原発のある地域から


昨年、「下北半島プロジェクト」で青森県下北半島を訪れたマガ9スタッフ。短い時間でしたが、核施設のある六ヶ所や東通も訪れ、地元の方ともお話しする中で、主要産業であり雇用の場でもあった原発を、即座に否定はできない事情や空気があるということを感じました。と同時に膨らんできたのが、他の原発立地地域はどうなのか? という関心。日本各地の「原発のある地域」で、反対運動をしてきた方のお話などをシリーズでお送りします。

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山田勝仁(やまだ・かつひと) 1955年、青森県・大間町生まれ。夕刊紙勤務。AICT(国際演劇評論家協会)会員。著書『寺山修司に愛された女優-演劇実験室◎天井桟敷の名華・新高けい子伝』(河出書房新社)。


下北半島の先端、本州の最北端に位置する大間町。豊かな自然に恵まれたこの町はまた、1980年代から大間原発の建設計画が進められてきた、下北「核」半島の一角をなす場所でもあります。計画はどのように持ち上がり、地元の人たちはどうそれと向き合ってきたのか、そして建設工事が中断された3・11以降、大間原発を取り巻く状況や人々の思いはどう変化しているのか--。少年時代を大間町で過ごし、東京に暮らす今も頻繁に故郷を訪れているという山田勝仁さんがレポートしてくれました。

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工事中断の影響

 3・11以降、建設が中断したことによって大間町はどうなっているか。
 北海道新聞連載「核燃半島 青森・下北は今」(2012年7月)によれば、1700人の原発作業員が撤退し、今は400人ほどが滞在、設備のサビ落としなどのメンテナンス作業をしているという。
 コンビニ、原発関連作業員宿舎として作ったホテル、民宿、タクシー会社など軒並み閑古鳥が鳴いている。しかし、それらの中には原発マネーを当てに町外の資本が流入したものもあり、必ずしも町民全体が「原発依存経済」の失速であえいでいるというわけではない。
 原発建設に関わる付帯工事の「分配システム」として作られた「北通商工事業共同組合」も脱退者が相次いでいるという。大間町、風間浦村、佐井村の建設業者を中心に1口10万円(業種によって額は異なる)の出資で募った共同組合は原発工事の「振り分け」を目的としたが、「一部の出資者に発注が偏り、不満を持つ業者が多い」(ある出資者)という。

 大間原発反対の会の一人である奥本征雄さんはこんな経験をした。

 「一坪地主の土地に建っている『原発反対』の看板を新しく塗り替えようと知り合いの塗装屋に頼んだら『じゃあ、暇を見てやっておくよ。小遣い稼ぎになるから』と二つ返事だったのですが、数日後、『あの話はちょっと勘弁してくれ』と言ってきまして。商工事業共同組合に入ってるから、反対派の看板塗装の仕事をすると原発からの仕事が回ってこなくなるのを心配したということです」

 長引く工事中断は商工事業共同組合内部の不協和音にも影響を与えているようだ。

 大間町議会は議員定数10人。唯一の反対派議員だった佐藤亮一さんが高齢と病気療養のため引退したことで、町議会議員は「オール与党」。全員が原発推進を公言している。

 「町議のほとんどが原発の恩恵を受けているからね」と言うのは50代漁師。

 「宿舎の寝具納入、派遣、作業員の弁当手配、クリーニング請負いなど、原発と深く関わりを持っている。身内の名義で事業をしてる議員もいますよ。“工事再開を望む声が多い”といっても、そんな利害関係が絡まってるんです」
 3・11事故後に電源開発(Jパワー)が町民を戸別訪問し、原発工事への理解を求めた。それを受けて地元紙には「町民の多くも工事再開を望んでいる」という電源開発のコメントが掲載された。しかし、実情は違う。「確かにJパワーの人が来たけど、ただ一方的に言い分を話すだけで、こちらの意見は聞こうともしなかった」(50代女性)。「どういうつもりなんだと怒鳴りつけたら資料を置いて逃げていった。町民が理解を示したなんてウソっぱちだよ」(60代漁師)

聞こえ始めた反対の声

 大間原発に反対する「大MAGROCK」なる反核ロック・フェスティバルが5年間前から大間町で開催されている。八戸在住のYAMさんこと山内雅一さんが立ち上げ、現在はYAMさん、武藤北斗さん(当時は宮城県石巻在住。現在は大阪に移住)、冨田貴史さんが中心となって活動しているイベントだが、それを知る町民は極めて少ない。かくいう私も昨年初めて知ったのだった。アンテナを張っているつもりでも情報が入ってこなかったというのは地元ではほとんど話題に上らないからだろう。
 昨年は5月21日、22日の両日に開催され、私も東京から駆けつけた。雨と寒さで凍えるほどの悪天候にもかかわらず、会場となった「あさこはうす」の敷地には全国から大勢の若者が集まり、手弁当で駆けつけた全国各地の反核アーティストの演奏に酔いしれた。翌日は大間原発反対集会があり、函館の「大間原発訴訟の会」支援者をはじめ、青森市など全国から二百人ほどが参加し、反対運動にエールを送っていた。

 今年は6月16、17日に行われ、会場は一坪地主の土地に変更。目の前に広がる津軽海峡を背景に俳優のいしだ壱成さんほか十数組のバンドが演奏とトークを繰り広げ、昨年を上回る延べ五百人が大間原発反対を訴えた。

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 初の試みとして、1日目は澤井正子氏(原子力資料情報室)を講師に大間原発の問題点についての学習会を開催。会場の公民館には町内外から百人余の聴講者が詰めかけた。

 2日目にはコンサートの合間に初めてのデモ行進も行われ、「大間原発反対」の声が町にこだました。70年代に町を二分した激しい反対運動時代にも町を練り歩くデモはなかったと記憶する。
 日曜の昼下がりとあって、道行く人は多くなかったが、多くの町民がこのデモに関心を持ったことは確かだ。
 沿道でデモを眺めていた60代の漁師は「あんなこと(福島原発事故)があったんだから、大間も中止するんだったら早いほうがいいべさ」と語った。
 だが、一人でいるときは本音を語るが、周囲に人がいるときには口は重い。
 「ワ(自分)は何とも言えないな。漁協が決めることだし…」
 コンブ漁師だという一人の老人は隣りに漁師仲間がいるのを気にして、小声でこう言った。
 「漁師にとっては(原発は)何もいいことないべさ。でも、補償金もらってしまったからいまさら反対って言えないのさ」
 かつて反対運動の最強硬派だった奥戸漁協の70代漁師がこう言う。
 「原発工事で海が汚れてコンブに泥が付いてひどい目にあったときも漁協はわずかな補償金で手を打ってしまった。今でも実害があるのに、稼働して温排水が海に流れたらどうなるのか。原発の放水路工事ですっかり潮流も変わってしまった。漁場にも影響はあるよ。漁師にとっては百害あって一利なし。自分の代で漁師は終わりだと覚悟している」

 ある水産業者も「福島の原発事故の映像をテレビで見てどってん(びっくり)してしまった。温排水があんなに大量に流れ出るものだとは正直、知らなかった。大間原発が稼働したら風評被害もそうだけど、果たして沿岸漁業が成立するのか疑問に思う。3・11以降は転職も考えてるよ」

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 しかし、町には表だって反対と言えない空気があり、誰もが「名前は出さないでほしい。写真もだめ」と言う。その背景には、「反対派」だと思われたらどんなイヤガラセをされるかわからないという怖さがある。

 「今でも漁に出るとき、昔の賛成・反対派の間で微妙な空気が流れるんだよ。海の上で気まずい思いをしたくないしナ」(60代漁師)

 「自分に家族がなければ反対の旗持って役場の前で座り込みでもなんでもやるよ。だけども、家族にイヤな思いさせたくないし、親戚も(原発に)関わってるのがいるから、それができないのさ」(50代漁師)。

 「大間漁協は漁だけで生活してる正組合員は約300人、奥戸漁協で170人。その漁師たちにとって原発ができていいことなんか何ひとつない。全員が心の中で反対だと思いますよ」(50代漁師)

 原発が国策であり、それに乗っかった町が「町の発展」に望みを託す以上、それに異議を唱えることは有形無形の圧力を受けることになる。

 文中で、個人を特定しないために「ある漁師」「ある町民」と表記せざるをえない苦渋を理解してほしい。

たった一人の抵抗

 小さな町に住む以上、誰もがわが身かわいさに寄らば大樹の陰になるのはある意味仕方のないことだろう。しかし、大間町で唯一人、土地の売却を拒否し、電源開発の札束攻勢に負けなかった女性がいた。それが故・熊谷あさ子さん(享年68)だ。

 原子炉予定地点に隣接する1ヘクタールの土地は電源開発にとって必要不可欠な土地。しかし、あさ子さんは、「畑は売るな」という父の遺言を守り、原発の執拗な土地交渉を頑としてはねのけた。

 「きれいな空気ときれいな水ときれいな海があれば、人間はみな平和に暮らしていける」「大間の海はマグロやコンブ、ウニ、アワビ…ここで採れないものはないという宝の海です」

 それが熊谷あさ子さんの信念だった。

 電源開発はあらゆる手段を使ってあさ子さんに売却の印鑑を押させようと画策した。

 02年には、大間町で8000万円横領事件が起こる。自作自演の狂言強盗として決着したが、そのカネはあさ子さんの土地を買収する資金だったのではないかとの憶測が飛び交い、TBSテレビの検証番組も放送された。

 村八分状態になりながらも、最後まであさ子さんは土地売却を拒否し続けた。84年の誘致決議から08年の着工まで24年間、原発計画が進まなかったのはあさ子さんの強い意志によるものだ。

 あさ子さんは06年5月に畑で倒れ入院。そのまま帰らぬ人となった。当初は原因不明といわれたが、その後、大間病院は「ツツガムシ病」と死因を発表した。下北地方でツツガムシ病で死者が出たのは40年ぶりという。なにやら釈然としない思いを抱くのは私だけだろうか。

 あさ子さんの遺志を継いだのが長女の小笠原厚子さんだ。夫の海外赴任で長く外国暮らしが続いていた厚子さんは帰国して初めて母が原発建設に反対し闘っていたことを知ったという。「娘に心配をかけたくなかったのでしょうね」

 母の思いは娘に引き継がれ、母が遺した土地の一部にログハウスを建て、月の半分は大間に住み、自宅のある北海道北斗市との二重生活を続けている。

 事故が起これば一番の被害者になる函館市民が反対の声をあげ始めたのも大きな励みになった。原発着工前から活動していた「ストップ大間原発道南の会」を母体にする大間原発訴訟の会(竹田とし子代表)は建設差し止めを求めて提訴。6月8日には函館地方裁判所において第6回口頭弁論が行われた。大間原発に対する北海道民の関心も高く、海を越えた支援の輪は広がりつつある。

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熊谷あさ子さんの遺志を継いだ長女の小笠原厚子さん。

 6月の大MAGROCK集会で厚子さんはこう訴えた。

 「母の7回忌を済ませ、なんとしてもこれ以上原発を増やしていけないと改めて決意しました。地元での活動には限界があるのでこれからは全国の皆さんに支援をお願いしたい。大間原発のことをまだほとんどの人は知らないのでなんとか関心をもってもらいたいのです。野田首相は『国民の生命・財産を守るために大飯原発を再稼働した』と言いましたが、守らなければならないのは子供たちの命と健康であり、財産というのは子供たちのことです。これからの日本を背負っていく子どもたちをこれ以上不幸にさせてはなりません。経済よりも何よりも生命が一番なんです。日本は海に囲まれている国。大きな津波が来たらどうしようもない。そこに一番危険なものが建っていたらどうなるか。地震も津波も自然災害です。でも、原発は違う。前もって防ぐことができるんです。それはすべての原発をなくすことです。今、『あさこはうす』の土地に水を引き、菜の花を植えて一面の菜の花畑にして、子供たちが自然の中で自由に遊べるような場所にしたいと考えているんです。母が最後まで守ろうとしたこの土地を私が引き継ぎ、原発が世界からなくなるまで頑張っていきたいと思います」

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 大間原発反対運動のシンボルである「あさこはうす」は国道の入口から曲がりくねった道を1キロほど行ったところにある。道路の周りはフェンスに囲まれ、クルマや人が「あさこはうす」の道路を通行するたびに、電源開発に雇われた監視員が無遠慮にチェックする。

 今、「あさこはうすにハガキを出そう」という運動が展開されている。これは『通行実績がなければ道を閉鎖する』という原発側の恫喝に対して郵便物を送ることで、郵便配達員の通行を促進しようというものだ。

 「あさこはうす」は燎原の火のように広がる脱原発運動のひとつの道標になるだろう。

 一人の女性の信念が原発建設工事着工を遅らせたのだ。

 このことを大間町民、青森県民は誇るべきだと思う。

 もし、あさ子さんがいなければ大間原発は3・11以前に完成し、稼働していたに違いない。歴史のタブーである「もし」をあえて言おう。「大間原発が3・11に遭遇していたら」。

 3・11の巨大地震では東通原発の全電源が喪失し、ディーゼル発電機を動かして切り抜けた。大間原発の耐震基準はわずか450ガルである。「福島原発事故は500ガルでぶっ壊れた。新潟中越沖地震は2515ガルですよ」(広瀬隆氏の講演より)。

 万が一、大間原発が大事故を起こしていたなら、今ごろ青森、北海道はもとより、日本全土は壊滅的な被害を受けていただろう。フルMOX原発の事故による放射能汚染被害はウラン原発の比ではないのだ。

 仮定の話とはいえ、ある意味、熊谷あさ子さんは日本を崩壊から救った恩人であるといってもいい。

 前出の寺山修司は、「考えようによっては、本州全体が、(下北半島という=筆者注)斧を持つラスコーリニコフの右腕ととれないこともなかった」と続けた。

 ラスコーリニコフの斧は金貸しの老婆の脳天を砕いたが、史上最悪の原発となる大間原発は世界の脳天を叩き砕きかねない危険性をはらんでいる。

原発は本当に町を潤すか?

 原発で町興しができるとは本当なのか。事故直前の福島・双葉町は財政再建団体転落寸前だった。原発を抱えて、交付金、固定資産税などいわゆる原発マネーで栄えてきたはずの町が、である。

 前出の50代マグロ漁師はこう言った。

 「大間に原発ができたらマグロは大打撃ですよ。観光だってそうです。わざわざ原発のある町に観光に来る人がいますか。311以前なら原発の怖さを知らない人がいたかもしれない。でも、もうみんな知ってしまったんですよ。原発で町を振興できると思うのは無知です。今、原発のカネを当てにして大間町は函館と大間を結ぶフェリーを新造してるけど、27億円もかけて作ったフェリーが毎年どれだけ赤字を出すと思うんですか。最初から原発のカネを当てにした町政なんてインチキですよ。原発がなくても立派な町は日本中どこにでもある。下水も完備してない、大雪が降れば国道がストップする。そんな町に原発作って、カネだけ食うハコモノを作り、危険と背中合わせの生活をしなければならない。どう考えたっておかしいでしょう。『板子一枚下は地獄』の世界は漁師だけでいいんです」

 山に行けばワラビ、ゼンマイなどの山菜、山葡萄、スグリなどの果実、川ではアユ、ヤマメ、イワナ、海はウニ、アワビ、スズキ、イカ、ソイ、ブリ……。こんな豊かな自然の幸に恵まれた地はない。原発が稼働すればたとえ事故がなくても海に大気に放射性物質は放出・拡散する。大間原発の発電量なら毎秒91トンもの放射能を含んだ温排水が海に流れ込む。想像してみるべきだろう。今日本にある全原発が1年間に放出する温排水は1000億トン。それも7度上昇した温排水だ。日本の河川の放出量が4000億トンといわれる。単純計算して約2度上昇した温水が日本の全河川から海に流れるとしたら。

 気象庁の日別日本近海海水温度統計がある。それを見ると福島原発事故から半年後に明らかに日本近海の海面水温は下がっているのが見て取れる。それが何を物語るのか。

 「原発のエネルギーの3の2は海に棄てられ、海を温めているのですから(原発は)「海温め装置」と呼ぶのが正当です」(小出裕章氏)。

 豊かな大間の漁場が温排水によって壊滅的な被害を受けると想像するのは素人の世迷言だろうか。

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奥戸漁港から背後の山々を望む(正面の山は奥戸小学校校歌に『天狗山後ろにそびえ海峡は前に輝く』と歌われた天狗山)。

 町興しは人があってこそ。町民の健康・生命をないがしろにして町の発展はない。

 第1回のリポートを読んで「町に住んでいない人間が町の実情を知らずに何を言うのか」という批判があった。

 確かに私は今は大間に住民票はないが、心はいつも大間と一緒にある。父祖の慈しんできた町であり、故郷を思う気持ちは誰にも負けないと自負している。

 原発建設中の白砂海岸は祖父の浜小屋があった場所。小・中学生の夏には、朝暗いうちからコンブ漁に”けやせ”(櫂で小舟を操ること)として出て、沖から眺めた風景なのだ。

 かつて、地元の町興しグループの旗揚げに参画し、サポーターとして活動したこともある。いくつか協同作業を行ったが、「第3回ふるさと自慢わがまちCM大賞」(03年=青森朝日放送主催)で大賞を受賞した「大間の休日」もそのひとつ。私の発案によるキャッチコピー、シナリオに沿って作られたもので、多少なりとも大間町に貢献したものと思う。3・11以降は、「原発との共存共栄」を目指すという町興しグループとは「方向性」の違いから距離を置いているが、ふるさとを思う気持ちは同じ。いつか道が交わることを願っている。

 下北半島はその豊かな自然ゆえに国定公園に指定されている。人と自然が息づく限り何度でも再生する。

 脱原発集会で出会った福島・飯舘村の酪農家・長谷川健一さんは私にこう言った。

 「私たちは(原発事故によって)すべてを失ってしまった。将来に絶望して自殺した友人もいる。大間の人たちは私たちの姿を見てほしい。原発がどんなものか、事故が起きたら、そこに住む人たちがどんな報いを受けるのかを」

 大間原発が世界を滅ぼすラスコーリニコフの斧となる前に「勇気ある撤退」をすることこそが未来の大間を切り拓く唯一の道なのだと私は思う。

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奥戸川最上流の原生林の森。この森に育まれた水が川となり津軽海峡に流れ込んでいる。

 

  

※コメントは承認制です。
第3回 青森県大間町 – 下北「核」半島に建設中の「大間原発」はラスコーリニコフの斧か(その2)」 に1件のコメント

  1. 水野滋子 より:

    私は3,11以前から原発は大反対でした。大体原子力など人の手には負えないものです。安全など全くの神話せす。大体世の中に絶対安全などありうるでしょうか?今に大変な事が起きると思っていたらやっぱりおきました。ほかに恐ろしい害をもたらさないものはいくらでもあります。自己以来四年たってもまだまだ苦しんでいる福島の人びと、本当に気の毒で腹だたしいです。

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