原発震災後の半難民生活

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 もうひとつ、時の流れを痛感させられることがあります。それは、娘と息子の成長の速さです。

 Kの顔からは、避難当初のふっくらとした輪郭がいつしか消え去っていました。愛くるしかった前歯が抜け落ち、口がすらりとした形になりました。背丈は一気に伸びて、体格がしっかりとしてきたので、肩車をするたびに私の体は、彼女の重みで軋むようになりました。

 体が大きくなるにつれて、できることも着実に増えていきました。現在のKは、めっぽう駆けっこが速く、ジャングルジムも楽々と登り降りしています。彼女が三才の頃、このようなことはとうてい想像できませんでした。苦手だった鉄棒も思いのままに使いこなし、あれほど怖がっていたプールでも楽しそうに泳いでいます。

 ――できることは、自分の力でやってみたい。

 現在のKには、こういう意識が顕著に見てとれます。妻によると、あるとき訪れた沖縄県北部の遊園地で、誰の手も借りずにアトラクションに乗れたことがきっかけになった、ということでした。その頃から自立心が芽生えはじめ、顔つきも目に見えて大人びてきた、というのです。

 Kは小学校三年生になったある日、もじもじと言いにくそうな顔をしながら、「お母さん、Kね、書道をならってみたいんだけど……」と切り出しました。この意志表明は、彼女なりの熟考を経たうえで出された結論でした。驚いたことにKは、自分が書道を習うことで、避難生活でかさむ家族の出費にさらなる負担をかけないかどうかを最も心配していたのです。

 親が考えている以上に、子どもは親の生活の細部を観察し、子ども独自のトーンやリズムを通して物事を噛みしめているのでしょう。ともすれば三才までの、まだ乳くさく、どこか内気だったKのイメージを引きずりがちな私にとって、妻から伝え聞かされる現在進行形のKの姿は、とてもまぶしく、頼もしく、それでいて一抹の寂しさを胸中にもたらしもするのでした。

 もちろん、Eの成長ぶりにも目覚ましいものがあります。そもそも沖縄に避難した当初――つまり、彼がまだ妻のお腹のなかにいた頃――のことを考えると、その息子が今、そこら中を元気いっぱいに走りまわっているという事実は、それだけで驚きです。

 時として危なっかしいEの行動力は、小さい頃から際立っていました。すでに三才になりたてのとき、Eはひとりで義父の家へと遊びに行くようになっていました。自宅から義父の家までの距離は相当あるはずですが、彼は平気な顔をしています。Eにとっては、生まれ育った義父の家こそ、なつかしい記憶を宿した場所なのかもしれません。

 Eがアパートから姿を消した最初の日、妻は文字通り、肝をつぶしていました。狼狽した彼女は、あちこちに電話をかけた挙句、宇都宮にいる私の携帯にいくつもの支離滅裂なメッセージを残していました。ところが、だんだん日が経つにつれて、Eの行き先が義父宅やその周囲に限られていることが分かると、妻は思い切ってEにお使いを頼んでみたのだそうです。

――オカアサン! とってもカンタンだったよ!

 お使いから戻ってきたEは、胸に抱きかかえた牛乳パックと、汗をかくほどの力で握りしめていた釣り銭とを、誇らしげに妻に差し出したということでした。

 Eは大きくなるにつれて、無茶な冒険をするようになっていきました。急坂を転げ落ちて、前歯を折り、口のなかを血だらけにして帰ってきた日もありました。あるとき、妻、K、Eの三人で遊びに行ったビーチでは、どう見ても背の立たない深みへと突進した結果、危うく溺れかけ、間一髪で妻に救い出されるという一幕もあったようです。

 絶えず親をハラハラさせるという点では、沖縄の言葉でいう「うーまく」に当たるのかもしれません。それでいて、自分よりも小さな子が泣いている姿を見かけると、わざわざ側へ行って背中を撫でてあげたり、本当に好きな女の子の前に出ると、下を向いて黙りこんでしまったり、という繊細な一面も見られます。

 これ以上親馬鹿を丸出しにするのはやめておきます。私が言いたかったのは、このように著しいKとEの成長のプロセスを、父親である私はごく断片的にしか共有しないまま、五年半の歳月を過ごしてしまったという事実です。それはたしかに私が自分の意志で選んだことですが、そのような記憶の切れ端をたぐり寄せるたびに、怒りとも悲しみともつかない、ぐちゃぐちゃにこんぐらかった感情の渦が湧いてきます。あの原発事故さえなければ、こんなことにはならなかったはずだ、と。

 そうした私の自閉的な気分を置き去りにしたまま、KとEは今日もすくすくと育っています。子どもならではの健やかな忘れっぽさが、崖っぷちの数歩手前で、私たち家族を立ち止まらせてくれたのかもしれません。

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【最終回】
6章:いまだ途上にて
」 に1件のコメント

  1. magazine9 より:

    2011年10月に始まったこの連載も、今回が最終回となりました。5年以上にわたる連載の月日は、そのまま原発事故避難の時間と重なります。「最終回」を迎えても、いまも多くの人たちが全国で避難生活を続けているという現実は変わっていません。一人ひとりの生活を大きく変えた原発事故。それから5年半、私たちは何かを変えることができたのでしょうか。

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