マガ9学校やりました。

2011年8月27日(土)12:00〜15:00
@カタログハウス本社地下2階セミナーホール

いま、忘れてはいけないこと。〜ビルマから、フクシマから〜

伊勢崎賢治さん×大野更紗さん

福島第一原発事故の直後に比べると、世間の風潮は脱原発に向かってきたと感じる人も多いのではないでしょうか。「原発は危険だ」「福島から避難すべきだ」という話を目にしない日はありません。しかし、そうした脱原発論は、本当に福島の人たちを救っているのでしょうか。世界各地で紛争後の復興支援に携わってきた伊勢﨑賢治さんと、難病を患い、作家として活躍する大野更紗さんに「支援すること」の本質を語ってもらいました。

伊勢崎賢治●いせざき・けんじ1957年東京生まれ。大学卒業後、インド留学中にスラム住民の居住権獲得運動に携わる。国際NGOスタッフとしてアフリカ各地で活動後、東ティモール、シェラレオネ、 アフガニスタンで紛争処理を指揮。現在、東京外国語大学教授。紛争予防・平和構築講座を担当。著書に『東チモール県知事日記』(藤原書店)、『武装解除 紛争屋が見た世界』(講談社現代新書)、『伊勢崎賢治の平和構築ゼミ』(大月書店)、『国際貢献のウソ 』(ちくまプリマー新書) など。近著に『紛争屋の外交論―ニッポンの出口戦略』 (NHK出版新書)がある。

大野更紗●おおの・さらさ1984年福島県生まれ。作家。上智大学大学院グローバル・スタディーズ研究科地域研究専攻博士前期課程休学中。同大学部在籍中よりビルマ(ミャンマー)の民主化、難民問題を研究、NGO活動に尽力。2008 年、自己免疫疾患系の難病を発症。2011年 6 月に刊行した初の著書、『困ってるひと』(ポプラ社)が話題に。今日も絶賛生存中。Blog: http://wsary.blogspot.com/ Twitter: @wsary

支援する側は被災者に「悲劇的な存在」を期待してしまう

 難病の発症と、原発事故。これらに共通するのは、突然降ってきた「不条理」という点です。この日のマガ9学校の第一部で、大野さんは「人間が不条理に直面したときに、どう振る舞うのか」を主軸に語りました。

 大野さんが難病を発症したのは、ビルマ難民の支援活動をしていた大学院生だった頃。入院と治療で日常生活の全てが困難になり、「友人やビルマ難民支援の仲間たちにひたすら助けを求めた」と言います。しかし、最初は「何でもしてあげるよ」といっていた友人たちも、病気が長期化するとともに「何でもしてあげられないこと」に気付いていったそうです。大野さんは「私を見る目が辛そうで、絶対的な孤独感を感じた」と当時を語りました。ここに一つ、不条理に遭遇した時の人間の反応が見て取れるというのです。

 ただ、大野さん自身も、同じ振る舞いをしていたことがあると打ち明けました。難民研究のため、タイとビルマの国境沿のキャンプで現地の人にインタビューし、車で15時間もかけて仲間の家に帰った日のことです。シャンパンを開けて乾杯をした瞬間、「アッ!」と気付いたといいます。「キャンプで会った子は、あそこから出られない。だけど、私は今ここでシャンパンを飲んでいる。自分は外部者でしかない」。そこから大野さんは、“人を助けるって何?”“援助する行為とは?”と、支援活動が持つ根源的な「不遜」を感じたそうです。難病を患い、自由が制限される今、「あの時、ビルマ難民が見ていた風景はこうだったろうなあ」と振り返ります。

 今回の震災では、多くのボランティアが被災地を訪れましたが、ボランティアをすること自体に「人間としての深い『問い』が隠されている」と大野さんは指摘します。力になりたい、助けたいと思っての行為も、どこかで「相手に対して一定の振る舞いを期待してしまう」というのです。テレビでは被災者に「お気持ちは?」と聞きますが、その答えは「ありがとう」か「申し訳ない」の2つしかありません。支援する側は被災地の人たちに対し、どこかで「すごく悲劇的な存在か、インビジブル(目に見えない)存在であることを求めている。本当は、その間のグレーゾーンに被災者はいるのに」と大野さんは感じています。

日本だけの脱原発では済まされない

 続いて壇上に立った伊勢崎さんは、冒頭、調査のためにインド・パキスタン国境のカシミールを訪れた際の様子を報告。そのあと、書籍の企画で北朝鮮拉致被害者家族の蓮池透さんと原発の問題について対談して浮かび上がったテーマを紹介しました(蓮池さんは元東電幹部)。そこには、安全保障の観点から見た脱原発の課題が集約されていました。

 テーマの一つに、「福島の子どもを避難させたほうがいい」という声に関する問題点が挙げられました。子どもを敬い、大切にする「母性」は男女を問わず持っているもので、絶対的な人類の正義である。ただし、“集団で増幅するとおかしなことになる”と伊勢崎さんは警鐘を鳴らします。今、母性が矛先を向けているのは放射能ですが、これが具体的な『敵』だったらどうなるか。「あいつらがいる限り、子どもの将来がないという思いを集団で共有すると、戦争が起きる。戦争は母性を利用する」と伊勢崎さんは言います。

 原子力潜水艦(原潜)の危険性についても言及されました。原潜は、原子炉を動力に動く潜水艦で、“海を泳ぐ原発”のようなものです。事故が起きた際の危険は大変なものですが、これまで起きた事故の情報は最高度の軍事機密で、私たちに知らされることはないそうです。

 「今、原潜を持っているのは、インドとP5(国連安全保障理事会常任理事国)ですが、P5は原潜を廃止する議論にはならない。彼らにとって原子力は、安全保障の核だから。世界が脱原発になり、核技術がテロリストに渡ったら、次の9.11は核攻撃になる。『敵』という概念がある限り、世界が反原発になることはありえない。大変残念ですが、安全保障に関わる人間から見た非常に冷たい現実です」

 こう語る伊勢崎さんの言葉からは、日本だけの脱原発では済まされないこと、エネルギー政策の転換は、安全性や経済性だけが問題ではない現実を痛感させられました。

 また、外務省が風評被害対策の一環として、被災地の水産加工品をODAとして発展途上国に送る方針を打ち出したことも話題に上りました。「国内の都合の悪いものを、人を助ける名の下に発展途上国に送ってもいいのですか」と伊勢崎さん。日本の脱原発論議において「支援するとは何か」が置き去りになっていることが伝わります。

福島に残る人たちの日常を想定した議論を

 第二部のトークセッションは、お二人の講演をさらに掘り下げる内容でした。

 原発事故後、伊勢崎さんは「福島の人たちが差別され、見捨てられる」と危機感を募らせ、広島のNGOとともに福島県南相馬市の支援を始めました。当時、南相馬市ではボランティアが足りず、「誰かがきっかけ作るのが大事と思った」からです。ところが、友人からは「福島の人たちに放射能のなかで生きろと言っているようなものだ」と言われたそうです。伊勢崎さんの答えは「生活か放射能の脅威かはかりかねて福島に残る人は必ずいる」ということでした。そうした人たちの支援が正しいのか否か、明確な答えは出ないものの、現在もNGOの活動は継続しているそうです。

 福島に残る人への支援について、大野さんは「本当に脱原発というなら、避難民の行き場を確保してから」と強調しました。福島県最大の避難所「ビッグパレット」(郡山市)には、仮設住宅の抽選を待っている人たちが大勢いるそうです。しかし、抽選結果が分かるのは8月末で、同時期にビッグパレットは閉鎖されます。被災者の日常を無視した「逃げろ」というメッセージが、自己責任を押し付けている現状があるというのです。

 また、大野さんは、原子力を「誰もエビデンスを出せない“不可知”なもの」と表現します。社会が不可知な原子力問題に直面している今、「エビデンスの不確実性をみんなで分担できるかどうか、民主主義が問われるのではないか。不条理が起きたとき、国の民主度がもろに出る」と語りました。

 会場からの質疑応答では、幅広い質問が寄せられました。その一部を紹介します。

Q: 脱原発となったとき、原子力産業に携わる人の身の振り方はどうしたらいいか?

伊勢崎: 戦後復興は、「終戦」による大量の失業者をどうするかが大きなテーマとなる。原子力産業の人口はわからないが、彼らの再就職を考えることは、原発事故からの復興のスピードを決める大きな問題だと思う。結果的に脱原発を遅らせるかもしれない。

Q: 弱い立場の人の声を抑圧するものはなにか。そうした人の声を引き出すにはどうしたらいいか。

大野: メディアの問題がかなり大きい。当事者と非当事者との間のラインを引いてしまう側面がある。本当は、誰もが潜在的当事者で、震災、事故、病気、失業……いつ誰に起こるかわからない。弱者か強者かではなく、もっとフラットに、「人間が普通に生きるにはどうしたらいか」をシンプルに話したほうが簡単なはず。

***

 大野さんと伊勢崎さんは、世代も現在の活動内容も大きく違います。しかしお二人の考えには共通点もあり、民意が暴走する危険性や、脱原発の議論を俯瞰して見ることの必要性を感じさせるものでした。

(構成/越膳綾子 写真/北川裕二)

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アンケートに書いてくださった感想の一部を掲載いたします。(敬称略)

「善意」が想像力の欠如をもたらしかねない危うさをはらんでいることや不可知なものへの恐怖に民意があやつられる危険性。その際、母性が利用されやすいこと。放射能がある意味、観念的な恐怖であるため、フクシマの外部にいる人のほうがヒステリックで、地元のほうが冷静(そればかり意識していたら暮らしていけない)など興味深い話が多かった。
(坂本秀雄)

核をめぐる国際情勢のこと、勉強になりました。全ての人が潜在的当事者であるという意識に強く同意します。
(鶴久竜太 23歳 学生)

(トークセッションの際)伊勢崎さんが終盤、大野さんにビルマの話を振ったのが、聞きたかったところだったので嬉しかったです。大野さんがそこで「本当のことを言うしかない」とおっしゃっていたのですが、大野さん自身がご友人から「これ以上の支援はキツイ」と告げられたことと、通じていると思いました。また、被災した障害者の方を把握していない、障害者向けの仮設住宅がほとんどない、というのは現地に行って感じました。結局壊れている前の家の二階に住んでいたり、ということもありました。
(木川田朱美 27歳 大学院生)

世の中、答えの出ないことが多い中、3.11後の日本は特にそれをつきつけられていると感じます。そんな難しいテーマでお二人の意見を聞くことができてよかったと思いますし、思考停止する人も多い中、もがきながらも考えつづけられるお二人の話に勇気づけられました。
(匿名希望 30歳  会社員)

お二人とも、アカデミアの世界に身をおきながら、言い方は悪いがひねった観点での論考がとても面白く、気づきが多かったと思う。原発の問題ひとつとっても、黒か白かではなく、グレーゾーンの部分がおざなりになっているという大野さんの指摘に、考えさせられた。
(匿名希望 43歳 会社員)

「逃げよ」という立場と自己責任のある立場において、現実部分を学ぶことができました。マスメディアでは何を信じて良いのかわからず、フクシマのことについてのニュースを避けてきました。でも今回、援助すること、正義、愛とは何かについて考えるようになったことで、大きな知識と能力を得たように思います。
(匿名希望 24歳 会社員)

被災地支援について考えるときに生じる感情的な問題についてそれらをどう扱うべきかのヒントを与えてもらえた気がします。「失望する時間があったら明日できることを考えよう」という大野さんの言葉、忘れずに帰ります。
(匿名希望)

利用される母性の危険性や「正義」を持った民意のこわさ、無自覚に生きることは罪にもなりうることに気づきました。
(匿名希望 39歳 フリーライター)

大野さん、伊勢崎さんともに、たいへん興味深いお話でした。3.11以降、脱原発の意識が少しずつ広がっているのはたいへん結構なことだけど、内向きになりすぎている風には、私も疑問を感じていました。放射能から身を守ること、内部被爆しないように食べ物に気を付ける、などのことは大切だけれど、それだけでいいのか。原子力のこわさ、悲惨さを味わったのなら、これを外に世界に向けて発信していくべきではないのかと。そして世界の核事情にも関心を払わなくてはと。劣化ウラン弾の被害に苦しむ人々に対し、一体どれだけの人が関心を持っていたのか(自分を含めて持っていなかった)など考えました。
(匿名希望 42歳 主婦)

久々にとても知的刺激を受けました。何となく来てしまったのですが、来てよかったと心から思います。
(匿名希望 31歳 教師)

被災し避難された方たちの「生活」や「暮らし」がとても大変であろうと、想像(想像しか出来ませんが)していたので、間接的にでも知ることが出来て良かったです。
(匿名希望 49歳 会社員)

大変貴重な講座ありがとうございました。少し話に出た原発難民について、実際、私が7月いわき市にボランティアとして入ってた時に感じた問題でした。津波による被災者と原発被災者の人達が同じ団地に住んでいましたが、心はもがいていらっしゃいました。もう少し、トピックをせばめて深い話が聞きたかったというのも本音でした。
(匿名希望)

 

  

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