原発震災後の半難民生活

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 どうしてこんなことになってしまったんだろう? いったい俺は何をやってるのだろう? 妻が支えを必要としているとき、携帯電話やスカイプのこちら側でただ指をくわえてその様子を静観しているというテータラク。なんたるヤクタタズ! なんたるデクノボー!

 そうこうするうちに私は、妻を孤立無援の状態に追いやってきたのは自分でないか、と疑うようになりました。現に、妻からの再三の訴えをしりぞけて、子どもたちとともに避難先の沖縄に留まらせつづけたのは、ほかならぬ私自身でした。この動かしがたい事実を直視するとき、とりわけ避難してから1、2年経ったころの妻が、口癖のようにこぼしていた言葉がよみがえってくるのです。

 ――わたしが困ってるときに助けてくれたのは、お隣りのタケトミのおばあちゃん、ご近所のマエシロさん、アニヤさん、それから、あなたのお祖母さんの介護に来ていたヘルパーさんたちだった。あなたのお母さんと、アメリカーの旦那さんは、なあんにもしてくれなかったよ。

 そんな妻に対して、私はあるとき、あまりに不用意に軽口をたたいたものでした。

 ――それでよかったんじゃないか? ウチナンチューと仲良くなれたんだし。

 妻のなかで鬱積する生活苦の重量に耐えかねて、すべてを軽薄な空気のなかに流し去ってしまいたい一心だったのです。果たして、結果は最悪でした。

 スカイプの画像の粗さにもかかわらず、妻が顔面蒼白になっていることは、手に取るように伝わってきました。次の瞬間、ブツッと音を立てて、画面が消えました。シマッタ、ヤッチャッタ。私は即座に謝ろうとして何度もコールしたのですが、その日はとうとう、妻が応答することはありませんでした。

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5章:再び宇都宮にもどってからのこと その1「憂鬱と後悔と」」 に1件のコメント

  1. magazine9 より:

    実に1年半ぶりの更新となりました。その間、「フサギの虫」に取り付かれていたという筆者。なぜそんな状況になってしまっていたのか…その理由をかみしめるように書いてくださっています。さて、2012年3月から続いてきたこの連載も、いよいよ終盤を迎えます。引きつづき、お楽しみに。

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