原発震災後の半難民生活

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 ――お客様にお知らせいたします。スカイマーク514便のご搭乗は、33番ゲートから37番ゲートへの変更となりました。くりかえします。スカイマーク514便のご搭乗は、33番ゲートから37番ゲートへの変更となりました。

 アナウンスの音声が、那覇空港の食堂スペースに響き渡っていました。そのかすかに湿り気を帯びた女性の声調が、もうすぐ出発を控えた私の胸中を透明な悲しみで浸そうとするのでした。

 私たちは「チャイルド・スペース」として囲い込まれた一角に陣取っていました。その空間は靴を脱いで上がるようにセッティングされていて、背もたれをウサギの形にくりぬいた子ども用のイスが、小さなテーブルの周囲に配置されているのでした。Kはこのスペースで、トマトケチャップをかけたフライドポテトを頬張るのが大のお気に入りでした。

 一心不乱にポテトにかぶりつくその姿を眺めるうちに、ふと思い立って、私は手元の紙ナプキンにペンでハートを描きこんでいきました。紙一面に描いたうえで、最後の仕上げに「K」の名前をひらがなで書き入れると、私はそれを彼女のオデコにぴたりと貼りつけてみました。

 ――はい! 「ダイスキ・カード」のプレゼントだよ!

 それはお世辞にもセンスのいい絵とは言えない代物だったのですが、当の「ダイスキ・カード」を貼られた本人の喜びようといったらありませんでした。Kは両手を大切そうにオデコの上に重ねると、「ハートがイッパイ! イッパイパイのパイッ!」と何度も小躍りしました。

 ――Kチャンも、オトウサンに「ダイスキ・カード」あげる!

 そう言うが早いか、娘はゲンコツの中に握りしめたサインペンで、ゴリゴリと力をこめて水玉模様の絵を描き始めるのでした。このペンの握り方は、七歳になろうとする今現在に至るまで、K独特の「方法」になっています。「正しい」持ち方を教えようとしても、娘はすぐに慣れ親しんだ「ゲンコツ握り」に持ち替えてしまうので、私も妻も途中で「矯正」を諦めてしまったのです。

 今度はKが、私のオデコに「ダイスキ・カード」を貼り付ける番でした。少なからず厳粛な面持ちでその作業を成し遂げると、彼女はとつぜん高らかに宣言しました。

 ――ハイ! ソレジャー、オカシ食ベニユキマショウ!

 「お土産コーナー」に置かれている、試食用のお菓子を食べに行こうと誘っているのです。「でもねKちゃん、たったいま、フライドポテトを食べたばっかりだよね?」

 ――ワカッテマスッテバ! 一個ダケダカラ!

 それまで押し黙っていた妻の口から、笑い声がこぼれ落ちてきました。思わず外に飛び出てしまったというような、そんな不可抗力の快活さが宿った笑いでした。Kはますます調子づいて、ひとりでさっさと靴を履きはじめるのでした。「ハイ! ユキマショウ!」

 仕方なく引きずり出される形で移動した「お土産コーナー」では、結局、Kの「一個ダケ!」攻勢がつづいて、私までいっしょにチンスコウや紅芋タルトのかけらをボリボリかじる羽目になりました。

 ――コレデオカシワ、オシマイデス! ソレジャー、カタグルマ、一回ダケ!

 Kは鼻の前に一本、人差し指を立ててみせました。そのおどけた身振りを見た瞬間、「ああ、そうか」と私は思い当たったのでした。もしかしたら、これも私たちの関係を「調整」するための、Kなりの演技なのかもしれない、と。事実、その日のKは、一言も私たちと口を聞こうとしなかったあの日のKに比べると、オーバーなくらい快活に振る舞っているのでした。

 私たちはカタグルマのまま、ひとしきり那覇空港の中をうろつき回りました。何度も後ろにのけぞってみせるKを、まるでひとつの儀式を確認でもするかのように、妻がやんわりとたしなめるのでした。

 時が速やかに過ぎていきました。タイムリミットが秒刻みで、私たちのもとに忍び寄ってくるのでした。私が乗る便の「出発15分前」を告げるアナウンスが、無機質な静けさとともに流れてきました。

 時間だよ、Kちゃん。オンリしようね。

 Kちゃんは「ガジュくん」の木の下で、お父さんにおしえてくれたよね。原発の「毒」がなくなったら、お父さんといっしょに「雪遊び」がしたいって。

 Kちゃんは「毒」のことが、とてもとても心配だったんだね。その理由は、はっきりしています。お父さんがKちゃんの前で、「毒」のことばかり話したり、そのことでお母さんとケンカばかりしたりしてきたからだと思います。

 ごめんね。お父さん、もっともっと、Kちゃんの気持ちを考えるべきだったと反省しています。一度やってしまったことは、もう取り返しがつかないから、せめて今後はKちゃんの前で話す言葉を、大切に大切に選んでいかないといけないよね。

 そうそう。「雪遊び」のことだけどね、今ここで、お父さんと約束しよう。

 いつか、「毒」の心配がないところで、おおきな雪だるまをふたつ、ちいさな雪だるまをふたつ、じっくり時間をかけてつくってみることにしようよ。大きいのはお父さんとお母さん、小さいのはKちゃんと、これから生まれてくる赤ちゃんだよ。

 そのときはきっと、たくさんの雪がふったあとの、とびきりお空が晴れた朝になるでしょう。もしかしたら、そんなに先のことではないかもしれないよ。お父さんも宇都宮に帰ったら、「毒」が大丈夫かどうか、ちゃんとたしかめてみるつもりです。

 いいかい? OK? じゃあ、いくよ! ユービ、キーリ、ゲーン、マン。ウーソ、ツーイターラ、ハーリ、セン、ボーン、ノー、マスッ! ユービ、キッタッ!

 どうか一日も早く、その日が私たちのもとに訪れますように。

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4章:ゴールデン・ウィーク――沖縄にて その4「ガジュマルの木の下で」」 に1件のコメント

  1. なかもと より:

    思い出すのも書き出すのもお辛かったでしょうに、本当にありがとうございます。
    「何が一番正しいのか」を見つけるのも設定するのも本当に難しい問題です。

    子供はいろいろなことを敏感に感じて、子供なりに一生懸命なのでしょうね。
    それがポジティブであってもネガティブであっても、それが「親の本気」から来るのであればきっとそういうことも糧にして、たくましく育ってくれるのではないか、そうあって欲しいと思います。

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