風塵だより

 今年の夏は暑かったけれど、残暑はほとんどなかった。
 あっという間に秋が来て、紅葉を愛でる余裕もなく大雨が襲い強風が吹き荒れ、多くの被害をもたらした。
 ひと息つく間も与えず、突然の冬。ときならぬ暴風雪が過疎の集落を孤立させ、人々は停電の夜を震えながら耐えた。北海道では、歩くのさえ困難なほどの暴雪(そういえば、ぼくの好きな佐々木譲さんの小説に『暴雪圏』というのがあったな…)で、軒並み学校は休校。雪下ろしで足を滑らせ命を失う人まで出てしまった。
 この荒れ模様はどうしたことだろう。
 ゆるやかに移り行く季節を愉しむことができるのが、日本列島の自然の豊かさだったはずなのに、最近の季節の暴れぶりは、まるでぶった切りの荒っぽさ。何かが狂い始めたようだ。

 牽強付会といわれるかもしれないが、現在のこの国の政治の移り行きもまた、荒れる季節に似て、近来に例を見ない荒っぽさだ。ほとんど意味不明な解散総選挙での史上最低の投票率。国民が、この政治の荒っぽさについていけないのか、それとも政治を見放してしまったか。

 勝った、勝った、大勝だ! と、浮かれ気分で荒っぽい言葉を吐き続ける安倍首相だが「民意を尊重しつつ、これからも丁寧な政治を行っていくつもりであります」などと、妙に殊勝な言葉も口にする。むろん、ウソだ。その舌の根も乾かぬうちに、原発再稼働も集団的自衛権もTPPも、さらには改憲まで「民意のうち」だと言いつのるのだ。殊勝なのは口先だけ。
 もう何でもかんでも「白紙委任状」をもらった気でいるらしい。
 選挙後のさまざまな調査では、原発再稼働も集団的自衛権の行使も憲法改定も、ほぼ反対派が賛成派を圧倒している。国民は安倍首相に「白紙委任状」を手渡したのではない。

 その安倍首相だが、沖縄米軍基地に関しては「普天間飛行場の辺野古移設が唯一の解決策だと思うわけであります」と繰り返す。
 選挙結果で民意を得た、と言うのであれば、「沖縄の民意」はどうなるのか。沖縄県民は、何度も何度も繰り返して「民意」を示してきたではないか。その「民意」は無視していいとでもいうのか。
 名護市長選、名護市議選、統一地方選、沖縄県知事選、そして今回の衆院選と、このほぼ1年間の選挙戦は、すべて「辺野古米軍新基地建設反対」派が勝利した。つまり、沖縄の「民意」は揺るがない。
 安倍の言うように「民意」を尊重するのであれば、当然ながら「沖縄の民意」もまた尊重しなければならないはずだろう。しかし、安倍自民党政権は「辺野古基地建設は粛々と進める方針に変わりはありません」と、まるで何とかのひとつおぼえのように繰り返すのみ。
 人間の心を持たないオウムだって、もう少し実のある言葉を吐きそうなものだが、安倍にはそれも通じない。

 ダブルスタンダード(二重基準)という言い方がある。あるやり方を別の件ではまったく違う方式で行う。つまり、この安倍首相のように、一方では「民意尊重」といい、もう一方では「民意無視」の政治を平気で行う。政治家としては最低だけれど、どうもこの国のマスメディアは、それをきちんと批判できない。まあ、ネット上では有名になっているけれど、選挙後に各マスメディアの幹部連中が嬉々として「安倍会食」に連なるのだから、批判も安手になるわけだ。
 さらに安倍、ついには「沖縄振興策」で決まっていた2015年度予算を減額する可能性にまで言及し始めた。要するに「いうことを聞かないヤツは日干しにしてやるゾ」という露骨きわまる脅しだ。
 こんな薄汚い手を、政府が使うのだから、民間企業にモラルを求めるなんて無理な話だ。
 沖縄県の翁長知事は、近々東京を訪れ、政府首脳と会って沖縄の願いを伝えようとしているが、菅官房長官は記者会見で、すげなく「そのような要請は伺っておりませんので、現段階でお会いする予定はありません」と、木で鼻をくくったような白々しさ。
 安倍政権の冷たさが、寒波となって日本中を覆い尽くしている…。 

 前のコラムでも書いたけれど、今回は国民を「無関心」というツボの中に閉じ込めることに成功した選挙だったのだ。来年も、この「無関心」は続くのだろうか?
 東京新聞こちら特報部(12月23日付)は、こんなタイトルと記事を載せていた。


個別政策は反対…でも安倍路線継承
有権者が分からない
思考やめた結果、棄権?
混乱回避 後ろ向きの選択

…(略)ファシズム研究が専門の池田浩士・京都大名誉教授は「原発や集団的自衛権、特定秘密保護法など命に関わる重大な問題があったのに、国民はアベノミクスだけを争点とする安倍という政治家の手のひらに乗せられてしまった」と語る。
 安倍首相の手のひらの上は楽なのだろうか。「楽ではなく、考えるのをやめている。とりあえず自民に任せておけばいいと。やはり民主の政権交代の失敗は大きい。意思表示しても何もできなかった。国民はぼんやりとしたむなしさを抱いて、思考停止に陥った」(略)
 文化学園大の白井聡助教(政治学)は、有権者を厳しく批判する。「安倍政権の性格が分かりきっているのに、惰性で自民党に投票した。焼夷弾が降ってきてはじめて、戦勝の報に浮かれたことを悔やんだかつての日本人と変わらない」(略)

 ぼくは、このコラム「風塵だより」第9回で、次のように書いた。

…(略)「国民に関心を持たせないこと」
 それが今回の解散総選挙の、際立った特徴だと思う。
 なにが起きているのか、なぜこうなっているのか、そしてその結果がどうなるのか。その判断を国民にさせないこと、国民を判断停止に追い込むこと、考える余裕を与えないこと…。
 多分、これが今回の解散総選挙での安倍戦略だったのだ。
関心を持たなければ、中身の吟味をしない。吟味しなければ分からない。分からなければ「ま、よく分からないから、今のままでいいか」か「棄権」ということになる。「このままでいいか…」と刷り込むのに成功すれば、現政権が勝つのは目に見えている。(略)

 関心を持つことを国民自ら放棄したのか、そういうふうに誘導されたのか、それは分からない。だが、無関心が国民を危ない場所に連れて行くことは、歴史を繙くまでもない。

 もうじき、今年も終わる。
 ああ、あの年が、あの選挙がターニングポイントだったなあ…と後世の資料に記されなければいいのだが。

 そして、また歳はめぐる。
 未年。穏やかな、せめて静かな日々でありますように…。

 

  

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11 無関心の果てに…」 に1件のコメント

  1. すずり色 より:

    なるほど。
    全ては国民の無関心が悪く、「増税しない」という公約を破った政治家や
    一票の格差などの問題が指摘される選挙制度、マスコミには何も問題はない。
    これを読んで私はそう感じました。
    日本は民主主義の国で言論の自由もあるのですから「民」を批判しても問題は
    ありませんし実際有権者の問題もあるのでしょうが
    権力や組織と大多数の有権者との力関係を考えるとこういう文は好きになれません。
    このようなことをを述べても少し関心を持つ人も政治から離れていくだけという気がします。
    無関心な人はそもそもこのサイトや新聞も見ないと思います。

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すずき こう

すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)など。マガジン9では「風塵だより」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。

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