小石勝朗「法浪記」

 「袴田事件」の再審開始を認めた3月の静岡地裁決定が、警察による「証拠捏造の疑い」を指摘したことは記憶に新しい。48年前の事件とはいえ、「警察ってそこまでやるのか」という驚きの感情を抱いた方が多かったのではないだろうか。

 もちろん、新聞記者時代に事件取材の経験がある身として、多くの警察官がまじめに職務を遂行していることは百も承知だ。だが、限りなく一部であるにせよ、証拠の捏造が行われる可能性が「ゼロではない」と示されたことは、特に冤罪が取りざたされる事件へアプローチするうえで無視できないポイントになるのだと思う。

 そんな中、この夏、一つの事件の元被告が新たに再審(裁判のやり直し)を請求した。「野田事件」。発生は、35年前の1979(昭和54)年。再審開始を申し立てた青山正さん(66歳)は知的障害者で、公判で犯行を否認したものの懲役12年が確定し、94年に服役を終えている。

 そして最も重要なのは、警察による「証拠捏造」が疑われ、それが再審請求の最大の根拠になっていることだ。いろいろな意味で、とても重い事件と言える。青山さんの支援者の話を聞く機会があったので、概要を報告したい。

 事件名は、発生現場である千葉県北西部の野田市に由来している。79年9月、下校途中の小学1年生の女子児童(当時6歳)が行方不明になり、竹林の中で窒息死しているのが見つかる。全裸で両手足を縛られていたうえ性的暴行を受けており、口の中には本人のハンカチと下着が詰められていた。直後から近くに住む青山さんが警察にマークされ、18日後に逮捕された。

 当初、青山さんと犯行を直接結び付ける物証はなく、本人も犯行を否認していたが、逮捕3日後から「自白」に転じていく。起訴の決め手となったのが、被害者の赤い布製手提げバッグの裏側に書かれた名前の部分(ネーム片)だ。警察によると、死体の近くでバッグが見つかった時には切り取られており、それが逮捕10日後に青山さんの定期入れから「発見」された。

 このバッグとネーム片が再審請求の最大のポイントなのだが、後で詳しく触れる。

 殺人罪などで起訴された青山さんは、公判の途中で否認に転じたが、1審の千葉地裁松戸支部は懲役12年を言い渡す。心神耗弱を認めながらの判決だった。2審の東京高裁、最高裁と結論は変わらず、93年に刑は確定した。

 裁判所が重視したのは、青山さんの自白だ。ウソであれ捜査段階でいったん自白してしまうと、裁判になってから否認に転じようが裁判官はクロの心証を持ってしまうのは、数多の冤罪事件と同じ構造である。

 実は、この事件には、取り調べの一部を録音したカセットテープと、犯行を再現した実況見分の様子を撮影したビデオテープが残っている。青山さんに知的障害があることから、捜査側が公判で自白の証拠能力を疑問視されることに備えて記録したとみられている。判決はこれらを肯定的に評価し、自白の任意性と信用性を認めてしまったのだ。

 たとえば、1審判決はこんな認定をしている。

 「中等度の精神遅滞者である被告人に捜査官が犯行の手段、方法、手順をあらかじめ教え込んで再現させることは到底不可能と考えられることなどの諸点に照らして考察してみると、被告人の自白の任意性に疑いをさしはさむ余地はない」

 2審判決も「自白の任意性」を前提にしており、他方で供述の変遷や公判途中で否認に転じたことについては「被告人にとっては、犯行を時間的順序を追って明確かつ詳細に、しかも要領よく説明することは困難」などと問題視しなかった。有罪の結論を導くために、知的障害を都合良く利用して判断しているように見える。

 で、再審請求である。7月14日に千葉地裁松戸支部に申し立てた。

 青山さん側が最大の新証拠と位置づけているのが、前述した被害者の「カバンの捏造」である。現場付近で発見された赤い手提げバッグ(以下、バッグA)と、裁判所に提出されたバッグ(以下、バッグB)が警察ですり替えられた可能性が高い、と訴えている。

 根拠に挙げるのが、バッグの側面に付いているボタンの鑑定だ。事件2日後に遺留品として警察が報道陣に公開したインスタント写真の接写(バッグA)と、裁判所に提出されたバッグBと同型のものを専門家にコンピューター解析して比較してもらったところ、「ボタンに同一性がない」との鑑定結果を得たというのだ。バッグAとバッグBが同じ物でなければならないことは、論をまたない。

 バッグは当時流行していた少女マンガ「キャンディ・キャンディ」のキャラクター商品。もとの裁判の段階でも製造業者にバッグAの写真を見てもらって「うちの商品ではない」との意見書を最高裁に出したが、顧みられなかった。被害者の母親は「屋台の夜店で買った」と話していたそうで、弁護団や支援者は、バッグAは海賊版、バッグBは正規の商品で別の物、とみている。

 「すり替え」を主張する理由は他にもある。バッグから切り取られたネーム片の発見過程に疑義があるのだ。

 切り取られていた布のネーム片は幅8センチ、長さ16センチで、被害者の母親が名前と住所を書いていた。青山さんが逮捕から10日後の取り調べで、自分の定期入れの中に入れていると供述したことを受けて見つかった、とされている。

 しかし、定期入れは逮捕当日に押収されており、その後、10日間も警察が中身を確認しなかったのは極めて不自然だ。取り調べの録音テープにも、青山さんがこの供述をした当日午前に取調官が証拠管理係に尋ねて定期入れを確認してもらったが、ネーム片は見つからなかったというやり取りがある。なのに、午後3時すぎになって定期入れを取調室に持ってきて青山さんに開けさせたところ、ネーム片が発見されたことになっている。この場面は写真撮影されているが、開示された録音テープには入っていないという。

 弁護団は、青山さんが供述をしてから数時間の間に、警察がバッグAの代わりにバッグBを遺留品に仕立て、そこからネーム片を同様に切り取り、青山さんの定期入れに忍び込ませて発見させた疑いを指摘している。

 こうした点はもとの裁判でも争われており、2審判決は警察が定期入れの中身を10日間も確認しなかったことを「信じがたい感があることは否定し得ない」としながらも、青山さんの自白の方が信用できると判断した。また、午前中の段階でネーム片が見つからなかったことは「見落とし」と判断し、「迂闊と言えば迂闊だが、あり得ないことではない」「捜査官がネーム片を被告人の所持品にひそかに忍び込ませておいたなどと疑う余地は全くない」と真摯に向き合わなかった。

 裁判所がもっときちんと審理していたら、違った結論になっていた可能性は高いのではないだろうか。バッグのすり替え以前に、自白以外の唯一の直接的な物証であるネーム片にこれだけの疑念があったのだから、常識的にみて容易に有罪判決は書けなかったはずだ。

 再審請求で弁護団はほかにも、被害者の頭部の陥没状況について、重さ約15キロの石を上から落としてぶつけたという青山さんの自白とは異なり、鈍器のようなもので殴られてできたとする法医学者の鑑定書などを新証拠として提出した。

 再審請求審では、弁護団が求めている写真や録音テープ、調書などの証拠開示に対して、検察が近く回答することになっているという。これだけおかしな点がある事件なのだから、真相解明のために検察は積極的に証拠開示に応じるべきだし、裁判所も強く求めてほしい。

 青山さんは服役を終えてから、大阪で暮らしているという。再審請求までにこれだけ時間がかかったのは、バッグの鑑定をしてくれる専門家がなかなか見つからなかったことに加え、青山さんに警察や裁判によってかなり嫌な思いをさせられた記憶が残っていて、もう一度裁判をする意義をなかなか理解してもらえなかったからだそうだ。

 再審請求審では、知的障害への偏見を超えて、証拠をきちんと捉え直し、事実をつまびらかにするように努めてほしいと願わずにはいられない。仮に証拠の捏造が証明されないまでも、そこで最優先されるべきは「疑わしきは罰せず」という刑事司法の大原則であることは言うまでもない。

 

  

※コメントは承認制です。
第39回
証拠品は警察にすり替えられたのか~「野田事件」の再審請求
」 に1件のコメント

  1. magazine9 より:

    警察側が「証拠をねつ造する」というにわかには信じられないような事実が「袴田事件」によって明るみに出たわけですが、他にもその疑いが持たれる冤罪事件があったことは、ショックな話です。いずれにしても、唯一で決定的な物証であるネーム片への疑いがあるのにもかかわらず、有罪判決を書いた裁判所の責任は重く、「再審請求」をただちに受け入れるべきではないでしょうか。

←「マガジン9」トップページへ   このページのアタマへ↑

マガジン9

小石勝朗

こいし かつろう:記者として全国紙2社(地方紙に出向経験も)で東京、福岡、沖縄、静岡、宮崎、厚木などに勤務するも、威張れる特ダネはなし(…)。2011年フリーに。冤罪や基地、原発問題などに関心を持つ。最も心がけているのは、難しいテーマを噛み砕いてわかりやすく伝えること。大型2種免許所持。 共著に「地域エネルギー発電所 事業化の最前線」(現代人文社)。

最新10title : 小石勝朗「法浪記」

Featuring Top 10/77 of 小石勝朗「法浪記」

マガ9のコンテンツ

カテゴリー