分が疑っている人の話を書面にまとめるとなると、どうしても悪い方向で表現しやすいですよね。本当よりもかなり悪く表現されることがあるし、虚偽や間違いが混ざることもあるかもしれません。このときに、黙秘権の存在をきちんと理解した上であえて権利を放棄して自分から話すことと、何も知らずに嫌々話すことでは意味合いが全く違います。
 弁護士の中にも、反省するためには本人が自ら喋った方がいいという人もいますが、僕は弁護人が自分の意見を仕事に容れてはいけないこともあると思います。「あなたには黙秘権があるんだよ」「不利な調書を取られるかもしれないと分かった上で喋らないとだめだよ」ということをきちんと伝えることが弁護人の職責だと思います。そして、一般的に権利を説明するにとどまらず、その人にとって権利行使することが適切か否かについても判断し説明しなければ、権利告知は砂上の楼閣にすぎません。

厳しい時間制約の中で、迅速に、丁寧に

 逮捕後、勾留されると最大23日間拘束されますが、勾留期間中は家に帰ることも仕事をすることもできません。会社によっては逮捕されたことがばれると復帰できなくなることもあります。これは被疑者にとって非常に不利益です。
 そこで逮捕の段階で事件を受けた場合には1日でも早く家に帰れるようにしなければなりません。具体的には、「帰る家がある」「仕事がある」「逃げ出すおそれがない」など、勾留の要件に該当しない事実を探し、勾留の必要性がないことを主張していきます。
 厳格な時間制限の中での活動は、とにかく時間との勝負です。万引事件で被害商品を買取りに行くこともありますし、必要であれば夜中でも被疑者の家族の元へ身柄引受書をもらいに行きます。示談、被害弁償、環境調整など、いま何ができるかを考え迅速に動き被疑者にとって有利な事実を収集していきます。
 被疑者の弁解を丁寧に聞くことも重要です。被疑者の中には、捕まったことがショックでうまく説明が出来ない人や、自分の体験を体系立てて説明できない人も少なくありません。絶対に嘘をついているなと思う人もいます。そこで、被疑者と接見する際(特に初回接見時)には1時間ほどじっくり話を聞き、自分の中の疑問点を一つひとつ解消していきます。
 無事に釈放されればいいのですが、起訴されると被疑者勾留から被告人勾留へと自動的に切り変わり、勾留の目的が「捜査のため」から「裁判を開くため」に変わります。お金を担保に身柄拘束を解く「保釈」という制度をご存知ですよね。身柄拘束の必要がなければ、自宅で裁判の日を待てばよいのであって、原則保釈は認められるべきなのですが、実際は保釈が通らない場合が非常に多いです。
 しかし、想像してみてください。起訴されてから最初の裁判の日まで、通常1〜2か月かかります。その間、被告人はほとんどすることがありません。約2か月間、誰とも話さず、ずっと事件のことを考えていると何が事実か分からなくなってきます。徐々に喋ることさえ出来なくなります。みなさんが思っているよりずっとダメージは大きいのです。

八王子市傷害事件の誤認起訴

 八王子市傷害事件では、僕は、誤って逮捕、起訴された2名のうち、1名の弁護を担当しました。その人が逮捕された直後、初めて話を聞きに行った時、「私は犯人ではありません。冤罪です」と言われ、「本当かな?」と思いました。この時点で300件以上の刑事事件を扱っていましたが、犯人性の否定、つまり「私は犯人ではありません」という人の事件は初めてでした。
 いつも以上に時間をかけてじっくり話を聞きましたが、ここで何を聞くのかというのが問題です。僕は、その人が言っていることを信じるかどうかの前に、合理的な説明かどうかを確認したいと思いました。自分の中で疑問を残さないように、とても細かく相当数質問しました。すると、その人の答えは全部合理的だったのです。そこで初めて冤罪かもしれないと思いました。同時に、同じように合理的説明が出来れば釈放されるだろうと思いました。ところが、間もなく起訴されてしまったのです。
 しかし、検察側の証拠は人の証言ばかり。具体的なものが何もなかったのでとても驚きました。「犯人はタクシーに乗って逃げた」という証言があったのにドライブレコーダーが証拠として提出されていないことを不思議に思い、2年前の映像でしたが、どうにか入手し確認したところ冤罪だと確信しました。この映像を証拠として提出後まもなく被告人の保釈が許可され、最終的には検察官が公訴を取消し無罪が確定しました。
 事件としては異例です。検察が過ちを認めて公訴を棄却することはめったにありません。しかし、それほどまでに捜査に問題があったのでしょう。弁護人の活動としては、本人の話を聞いて何か出来ることはないかと動いたことが結果に繋がったのかなと思います。

刑事弁護人として大切にすべきこと

 人が人を裁く以上、誤りが入る可能性があります。判決が絶対的に正しいとは誰も言えません。それならば、少なくとも制度上の正しさがなくてはいけません。被疑者、被告人にはきちんと弁解の機会が認められる必要があるし、裁判で用いられる証拠は適法に集められたものでなければなりません。違法な手続きや捜査があれば、今後同じようなことが行なわれないように無罪を主張するのは当たり前です。
 「厳罰にしろ」という世論の流れの中で、自己の罪を認めている人であればあるほど、悪い方へぐいぐい引っ張られてしまいます。誰かが反対側へ本気で引っ張り返さないと正しさの担保が出来ないのではないかと思います。有罪無罪の判断も、懲役を何年にするかの量刑の判断も、誰かが反対側から全力で引っ張って初めて妥当な結論だったと言えるのだと思います。だから僕は刑事弁護をやっているのです。
 また、被疑者や被告人の立場からすると、自分の言い分を聞いてもらえないまま手続が進めば、「どうせ誰も聞いてくれない。懲役が何年でもかまわない」と諦めてしまい、自分の裁判だとさえ思えなくなってしまうのではないでしょうか。そういう人が社会に戻ってきちんと更生できますか。
 「みんなが悪いと言うからその人は悪い」「みんなが死刑というから死刑だ」として判断してしまうのでは、その結論に正しさは認められません。検察官や、時に社会とは異なる視点から事件を考え、一つひとつの事件で、全力で反対方向へ引っ張ることが刑事弁護人としての責任かなと思います。

 

  

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