小石勝朗「法浪記」

 東京の検察審査会が2度にわたって「起訴すべきである」との結論を出すとは、きっかけとなる刑事告訴をした当事者にしても、率直に言って想定外だったようだ。「強制起訴は奇跡的」「奇跡のように貴重」という言葉が、担当した弁護士からも聞かれた。

 福島第一原発事故をめぐり、被災者らでつくる「福島原発告訴団」が東京電力の元幹部らの刑事責任を問うよう求めて福島地検に告訴・告発をしたのは、2012年6月のことだった。

 それから3年あまり――。東京第五検察審査会は7月31日、東電の勝俣恒久・元会長、武藤栄・元副社長(原子力・立地本部長)、武黒一郎・元副社長(同)の3人を2度目の「起訴相当」とする議決書を公表した。3人は業務上過失致死傷罪で強制起訴されることになった。

 この間、検察が2度にわたり3人を不起訴処分にしたり、嫌がらせのように捜査の担当を東京地検に移送したりといった紆余曲折があった。検察審査会で「起訴相当」の議決を得るには、市民から選ばれた11人の審査員のうち8人以上が賛成するのが条件で、しかも違うメンバーで2回クリアしなければならないという高いハードルも越えた。原発告訴団が8月19日に東京で開いた集会で、参加した約300人の喜びが弾けたのも無理がない。

 福島の原発事故は「人災」とも指摘されてきたにもかかわらず、関係者が刑事責任を問われるのは初めてだ。まずは画期的なことと評価すべきだと思う。

 本稿では主に、強制起訴から公判に至る今後の見通しを紹介したいが、最初に検察審査会の議決の概要をおさらいしておこう。

 東電の幹部を起訴相当とするためのポイントは2つあった。「予見可能性」と「結果回避可能性」だ。予見可能性とは、高さ15.5メートルに及んだ津波の襲来を予測して対策を取ることができたかどうか。結果回避可能性とは、対策をとっていれば原発事故を防げたかどうか、である。

 予見可能性をめぐっては、2002年に政府の地震調査研究推進本部(推本)が、福島第一原発の沖合海域を含む三陸沖から房総沖の日本海溝沿いで「マグニチュード(M)8級の津波地震が30年以内に20%程度の確率で起きる」と予測していたこと、さらにこれを受けて08年には当の東電が社内で「M8.3級の地震が福島県沖で起きれば、福島第一原発を襲う津波の高さは15.7メートルに及ぶ」と試算していたことを、どう評価するかが焦点になった。

 東電の試算は08年6月に武藤氏に報告され、いったんはそれに基づいた津波対策を検討するよう現場に指示が出たが、翌月になって方針転換されたことがわかっている。

 検察は、事故前の専門家の知見を踏まえると「10メートルを大きく超える津波が発生して原発の主要機器が浸水する危険性は認識できなかった」と判断。東電による15.7メートルの試算も「信頼性は低かった」と重視せず、東電幹部の責任を認めなかった。通常の注意義務を尽くしてもこれほどの津波による事故が起きるとは予測できなかったから、十分な対策が取られていなかったとしても仕方がない、という理屈だ。

 これに対して検察審査会の議決は、原発の運営責任者に通常よりも高度な注意義務を課したうえで、15.7メートルの津波の試算を「絶対に無視できないもの」と重く捉えて、幹部の予見可能性を導いた。

「原発事故が深刻な重大事故、過酷事故に発展する危険性があることに鑑み、その設計においては、当初の想定を大きく上回る災害が発生する可能性があることまで考えて、『万が一にも』『まれではあるが』津波、災害が発生する場合までを考慮して備えておかなければならない。このことは原発に関わる責任ある地位にある者にとっては、重要な責務と言わなければならない」

「推本の予測の信頼度がどうであれ、科学的知見に基づいて大規模な津波地震が発生する一定程度の可能性があることを示している以上、それを考慮しなければならないことはもとより当然と言うべきである。15.7メートルという津波の試算は、原発に関わる者としては絶対に無視することができないものと言うべきである」

 もう一方の結果回避可能性についても、検察は「事故前の時点で、浸水を前提とした対策を取ることが、津波への確実かつ有効な対策として認識・実行され得たとは認めがたい」「東電幹部が試算結果を知った時期からすると、本件地震・津波の発生までに対策を完了することができたとは言えない」として否定していた。

 これに対して検察審査会の議決は、対策として「原発の運転停止」にまで踏み込んだのが特徴だ。

「浸水した場合の被害を避けるために、適切な津波対策を検討している間だけでも福島第一原発の運転を停止することを含めたあらゆる結果回避措置を講じるべきだった」

「運転を停止することを含めた合理的かつ適切な津波対策が講じられていれば、それ以降、いつ本件と同規模の地震、津波が発生しても、本件のような重大事故、過酷事故の発生は十分に回避することができた」

 いずれも東電幹部の責任を一刀両断に論じていて、小気味よい文章である。共感する市民は多いのではないか。

 3人は、そうして原発に必要な安全対策を講じることもなく漫然と運転を続けた過失により、事故を発生させて死傷者を出したことが業務上過失致死傷罪に当たると認定された。

 さて、強制起訴へ向けて、これから手続きはどう進むのか。起訴を求めてきた側は、どう対応していくのか。

 東京地裁は8月21日、検察官役を務める「指定弁護士」として、第二東京弁護士会が推薦した石田省三郎弁護士、神山啓史弁護士、山内久光弁護士の3人を選任した。起訴の手続きや公判での有罪立証には、この3弁護士が当たることになる。複雑な事件だけに指定弁護士を5人にすることが検討されたという情報もあるが、冤罪で再審無罪になった東電女性社員殺害事件を担当した刑事弁護のベテランと、今回の検察審査会で審査補助員(アドバイザー)を務めた弁護士による重厚な布陣になったそうだ。

 当面の最大の焦点は、どこまで「補充捜査」をするか、である。

 前出の集会で報告した告訴団の保田行雄弁護士によると、指定弁護士の補充捜査には限定がない。つまり、3人を任意で取り調べるだけでなく、逮捕することや東電本社を家宅捜索することもできるという。その場合には検察の協力が必要になるが、保田弁護士は「私たちも支援する態勢を組み、検察には妨害しないよう求めて、補充捜査を徹底するように要請していきたい」と強調した。

 これまでの検察の捜査に対して告訴団が不信感を抱いてきたのは、東電本社の捜索などの強制捜査をしないまま2度の不起訴処分を決めたことが最大の理由だ。検察は「強制捜査をしたから良い資料が得られるとは限らない」「東電の事故対応業務を妨害しかねない」と釈明してきたが、東電が自分たちに都合の悪い書類や資料を任意で提出するはずがないと考えるのが一般的な市民の感覚だろう。

 捜査のプロセスとして、少なくとも東電本社の捜索は不可欠だと思う。でないと、原発事故の情報が十分に明らかにならないまま公判で東電幹部の刑事責任を追及せざるを得ないことになり、結果として有罪になるにしても無罪になるにしても、国民には消化不良感が残るだけだ。5年の公訴時効(来年3月)という時間的な制約や、検察の協力という課題があるにせよ、指定弁護士にはぜひ実現してほしい。

 公判が始まれば「被害者参加制度」の活用がテーマになるそうだ。事件の被害者や遺族が刑事裁判の法廷で意見を述べたり被告に質問したりできる仕組みで、今回の裁判にも適用される。

 検察審査会が起訴相当と議決するに当たって、3人の過失と因果関係がある原発事故の「被害者」と認めたのは、①爆発した瓦礫に接触するなどして負傷した東電の関係者や自衛官ら13人と、②原発から約4.5キロの双葉病院から避難を余儀なくされて死亡した入院患者44人。

 集会で告訴団の海渡雄一弁護士は「被害者の委託を受けて裁判に参加する道を検討したい」と語った。原発事故の事情や経緯を知悉した弁護士が被害者や遺族と共に毎回法廷に入り、3被告への質問や意見の陳述をすることで、指定弁護士を側面支援しようというアイデアだ。実現するかどうか注目したい。

 公判の進行をチェックしたり裁判所に情報公開を求めたりするために、告訴団が中心になって市民や文化人、弁護士らによる「全国ネットワーク」を結成する計画もあるという。指定弁護士の報酬は1審ごとに最大120万円と負担が大きい割に低額に抑えられており、資金面を含めてさまざまな形で活動を支援できないか模索していくことも全国ネットの目的になりそうだ。

 ところで、強制起訴と聞いて真っ先に思い起こされるのは、小沢一郎・元民主党代表だろう。小沢氏がこの仕組みによって政治資金規正法違反罪で起訴されたものの最終的に無罪が確定したことは、今でも記憶に刻まれている。小沢氏を含めて、これまでに強制起訴された8件のうち4件で無罪判決が出ているという。

 そもそも、起訴すれば有罪率99%超の検察が「不起訴」と判断した事件を裁判にかけるのだから、有罪の立証が厳しいことは間違いない。おまけに、これまで原発に対して「甘い」判断を下してきた裁判所が相手だ。保田弁護士は「有罪にするのは強制起訴よりももっと大変だ。第2の奇跡を起こさなければならない」と冷静に分析していた。

 無罪になる可能性も高い裁判なのに、東電元幹部3人の強制起訴に意味はあるのだろうか。

 そんな疑問に答えるキーワードは、やはり「真相究明」だ。告訴団の弁護団長を務める河合弘之弁護士は「もし3人が不起訴になっていたら、原発事故の真相を究明する場がなくなるところだった」と力を込めた。

 公開の法廷に立つ東電元幹部が肉声で語る事故までの対応はもちろん、関係者の証言や新たに公になる証拠書類などから、いまだに隠されている原発事故の事実をつまびらかにすることこそが、この裁判の何よりの社会的な意義ではないだろうか。それが再発防止策につながることにもなる。あえて付け加えれば、有罪か無罪かはあくまで結果であって、そこだけにこだわるべきではないのかもしれない。

 今なお、そしてこれからも、多くの人たちに身体的・精神的・金銭的なダメージをもたらし続ける原発事故だからこそ、なおさら今回の裁判に期待される役割に違いない。

 

  

←「マガジン9」トップページへ   このページのアタマへ↑

マガジン9

小石勝朗

こいし かつろう:記者として全国紙2社(地方紙に出向経験も)で東京、福岡、沖縄、静岡、宮崎、厚木などに勤務するも、威張れる特ダネはなし(…)。2011年フリーに。冤罪や基地、原発問題などに関心を持つ。最も心がけているのは、難しいテーマを噛み砕いてわかりやすく伝えること。大型2種免許所持。 共著に「地域エネルギー発電所 事業化の最前線」(現代人文社)。

最新10title : 小石勝朗「法浪記」

Featuring Top 10/77 of 小石勝朗「法浪記」

マガ9のコンテンツ

カテゴリー