原発震災後の半難民生活

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 いまや私たちの間で「爆発」が起こるのは、時間の問題でした。誰が悪いとか悪くないとか、そういった小さな責任論とは別の次元で、二人のすれちがいが明確な形をとる必然性があったのです。その原因をたどっていけば、もちろん大元に控えているのは、史上最悪の原発事故にほかなりませんでした。

 「どうしても帰りたい」と妻は何度も詰め寄ってきました。「九月まで待ってくれ」と私は苦し紛れに答えました。「九月まで?」と妻の追及がはじまりました。「なぜ九月なの? この間はゴールデン・ウィークまで様子を見ようと言ってたじゃない? それが『九月』になったのはなぜ? 納得がいく理由を教えてください」

 「理由ははっきりしてるじゃないか」と私はやり返しました。私はもう一度、福島や周辺地域の汚染がどう見ても不透明であること、しかもその深刻さは日を追うごとに鮮明になっていることを説明しました。何度でも、同じ説明をくりかえすしかなかったのです。

 「それじゃあ、九月になったら帰れるのね」と妻は食い下がりました。「それは分からない」と私は答えました。実際、私にも分からなかったので、そう答えるほかにどうしようもありませんでした。「なぜ分からないの?」と妻は声を荒げました。「たった今、九月まで待つんだって、自分で宣言したばかりじゃない!」

 「もちろんそう言った」と私は踏みとどまりました。「でもそれは汚染状況を見て、九月になってから、もう一度判断するという意味だよ」

 チガウ! 話ガ全然チガウ! 妻の顔に怒気の塊がありありと浮かびあがりました。わたしが沖縄に来たのは、あくまでも「短期滞在」という約束だったからなんだ。いつ帰れるか分からないなんて無意味な話をするために、ここに来たわけじゃないんだ!

 ――そんなこと言ったって、仕方がないじゃないか。汚染を避けるために避難したのに、今後の汚染の推移を見ないで、「さあ、九月が来たから戻りましょう」なんて結論になるほうがどうかしている。

 私が続けようとすると、妻は鋭い声でそれを制しました。

 ――わたしはここに居着きたくないんだ! わかる? ここに居着いてしまった自分の姿を想像するだけで、たまらない気持ちになるんだ!

 ――じゃあ君は、産後間もない体を引きずって、遠く沖縄から宇都宮まで、飛行機や電車を乗り継いで戻ってこようというんですか? 生まれたばかりの赤ん坊だっているのに、そんなことが本当にできるんですか? 避難を決めたのは、赤ん坊と子どもを守るためじゃないか? なぜいつも本筋から逸れて、別の話を持ち出すんだ?

 「アカンボー、アカンボー」、妻のトーンがとつぜん変わりました。彼女はこみ上げる怒りをどう抑えていいのか分からないといった様子で、歯を食いしばりながら、ひとつずつ言葉をしぼりだすのでした。

 ――あんたってひとは、都合のいいときだけ「アカンボー」のことを持ち出して、一人でエキサイトしている! そのくせお腹に「アカンボー」を抱えたあたしのことは、宇都宮から羽田空港までタクシーで引きずりまわしたって平気のヘノザで済ましてられる人間なんだよ! あたしのママ・トモダチも言っていた、「あんたの旦那はアホか!」って。「説教してやるから電話口に出せよ!」って。妊娠数ヶ月の女の人を、タクシーなんかに長時間乗せて連れまわすのがどれくらいリスクの高いことだか、アナタきちんと認識してるわけ!?

 妻からは殺気のようなものが立ちのぼっていました。私はその空気に気圧されて、口をつぐみました。その間にも怒りの度合いを増す妻の口からは、誰に対するものとも知れない罵りの言葉が次々に溢れ出てくるのでした。

 ――そもそもこんなフケツな家に、誰が好きこのんで住んでいられるかってんだ! 「生ゴミのリサイクルだ」とか、ウワベだけはかっこいいこと言ってみせるけれど、コンポストから腐った野菜のキレッパシがはみ出ていて、家中に腐敗臭が充満してるじゃないか! それを掃除したり処分したりしてるのは、ドコのだれ? アタシだよ、アタシ! この間なんか台所をウジムシがほっつき歩いてたっていうのに、この家の住人は誰もそういうことなんか意に介そうともしないんだ!

 「もういいよ、頼むから」と私は途中で介入しました。「その話は前も聞いた。申し訳ないと思ってる。ただ今は頼むから、勘弁してほしい。これ以上聞かされると、頭がおかしくなりそうだ」

 「モーイイ? 頭ガオカシクナル?」、妻の声が一段と大きくなりました。「あんた、なに言ってるの? 自分で言ってることの意味、わかってるわけ? 頭ガオカシクナルって、それはあたしのセリフじゃないか!」

 その時、私たち二人は台所に立っていました。妻がこの辺まで喋りかけた時、まるで彼女の憤怒に共鳴でもしたかのように、薬缶のお湯が音を立てて沸騰しはじめました。妻の手がすっと薬缶に伸びました。いまや頂点に達した怒りの処理に、自分でもどうすればよいのか分からなくなっていたのかもしれません。

 「コンチクショー」、妻の体は小刻みにふるえていました。

 「待ちなさい」、私は後ずさりしました。

 「きれいごとばっか言いやがって」、妻は薬缶を右手に持ち替えました。

 「待って、頼むから、落ち着きなさい」、私はすぐそばにあった椅子から座布団をとって身構えました。

 「ホーシャノー、ホーシャノー。アカンボー、アカンボー」、妻の体がじりじりと肉迫してきました。「そんなに心配か!? そんなに危ないか!? さあ言ってみろってんだ! 今すぐその口で言ってみろってんだ!」

 「大声だすんじゃない! 近所に聞こえるじゃないか!」、私は何度か椅子にぶつかりながら、それでも必死に後退をつづけました。

 妻の息遣いは、家中に響き渡らんばかりの荒々しさでした。もはや私の言うことなど、妻の耳にはこれっぽっちも入ってはいませんでした。「ホーシャノーヤローめ! ゴツゴー主義者め! これでも食らえってんだ!」

 本当にやられる、と私は思いました。私は座布団を防空頭巾のようにして、頭に当てがいました。

 その時でした。

――イヤァァァアアアアアアアアアアアアアアアアア!!

 文字通り、辺りをつんざくような声でした。その方角に目をやると、リビングに立ちつくしたKが、今日という今日まで見たこともないような凄まじい形相で、私たち二人のことをにらみつけていました。妻は薬缶を、私は座布団をその場におろしました。我に返った私たちは、しばらくバツの悪さゆえに身動きができませんでした。それほどまでに渾身の力をこめた、Kからの狂おしい異議申し立ての一声でした。

 忘れることができないのは、私たちをにらみつけていたKの顔が、しだいに憂鬱に満ちた表情に変わっていったことでした。Kの表情は、形容する言葉が見つからないほど、暗く、寂しく、絶望的な孤独感で満ち溢れていました。私はその顔を見て初めて、自分たちがいかにひどい醜態をさらしていたかに気づかされたのでした。「犬も食わぬ夫婦喧嘩」とはよく言ったものですが、私たちはそれほどまでに後味の悪いものを、自分の子どもに「食らわせて」しまったのです。私は後悔と自己嫌悪で胸がいっぱいになり、言葉を発することもできませんでした。私の隣りで黙っている妻も、やはり同じ気持ちだったのではないかと思います。

 Kはその日、私とも妻ともいっさい口を聞いてくれませんでした。

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4章:ゴールデン・ウィーク――沖縄にて その4「ガジュマルの木の下で」」 に1件のコメント

  1. なかもと より:

    思い出すのも書き出すのもお辛かったでしょうに、本当にありがとうございます。
    「何が一番正しいのか」を見つけるのも設定するのも本当に難しい問題です。

    子供はいろいろなことを敏感に感じて、子供なりに一生懸命なのでしょうね。
    それがポジティブであってもネガティブであっても、それが「親の本気」から来るのであればきっとそういうことも糧にして、たくましく育ってくれるのではないか、そうあって欲しいと思います。

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