マガ9学校やりました。

講師:伊勢崎賢治さん&伊勢崎ゼミ生
ゲスト:高橋源一郎さん

2014年3月15日(土) 13:00~16:00
@新宿NPO協働推進センター

2001年に起きた9・11同時多発テロ事件を契機に、世界では国家が「安全」を掲げて国民への監視を強めています。それに対して、市民の「自由」が侵害されるのではないか、という強い危機感が広がってきました。一方、日本でも数多くの人々が反対の声を上げたにもかかわらず、特定秘密保護法が成立。私たちは「安全」を享受するために、知る権利や表現の「自由」が規制されることを受け入れなくてはいけないのか? 東京外国語大学で平和構築を学ぶ学生の研究発表と、伊勢崎さん・高橋さんの対談をもとに、日本の「自由」と「安全」はどうなるのか、どうするべきなのかを、来場者のみなさんと共に考えました。

伊勢崎賢治●いせざきけんじ 1957年東京都生まれ。大学卒業後、インド留学中にスラム住民の居住権獲得運動に携わる。国際NGOスタッフとしてアフリカ各地で活動後、東チモール、シェラレオネ、アフガニスタンで紛争処理を指揮。現在、東京外国語大学教授。紛争予防・平和構築講座を担当。著書に『東チモール県知事日記』(藤原書店)、『武装解除 紛争屋が見た世界』(講談社現代新書)、『伊勢﨑賢治の平和構築ゼミ』(大月書店)、『国際貢献のウソ』(ちくまプリマー新書)、『紛争屋の外交論-ニッポンの出口戦略』(NHK出版新書)など。

東京外国語大学伊勢崎ゼミ生● 伊勢崎先生のもとで平和構築について学ぶ東京外国語大学3年生&4年生。大学で専攻する言語や分野はさまざま。それぞれの専門を活かしつつ、世界各国が「自由」と「安全」をどう考えているのかついて研究を進めてきた。

高橋源一郎●たかはしげんいちろう 1951年広島県生まれ。作家、明治学院大学教授。81年『さようなら、ギャングたち』(講談社文芸文庫)で群像新人長編小説賞優秀作に選ばれデビュー。他に『優雅で感傷的な日本野球』(河出文庫・三島由紀夫賞)、『日本文学盛衰史』(講談社文庫・伊藤整文学賞)、『さよならクリストファー・ロビン』(新潮社・谷崎潤一郎賞)、『官能小説家』(朝日文庫)、『ミヤザワケンジ・グレーテストヒッツ』(集英社文庫・宮沢賢治賞)、『「悪」と戦う』(河出書房新社)、『恋する原発』(講談社)など多数。

 第一部は、東京外国語大学・伊勢崎ゼミで平和構築を学ぶ学生たちによる研究発表です。世界の国々には、どのような情報管理に関する法律があるのか? 各国の資料を収集し、日本の特定秘密保護法にあたる法律がそれぞれの国で制定された背景、法律の内容、運用事例、第三者機関などについて分析・検証してくれました。
 取り上げたのは、日本、アメリカ、ドイツ、イギリス、カナダ、インド、韓国、中国、キューバ、タイ、フィリピン、南アフリカの12カ国。各国の現状および世界の潮流を知ることで、「自由」と「安全」について多角的にとらえようという意欲的な取り組みです。

 12カ国の発表の前に、学生たちは、まず「自由」と「安全」とはどのような概念なのかを定義しました。「自由」と「安全」についてギリシア語やラテン語などの語源を調べ、これらの概念がやがてルソーらの思想につながり「市民が形成する国家の法律に密接に結びついていった」という結論を導き出します。ふだん何気なく使っている「自由」と「安全」という言葉の定義を明確にした上で、各国の発表に移りました。

 最初の国は日本。明治・大正時代にさかのぼり、戦前・戦後を経て現在にいたるまで、軍事保護法、国家公務員法、自衛隊法など、国家の機密保護を目的とした法律がつくられてきた過程をたどりました。
 そこから見出されたのは、日本で秘密保護の法律ができるときには「4つの法則がある」のではないか? ということ。①大陸(中国、ロシア、朝鮮半島)情勢の緊迫化、②議会、省庁をコントロールできる強力な政権の存在、③日米関係の緊密化の必要性、そして④戦前の過度な機密保護体制を記憶している世代の減少。このような4つの要因が「今回の特定秘密保護法の制定に影響しているのではないか」と指摘しました。

 アメリカについては、1917年制定の防諜法などの法律に加え、大統領令によって機密指定の方法が定められていることが示されました。70年代のカーター政権からオバマ政権まで、大統領令により機密指定の範囲が拡大されたり縮小されたりしています。これはその時々の大統領の裁量で恣意的な情報コントロールも可能になるということで、アメリカは一概に「自由の国」とはいえないことが再確認できました。

 国家の「安全」より、国民の「自由」が重んじられている印象が強かったのは、ドイツ、イギリス、カナダなど。たとえばドイツは戦前の反省から「戦う民主主義」を掲げて、冷戦時代でさえも秘密漏えいを防ぐ法律の対象が、わずか3年で縮小されています。ドイツ、イギリス、カナダでは、それぞれの国の歴史や事情を背景に、秘密保護と情報開示のバランスをとることを模索しながら、国民の「自由」を重視する傾向を強めてきたことがうかがえました。

 インド、韓国、タイなどは、国が情報を厳しく保全する法律を規定しています。これは過去の戦争の経験や共産主義勢力への警戒が背景にあり、とくにインド、韓国においては常に隣国との軍事衝突の危機にさらされていることが理由であると説明。その一方で、これらの国では、知る権利や「自由」を求める国民のパワーが強いことも指摘されました。
 また、南アフリカの発表では、現在策定中だという秘密保護のための国家情報保護法案についての報告もありました。

 最後にまとめとして、「情報管理に関連する法律の内容は、どの国もそのときの安全保障の危機や国民意識によって左右されるものであって、固定化されるものではない」との結論が発表されました。
 12カ国の法律を見ていくと、各国の「自由」と「安全」のとらえ方は時代によって変化し、それにともなって法律の内容も改正されたり、廃案になったりしている経過が読みとれます。特定秘密保護法は成立してしまいましたが、「決まったものはしようがない」と諦めるのではなく、施行後もしっかり監視していかなくてはいけないと、あらためて認識させられ、勇気づけられる発表でした。

 第二部は、伊勢崎賢治さんと高橋源一郎さんの対談です。
 高橋さんは冒頭で、学生たちが最初に「自由」と「安全」の概念を定義したことに触れ、「まず言葉の意味をはっきりさせようという考え方がとてもいい」と述べました。

 そして、仕事でベトナムに行って帰ってきたばかりだという高橋さんは、社会主義国における作家の実態を話してくれました。知る権利も言論の自由も保障されていないベトナムの現状を紹介し、「社会主義国には国家というものの本質があらわれている」と言います。
 「安倍政権がめざしているのは〝効率化〟なんですね。つまり決められる政治です。だけど民主主義というのは、もともと決められない政治なんです。いちばん決められるのは社会主義ですよ。僕はベトナムに行って、あっ、国家権力が望んでいるのはこれだと思いましたね」
 伊勢崎さんは、そうした「決められる政治」に潜む危険性があらわれた例として、ブッシュ政権下のアメリカをあげました。
 「アメリカでは9・11後、テロリストと名をつけてしまえば何をしてもいいという風潮が広がりました。その人の人権を考えずに、イラク人捕虜を虐待したりした。悪いやつは殺されて当然。簡単です。それで突っ走っちゃうんですね。だから言葉の力は恐ろしい」

 高橋さんは、9・11の直後にアメリカの作家スーザン・ソンタグが「テロリストをやっつけろと言う前に、そもそもテロリストとは何か、言葉の定義をしよう」と提起したことを、同じ作家として「尊敬に値する」といいます。アメリカのリベラルな知識人たちでさえも口をつぐんでいたときに、ソンタグは国家と国民に向かって「あなたたちのテロリストという言葉の使い方は間違っている」と批判したのです。
 特定秘密保護法があわただしく成立した日本についても、高橋さんは「言葉を大切にしなければいけない」と強調します。

 「この国が危ない方向に流されているのだとしたら、その中で主流派になろうとしている言葉に抵抗できなければ、この先も何も抵抗できないと思うんです。この国では今、とても重要な転換が起ころうとしていて、それに対抗するには言葉による闘い方を考えなければいけないですよね」
 高橋さんのこの発言に応じて、伊勢崎さんは、「学生の発表で、自由の概念の定義のところでルソーの〝革命権〟という言葉が出てきましたね。〝革命権〟ってセクシーな言葉じゃないですか。ああいう言葉の力で国に揺さぶりをかけてみたい(笑)」とも。

 特定秘密保護法、集団的自衛権の行使容認、原発推進・・・。安倍政権は、次から次へと国民の自由や権利を侵害する施策を打ち出しています。高橋さんも伊勢崎さんも、こうした国の動きに「反対と叫ぶだけでは、その言葉は力になりにくい」と意見が一致しました。
 では、私たちは何をすればいいのか? 何ができるのか?
 「個人が、自分の言葉を発していくことが必要だと思うんですよ」と高橋さん。安倍政権は、あたかもブッシュ政権時代のアメリカや社会主義国のように〝効率化〟と〝単純化〟を浸透させて、決められる政治の実現をはかろうとしています。それに対して「賛成か? 反対か?」と二元論的に語ると、「こちらも〝単純化〟してしまう」というのが高橋さんの考えです。「国民全員、1億2千万通りの解があっていいんです。民主主義はなかなか決まらないものなんだから」という言葉に、来場者のみなさんはじっと聞き入っていました。
 「今日の話は、言語を学んでいる外語大の学生にとっても自信になる。自分の言葉を見つけるのは難しいけれど、大切なことですね。個人が、みんなでクリエイティブな言葉を生み出していきましょう」との伊勢崎さんの発言で対談は終了しました。

 続いて第三部は、来場者が約10人ずつに分かれてのグループトークです。各グループのディスカッションには学生たちも参加し、特定秘密保護法について話し合いました。年代、性別もさまざまな来場者が、それぞれの意見を述べて、会場はたちまち活気にあふれました。

 最後に全体のまとめとして、高橋さんと伊勢崎さんから次のようなコメントがありました。
 「特定秘密保護法案は通ってしまいましたが、僕はまったく絶望していません。だって戦後70年近く、この国にモヤモヤと内在していた戦前回帰のような空気が法律になってあらわれたわけです。法律になって、言語化されたらこっちのものです(笑)。空気は相手にしにくいけれど、言葉の土俵に乗ってきたわけですから」(高橋さん)
 「僕は、学生の発表の総括で『自由と安全の概念は固定化されない』という言葉がいいなと思いました。法律は決まっても、それで終わりじゃない。そういう考え方を広げていきたいですね」(伊勢崎さん)
 特定秘密保護法が夜遅い時間に、強行採決されてから約3カ月。あのときの衝撃は月日と共に薄れようとしています。
 しかし、個人の言葉を見つけることで、その言葉は大きなうねりになり得る。日常の中で、足元からちょっとずつでも考え続けることの大切さを認識させられた「マガ9学校」となりました。

koe

●アンケートに書いてくださった感想の一部を掲載いたします。(敬称略)

各国の事情がわかっておもしろかったです。高橋源一郎さんの語り方自体が、伊勢崎さんのおっしゃっている「セクシー」「チャーミング」な政治の語り方なのではないかと思いました。真面目な話なのに、笑いがたくさん出る対談でした。また、第3部でみなさんの意見を聞くことができたのも、とても良かったです。
(匿名希望)

ゼミ生の日本語に対する姿勢は、外国語を学び世界を知る上でとても大切なものだと感じました。言葉、大切にしたいです。(井上和孝)

ものは考えよう、という言葉を思い浮かべていました。言葉での対抗が最も現実的かつ有効なのではないかと思います。それは決して単純化・均一化された言語ではなく、個々の多様な肉声としての言葉です。心に届くのは主張の大声での連呼ではなく、静かな声だと思います。(匿名希望)

ゼミ生の報告が面白かった。言葉を無神経に使わなかったことが良かった。「難しいことを楽に話す」高橋源一郎氏の感性や素朴な疑問から物事を考察する姿勢に感心した。ユーモアや軽やかさ、話芸もある。いい時間でした。(後藤和夫)

法律(政策)がもっと身近な言葉で流通するよう、努力したいと思いました。各国との比較により、国内法の輪郭がハッキリするのだと分かりました。(池田幸代)

外国の秘密保護法にあたる法律が、メディアではアメリカぐらいしか比較されていないし、話題にもなってなかったので、本当に様々なものがあるのを知っておどろいた。追って色々調べてみたい。自分はしゃべることも苦手だが、セクシーな(チャーミングな)言葉を作ったり知ったりしなければならないと思った。(匿名希望)

単純化して楽したくなるが、立ち止まってしつこく考えようと思った。大変参考になりました。(匿名希望)

高橋源一郎さんの柔軟な発想に刺激を受けました。(匿名希望)

言葉の力というキーワードが印象に残りました。知って、言葉にして、そして初めて議論できるのだなと。(匿名希望)

高橋先生の話は、極めて論理的で中立的で良かったです。ただし、グループディスカッションのテーマが、ややバイアスがかかっている気がしました。高橋先生が言及された(自分と考えの異なる)相手のことも理解する事が大切だ、単純化しない、というのであれば、秘密保護法のメリットにも目がいくようにした方が、よりこの問題の本質に迫れたのではないか、と思う。(匿名希望)

ゼミ生の皆さんの発表は、他国の潮流がよくわかって視野が広がりました。高橋先生のお話は、言葉に絶望していない、言葉こそが人間性、ラインを超えないように、ということなどが印象的でした。自分の頭で考えることをあきらめないよう、身近なところから伝えていきたいと思います。(池田ゆう子)

学生の方の発表は素晴らしく、これだけの素晴らしい若い方のいる日本の未来は明るいなあと思いました。「単純化しようとする言葉に対抗するのは、個別の言葉。お互いを理解しようとする姿勢」という高橋さんのお話、心に響きました。(匿名希望)

 

  

※コメントは承認制です。
第31回
「自由」か「安全」か
さまよう国際社会と日本が進む道
~特定秘密保護法から考える~
」 に1件のコメント

  1. 多賀恭一 より:

    アメリカの覇権の終わりを皆が感じているところだが、覇権国の弱体化は、戦乱の時代の始まりでもある。
    来たるべき第三次世界大戦の最終盤、戦争を終わらせるために日本も参戦することになるだろう。
    時の内閣総理大臣は宣言する。

    「この参戦は憲法9条違反である。この戦争のあと、日本の勝敗に関係無く、私を、裁判にかけるなり死刑にするなり、好きにしてもらってかまわない。この最初で最後の憲法違反をもって、戦争そのものを終わらせる。日本国民の皆様には最大限の協力をお願いしたい。」

    憲法9条は戦争を絶対悪とする法律である。
    戦争を絶対悪とする国家だけが世界を統一する資格があり、第三次世界大戦の最終盤では日本にその義務がのし掛かってくる。
    そもそも、憲法9条が成立する世界とは、日本にとって外国が存在しない世界である。

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