伊藤塾・明日の法律家講座レポート

2016年8月20日(土)@渋谷本校

「けんぽう手習い塾」でおなじみの伊藤真さんが主宰する、資格試験学校の伊藤塾では、
法律家・行政官を目指す塾生向けの公開講演会を定期的に実施しています。
弁護士、裁判官、ジャーナリスト、NGO活動家など
さまざまな分野で活躍中の人を講師に招いて行われている
「明日の法律家講座」を、随時レポートしていきます。
なお、この講演会は、一般にも無料で公開されています。

【講師】
竹田昌弘 氏
(共同通信 編集委員兼論説委員)

●講師の主なプロフィール:
1961年、富山県生まれ。1985年、早稲田大学法学部卒。1988年1月から毎日新聞記者、1992年8月に共同通信記者へ転じ、本社社会部では司法担当、警視庁サブキャップ、法務省担当などを歴任。大阪支社社会部次長(デスク)、本社社会部次長、司法キャップ、社会部編集委員などを経て、2016年1月から編集委員室編集委員兼論説委員。参院法務委員会参考人(裁判員法)、東京都世田谷区基本構想審議会委員、つくば国際大学非常勤講師も務めた。著書に『知る、考える裁判員制度』(岩波ブックレット)など。

はじめに

 法テラス、ロースクール、裁判員制度などの設立のきっかけとなった司法制度改革審議会が2001年に意見書をまとめてから15年になります。弁護士の数は2倍に増え、裁判員を務めた人は5万人を超えました。一方で、訴訟は増えていません。そもそも司法制度改革は経済界に迫られ進められたという背景をご存知でしょうか。そこで期待された法曹の役割とはどういうものだったのでしょうか。
 本日は、記者、デスク、編集委員として司法や事件を担当してこられた竹田昌弘さんに、司法制度改革の理想と現実について解説いただくとともに、法律家(またはジャーナリスト)に求められる役割についてお話し頂きました。

冤罪謝らない検察、予断と偏見の裁判所

 これまで取材してきた事件や裁判などを振り返りながら、私が考えてきたこと、いま考えていることをまずお話ししたいと思います。
 私が1988年に毎日新聞の記者となって間もなく取材したのが、静岡地裁で続いていた島田事件の再審公判でした。1954年に6歳女児殺害の容疑者として赤堀政夫さんが逮捕され、1989年の再審無罪判決で釈放されるまで、35年間も投獄されました。再審無罪が確定しても、検察は真犯人が見つかった場合か、犯人でないことが証拠上明らかな場合しか謝罪しません。検察官は「有罪の立証に失敗しただけだ」というわけです。赤堀さんに頭を下げることはありませんでした。検察というのはひどいところだなと思った最初でした。
 1992年に毎日新聞から共同通信に転職後、宇都宮支部に配属され、足利事件の一審を担当しました。菅家利和さんが法廷で「私はやっていません」と言った姿は今でもよく覚えています。宇都宮地裁はDNA鑑定を決め手に無期懲役を言い渡し、東京高裁、最高裁も支持して確定しました。ところが、DNA鑑定の誤りが判明し、菅家さんは2010年に再審無罪となりました。このときは犯人でないことが証拠上明らかなので、検察は謝りました。
 1994年に本社の社会部へ異動し、警視庁を短期間担当した後、司法クラブで検察や裁判の担当となりました。司法担当は1998年までの4年間と、司法キャップで戻った2006年から翌年までの計5年間に及びました。
 記者として取材した東京地検特捜部の事件としては、山口敏夫元労相を起訴した2信組事件が最も印象に残っています。当時の特捜部は、例えば苦労人の容疑者の取り調べは苦労人の検事にやらせたり、ボケとツッコミ、優しい検事と厳しい検事といったペアで取り調べたりしていました。容疑者に検察が考えた構図通りの供述調書に署名、押印させるまで、任意の段階から逮捕、起訴まで数十日もの間、連日朝から夜まで取り調べを続けていました。被告となり、供述調書の内容は公判で否定しますが、裁判所は予断、偏見としか思えない論理、例えば「そういうこともありうる」とか「必ずしも不合理不自然とはいえない」と言って調書通りの有罪にしてしまう。特捜部を信用しきっていましたね。
 デスクとしては、ライブドア事件や村上ファンド事件、福島県知事の事件などに当たりましたが、裁判所の予断、偏見に満ちた対応は同じでした。ただ郵便不正事件で大阪地検特捜部の目茶苦茶が発覚し、陸山会事件でも検察審査会への恣意的な対応が明らかになると、裁判所もさすがに以前ほどは検察を信用しなくなったようです。不祥事を機に対応が変わるところを見ても、裁判所が事件ごとの証拠だけに基づくのではなく、予断や偏見がひどいことが分かりますね。裁判官が決めつけたら、証拠なんて見ませんから。

責任能力、世論に押され厳罰の枠組み

 裁判で最も思い出深いのは、180人を超える被告が起訴されたオウム真理教事件です。麻原彰晃(本名:松本智津夫)死刑囚の公判は、第1回から100回くらいまで取材しました。長丁場で考えさせられる公判ばかりでした。被告となった信者たち、つまり事件を起こした信者たちは親が決めたコース、あるいは、社会で常識とされているコースの人生に疑問を持ったとき、教団で空中浮揚とか、自分のいる室内を上から俯瞰して見るなどの超能力的な体験をし、麻原死刑囚に帰依していったようです。
 このほか、ロス疑惑事件、薬害エイズ事件、4大証券利益供与事件などの裁判もありました。連続幼女誘拐殺人事件の宮崎勤死刑囚の一審判決では、驚いて法廷で転び、負傷しました。死刑判決の場合、主文を冒頭で述べると、被告が動揺して暴れたり、理由を聞かなかったりするので、通常は主文を後回しにして理由から朗読します。ところが、宮崎死刑囚にはいきなり「主文、被告人を死刑に処する」と言い渡し、速報のために立ち上がったときに転倒してしまいました。後日の取材によると、裁判長は「判決をどうせ聞かないので、主文を後回しにする必要がない」と考えていたそうです。宮崎死刑囚は4〜5通りの精神鑑定がなされ、中には心身喪失の鑑定もいくつかあったのですが、結局完全責任能力とされて死刑が言い渡されました。
 刑事責任能力の問題で忘れてはならないのは、1980年代前半に相次いだ深川通り魔殺人、新宿バス放火事件、日航機墜落事故です。通り魔とバス放火の被告は心神耗弱が認められ、無期懲役となり、墜落事故は機長が着陸前にエンジンを逆噴射させたことが原因でしたが、統合失調症による心神喪失で不起訴となりました。責任能力は大きな社会問題となり、最高裁は責任能力について「法律判断であって専ら裁判所に委ねられるべき問題」という判例を確立したうえで、さらに事件当時の病状や事件前の生活状態、動機・態様などを総合して判定するという判断の枠組みを示しました。
 1970年代は心神喪失で無罪となる件数は年間二桁でしたが、この枠組みにより、心神喪失の鑑定意見が出ても、総合判定で心神耗弱や完全責任能力とされ、無罪は年間数件になりました。ゼロの年もあります。裁判所が世論に押され、厳罰になるような判断の枠組みにしたのです。

被害者参加、刑事裁判変える

 警視庁のサブキャップ時代ですが、1999年に池袋の通り魔殺人事件を取材しました。この事件では2人が亡くなり、6人が重軽傷を負ったのですが、亡くなられた女性のご遺族の方から「取材に来る記者はたくさんいるが、仏壇に手を合わせてくれた記者は2人だけだ」と言われました。ご遺族のお宅をうかがったら、まず仏壇に手を合わせています。
 1999年の秋に法務省担当へ配置換えがあり、司法制度改革審議会が仕事の中心となるのですが、こちらは最後にお話しすることにして、法務省では、犯罪被害者保護法成立の経緯も取材しました。
 この法律が出来た背景には、一つは地下鉄サリン事件の被害者遺族の活動がありました。また「片山隼くん事件」という、小学生の男の子が大型トラックにはねられ亡くなった事故があり、処分を尋ねた遺族に対して東京地検の事務官がひどい対応をして、法務大臣が謝罪、世論が沸き立ちました。これらがきっかけとなり、立法に至りました。成立の際、法務省の幹部は「パンドラの箱が開いた」と言いました。その後、被害者参加制度などが相次いで導入され、それまで専門家だけでやっていた刑事裁判が大きく変わりました。
 大阪社会部のデスクだった2003年、池田小事件の宅間守被告に大阪地裁で死刑判決が下されました。幼い子を亡くされた親御さんたちの無念は察するに余りあり、それをどう伝えていくか、深く考えました。
 被害者の実名公表については、2004年に奈良で起きた小1女児殺害事件のご遺族は「娘の名前を報道してくれるな」という意向でしたので、初公判のとき、名前を出しませんでした。一方、2005年に起きた、広島の小1女児殺害事件では、お父さんが「娘が生きた証として名前を報道してくれ」と言われました。ご遺族の意向によって、報道側の対応は変わります。

事件は社会のありようを反映する

 2008年6月8日、17人が殺傷された秋葉原の通り魔事件が起きました。この事件を起こした加藤智大死刑囚は、池田小事件が起きた「6月8日」という日付にかなりこだわっていたようです。最高裁で死刑が確定しました。彼については、さまざまな報道がなされ、何が真実なのか分からないほどですが、一つだけ言えるのは、経済構造改革により、非正規労働者の増加など日本社会が大きく変わり、一度失敗すると再起できないような社会になっていく中で、彼は追いつめられていった。それは確かなようです。事件はそのときどきの社会のありようを反映します。
 先日、19人の障がい者の方が殺害された相模原の事件現場、津久井やまゆり園へ、この事件について寄稿してもらった作家の雨宮処凛さんらと一緒に花を手向けてきました。まだ裁判も始まっておらず、何も分かりませんが、私がこれまで取材してきた事件の中でも、最も衝撃的であり、これまでの事件とは一線を画すものだと考えています。自己責任とか、生産性とか言っている今の日本社会のありように、とても深くかかわる事件ではないでしょうか。

裁判員、オンリーワンの事実認定

 事件や裁判の話はこれくらいにして、司法制度改革に話を移します。政府に置かれた司法制度改革審議会は月に2〜3回、虎ノ門の森ビルで会議をしていました。その様子がモニターされる別室で、最高裁、法務省、日弁連の方々の横で取材していました。そもそも司法制度改革は、経済界から求められたものでした。バブルがはじけ、経済が大きく衰退する日本社会で、経済の構造改革を行うため、規制緩和やコストカット、非正規労働、収益の上がる分野への資金・労働力の移行などを進めていくと、民事訴訟や法律相談が増える。それに備えて法曹を大幅に増やし、司法を強化しよう。すなわち、司法制度改革の最大のテーマは法曹の大幅増員でした。
 しかし、法曹増員と言っても増えるのは弁護士がほとんどで、日弁連の反対は目に見えていましたから、政府・与党は審議会のテーマに日弁連が長年導入を訴えてきた「国民の司法参加」を入れました。参加形態としては、陪審か参審が想定されますが、参審のように国民から選ばれた裁判員と職業裁判官が審理に当たり、一方で裁判員は陪審のように事件ごとの無作為選任という制度になりました。裁判員制度は法曹増員とのバーターのようなものです。
 既に裁判員を務めた人は5万人を超えています。ただ最高刑が死刑または無期懲役の罪などとされている裁判員裁判の対象事件は、年々減っています。犯罪に手を染めやすい30歳未満の人口が減少しているため、犯罪は今後も増えないでしょう。当初対象事件は年間3000件とか言われましたが、昨年は1300件余りです。
 他方、裁判員の辞退率は65%に上り、選任手続きの欠席率も40%近くになっています。世論調査で裁判員になりたい人は2〜3%しかいませんが、裁判員を務めた人へのアンケートでは、30%を超える人が「やってみたかった」と答えています。辞退率が高いので、やりたい人が選ばれているわけです。
 また国勢調査と裁判員アンケートの結果を比較すると、裁判員になるのは女性より男性の割合が多く、年齢構成はほぼバランス良く選ばれているものの、職業は「お勤め」の割合が高くなっています。裁判官に聞くと、有給休暇が取りやすい大企業の社員、公務員が多いそうです。
 目の前の被告人は、裁判官からするとワンノブゼムで、何度も言いますが、裁判官は予断と偏見の塊です。例えば、ガソリンを7リットルまいてライターで火を付け、その上を逃走したなどという、常識では到底考えられない自白も、裁判官にかかると「あながちあり得ないことではない」となってしまいます。一方、裁判員にとって、裁判はオンリーワンです。被告が無罪を主張した、これまでの裁判員裁判を見ると、裁判員は裁判官のように予断や偏見にとらわれず、事実認定に当たっているようにうかがえます。
 これに対し、量刑は被害者の声が裁判員の心を動かし、性犯罪や傷害致死などで刑が非常に重くなっています。死刑求刑事件では、死亡被害者1人でも死刑判決が相次ぎ、うち2件は高裁で無期懲役に減刑されました。この評価は人それぞれですが、量刑は時代とともに少しずつ変化すべきであって、急に重くなったり軽くなったりすると、公平ではないと思います。

失敗だった司法制度改革

 司法制度改革に話を戻すと、審議会の意見書では、法曹は増員するものの、法科大学院を創設して質を高め、豊かな法的サービスを提供するという将来像を描いていました。そうはなっていませんね。意見書が出た2001年当時、それぞれ約2200人、約1400人、約18000人だった裁判官(簡裁判事除く)、検察官(副検事除く)、弁護士は昨年、約3000人、約1900人、約36000人にまでになりました。
 しかし、経済界が予想したように民事訴訟や法律相談は増えていません。弁護士の平均収入は随分減少しているようです。
 意見書で民事訴訟の審理期間は「おおむね半減」などと書かれたため、証人尋問や当事者尋問が格段に減り、鑑定や検証も横ばいもしくは減少しています。準備書面や書証で結論が導かれ、勝ち負け以前に当事者が納得できない裁判が続いています。元裁判官が『絶望の裁判所』という本を出しているほどです。こんな状況ですから、民事訴訟を利用した人へのアンケートで「満足」と答えた人は20%程度しかいません。裁判なんてもうこりごり、二度とやりたくないという思いを抱いているようです。
 とりわけ、民事訴訟のひどさが際立っています。相談件数が増えている法テラスは別として、司法制度改革は大失敗だったのではないかと思います。

1件1件真剣に、失敗したら謝罪する

 最後になりますが、法律家の仕事も、報道の仕事も、ワンノブゼムにしないよう1件1件真剣に取り組み、それでも失敗や過ちがあれば、謝ることが一番大事だと思っています。私は足利事件の菅家さんが再審無罪となり、業界の勉強会に来られた際、一審公判を取材した記者として、捜査や裁判の誤りを見つけられなかったことを謝罪しました。二審を取材した記者はその後弁護士になりましたが、朝日新聞に菅家さんに謝罪する投書をしました。
 思い起こせば、私が記者になった大きなきっかけは、1987年に起きた朝日新聞阪神支局襲撃事件です。朝日新聞入社6年目でまだまだやりたいことがたくさんあったはずの若い記者が殺害されました。彼の分までと思って仕事に取り組んできましたが、まだまだです。1989年には、坂本堤弁護士一家がオウム真理教の幹部らに殺害されました。法律家も殺される危険がある仕事です。みなさん、どうか志を高く、警戒心も持って、頑張ってください。

 

  

※コメントは承認制です。
おっさん司法記者の小言
竹田昌弘 氏
」 に1件のコメント

  1. L より:

     とても優れた分析の記事で記者の方の力量がよく伝わるし、勉強になりました。

     ただ、
    >犯罪に手を染めやすい30歳未満の人口が減少しているため、犯罪は今後も増えないでしょう
    は、疑問。
    若年層の中でも犯罪率と数が非常に減って来ているので、若年層が減ったから犯罪が減って来たとはいえないでしょう。年齢層なり世代で言えば今70前後の方々は若年時より一貫して犯罪率と数が多く、それまでの老人は犯罪が少ないという傾向を崩しているそうです。

     犯罪が減る傾向は海外でも見られるそうですが、とりわけ日本ではフーコー先生式の抑圧と自己調教が非常にきついためのようです。この辺りが報復や「解決」殺人(年300人強)ではなく自殺(24000人)にはしる所以のようですね。で、この種の内面化された抑圧は国会や官邸前などの社会運動シーンでも目立ち、学があり目が雲っていない人々が批判すると、市民意識と自覚してるけど実は「おまわりさんの論理を内面化した」人々によって大炎上したりします。

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