原発震災後の半難民生活

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 ――こんなこと、初めてだった。

 これは私が沖縄に飛ぶ数日前、電話の向こうの母がつぶやいた言葉です。

 ゴールデン・ウィークに息子の私がやって来るということで、母としても家の中をきれいに片づけておきたかったのでしょう。ひさびさの大掃除に精を出していると、いきなり耳のすぐ近くで戦闘ヘリの爆音が聞こえたのだといいます。

 母がつづけるには、単にヘリコプターの音が聞こえただけなら、そのまま軽くやり過ごしていたかもしれなかった、ということでした。なにしろ周囲を隈なく基地に囲まれたG村では、米軍の演習はごく日常的な光景でしかなかったからです。

 でも、この日だけは、毎日のように聞き慣れてきたものとは明らかに違う音だったのよ。母はそんなふうにつづけました。

 母が思わず庭に走り出て、空を見上げてみると、屋根から長めのはしごを立てれば届いてしまおうかという至近距離まで、一機のヘリコプターがゆっくりと降下してきていました。

 庭のぐるりを取り囲むバナナやパパイアの木々が、いっせいにざわめきはじめました。黒光りする機体から怒涛のように押し寄せてくる風圧のせいで、一瞬、呼吸の仕方が分からなくなりそうでした。

 今にも家を押しつぶしそうな、それでいて奇妙に宙吊りにされたような距離を保ちながら、ヘリコプターはその場で旋回を開始しました。

 母がぼんやりと見上げたままでいると、迷彩服の兵士が、開け放たれた昇降口から顔をつきだしました。

 ――その米軍兵が次の瞬間、なにをしたと思う? 肩に下げていた銃をおろすとね、ぴたりと銃口を、わたしのほうに向けてきたのよ。

 あまりにとっさのことで、母は何をするでもなく、ただ惚けたようにそこに立ち尽くすしかありませんでした。せせら笑うかのように上空を旋回しつづけるヘリコプター。そしてその間、機体の角度が変わるたびに、銃口の先を微修正しながら、寸分たがわず母の体に照準を定めつづける米軍兵。

 もしかすると現実には、ほんの数秒間にも満たない間の出来事だったのかもしれません。というのは、家の上を一回りしたヘリコプターは、急に気でも変わったかのように海のほうへと飛び去っていったからです。

 けれども母にとって、その息も詰まるような数秒間の恐怖は、一日中ふさぎこむのに十分すぎるほどのものでした。

 そのときはじめて分かったのよ、と母は受話器の向こうでつぶやきました。

 ――この村は、戦争の実験場なんだわ。

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4章:ゴールデン・ウィーク――沖縄にて その2「キチクベイエイ」」 に2件のコメント

  1. magazine9 より:

    『半難民生活』、久しぶりの更新となりました。原発震災後、妻と子を避難させた沖縄を久しぶりに訪れた著者。そこで突きつけられたのは、今もその地に色濃く残る〈戦争〉の姿でした。〈アメリカと日本は、寄ってたかって沖縄のことを食い物にしてきたのではないだろうか〉――著者の思いは、どこへ向かうのか。ご意見・ご感想も、ぜひお寄せください。

  2. 斗和 より:

    こちらの連載、楽しみにしているのですが、いつも読む度に涙がでます。登場する方々それぞれの色々な感情(戸惑いや葛藤、深い悲しみ、そして喜びも)が伝わってきて・・・
    3・11の後、何に一番気がついたかといえば、いかに自分が色々なことを知らなかったか、ということです。原発のことだけでなく、沖縄のことについても。心痛む現実や歴史にもっと目を向けていこうと思います。

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