原発震災後の半難民生活

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 この時期の出来事でもうひとつ記憶しているのは、Kが通いはじめたM保育園を訪れたときのことです。ちょうどゴールデン・ウィーク中だったせいか、園庭には人っ子ひとりいませんでした。

 この保育園は、Kにとっても私にとっても特別な場所でした。先生たちは本当に園児一人ひとりを大切にされていました。園長先生は、三月も末になってから駆け込んできた私たちを、いっさい詮索することなく、あたたかく受け入れてくださいました。まったく先行きの見えない中で、私たちの話に黙って耳を傾ける園長先生の姿が、どれほど頼もしく見えたことか…… 沖縄で生まれた息子のEもお世話になっている今、この保育園に対する私の思い入れは増す一方です。

 M保育園のなかでも、私とKが最も愛したのは、敷地全体を包み込むように配置された四本のガジュマルの木でした。とくに園庭のまんなかにあるガジュマルは、いつでもその空間を見守っているかのような、抜群の安定感をたたえていました。Kはそのガジュマルの木に登ることが大好きでした。

 Kはその日も、ガジュマルに登りたいとせがみました。私の肩の上から太い枝に乗り移ると、興奮の針が一気に振れたのでしょう、園庭に響き渡るほど大きな声で、Kは叫びはじめました。

 ――オトーサン! コノ木ノオ名前、知ッテル? ガジュくんテイウンダヨ!

 ――へえ! お名前があるんだね! もしかして、Kちゃんはずっと前から「ガジュくん」と友だちだったのかな?

 ――ソーダヨ! ガジュくん、オヒサシブリデス!

 私は噴き出してしまいました。以前も書いたように、Kが三歳という年齢にそぐわない大人びた表現を使うとき、それはたいていの場合、絵本からの「引用」でした。この時にKの口から飛びでた「オヒサシブリデス!」も、どこかの絵本から引っ張ってきたものだったのでしょうか?……

 ともあれ、私が大笑いしたからなのか、それともガジュマルの上から見下ろす光景にご満悦だからなのか、たぶんその両方だと思いますが、Kはどう喜びを表現していいかもどかしいとでも言うかのように、ぐんと体をのけぞらせて天を仰ぎ見ました。「Kちゃん、危ないよ! 落ちたらオオケガだよ!」

 「ガジュくん」の手のひらのなかで過ごす特別な時間を、Kはめいっぱい満喫している様子でした。私は地べたに座り、でこぼこした太い幹に背中をもたせかけると、Kが気の済むまで待つことにしました。

 しばらくして、木の上から「ダッコ! ダッコ!」という甲高い声が降り注いできました。私が文庫本に目を走らせている間に、Kはいったん自分で「ガジュくん」から降りようと試していました。そして、それが不可能であることを認識すると、慌てたように私の助けを求めてきたのです。

 無事、「ガジュくん」から私の腕の中に飛びこみ終えると、Kは急に声のトーンを落として、私の心をのぞきこもうとするかのように尋ねてきました。

 ――オトーサン、キョー、ウツノミヤニカエル?

 ――「きょう」じゃないよ。「あさって」だよ。

 ――アサッテ? アサッテッテ、「アシタ」ノコト?

 ――ちがうよ。「あしたの、あした」だよ。

 ――ヘエ! ジャア、キョーカエラナイネ!

 ほっとした顔をして、Kはもう一度、私の首筋にしがみつきました。そして、彼女なりにありったけの力を両腕にこめながら、私の耳元にささやいたのです。

 ――Kチャン、ゲンパツノ毒ガナクナッタラ、オトーサントイッショニ、ウツノミヤデ雪遊ビシタイ……

 一瞬、私たちの周りで、風がそよいだ気がしました。その気配は、「ガジュくん」の手のひらの上から降りてくるようでした。

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4章:ゴールデン・ウィーク――沖縄にて その4「ガジュマルの木の下で」」 に1件のコメント

  1. なかもと より:

    思い出すのも書き出すのもお辛かったでしょうに、本当にありがとうございます。
    「何が一番正しいのか」を見つけるのも設定するのも本当に難しい問題です。

    子供はいろいろなことを敏感に感じて、子供なりに一生懸命なのでしょうね。
    それがポジティブであってもネガティブであっても、それが「親の本気」から来るのであればきっとそういうことも糧にして、たくましく育ってくれるのではないか、そうあって欲しいと思います。

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