風塵だより

 このところ、とてもデモが多い。
 先週から今週にかけて、ぼくは5回、デモに参加した。
 地元での「原発イヤだ!」デモ、官邸前での毎週金曜日の反原発デモ、国会を取り囲んだ「女の平和」の赤いデモ(ぼくは男だけれど、趣旨に賛成しての特別参加)、さらには同じく国会包囲の「沖縄辺野古の米軍新基地建設反対」の青いデモ、そして後藤健二さんの無事を願う集会…。

 なぜ「赤いデモ」「青いデモ」なのか。
 「赤」は、アイスランド女性たちの地位向上を求めたレッド・ストッキング運動にヒントを得て、安倍政権へのレッド・カードの思いを込めたもの。「青」は沖縄の海の美しさをイメージして、辺野古への連帯の意志表示。
 ということで、参加者はそれぞれ、赤いもの、青いものを身に着けて集まったというわけだ。
 正直な話、ぼくのような年寄りには、けっこう堪える。自宅からデモの場所までの足代や時間だってバカにならない。国会までは約1時間、電車も私鉄と地下鉄を乗り継いで、往復料金1000円弱。それが何度も続けば、かなりの負担だ。でも、ぼくはデモへ行く。
 第2次安倍政権が発足してから、やたらと集会やデモ、勉強会が増えてしまった。買い込む本や資料代もけっこうなものだ。新聞3紙の購読料もきつい。でも、どんどんキナ臭くなっていく安倍政策への反撃を、こちらとしてもきちんと準備しなければならないから、仕方がない。
 
 デモに対する批判もある。
 「デモで世の中が変わるのか」とか「デモなんて自己満足にすぎない」「デモで世の中を変えた実績があるなら見せてみろ」「デモは何の役にも立たない。うるさいだけだ。とっととやめろ」…。
 ぼくのツイッターやコラムに、そんな書き込みが飛び込んでくることもある。中には、“ネット・ストーカー”としか言えないような、悪意に満ちた罵詈雑言で、しつこい絡み方をしてくる人もいる。ま、そういう人に限って匿名なんだけどね。

 閑話休題(それはさておき…)。
 「デモは何の役にも立たない」と言う人は、けっこう多い。さまざまな言論の場でリベラルな立場をとりながらそんなことを言う方も、ときおり見かける。だが、ほんとうにデモは役に立たないのか? 
 ぼくは、そうは思わない。
 逆に考えてみたらどうだろう。
 現在のデモは「何かを造る」ということよりも、「何かの防御」になっている。すなわち、デモは「危ない方向へ進むことへの歯止め」になっているではないか、と。

 たとえば「原発」だ。2013年9月16日、福井県の大飯原発4号機(関西電力)が停止、以降、日本の原発は1基も動いていない。つまり、日本中のすべての原発が運転を停止してから、もう1年4カ月以上も経っている。
 先日、ある催し(某市での消費生活展覧会)で、参加してくれた方々に「日本ではいま、何基の原発が動いているでしょうか?」と訊いたところ「全部停止している」と正解を答えた人は半分ほどだったという。
 いまだに「原発がなければ電力不足になる」という、かつての電力会社や原子力ムラの“洗脳”が解けていない人がこんなに多いのだ。
 そんなに“洗脳者”が多いにもかかわらず、前述のように、日本では全原発が停止中だ。なぜか?
 さまざまな要因はあるだろうが、いまも続く「原発再稼働反対」の運動がその一因になっていることは確かだろう。毎週休むことなく続けられている金曜日夜の「首相官邸前原発反対デモ」。ここに集まる人たちの「再稼働ハンターイッ!」の声は、安倍の耳にも届いているだろう。
 かつて野田佳彦元首相はデモの声を「大きな音だね」と言って顰蹙を買ったし、石破茂元自民党幹事長は「デモの大声はテロ行為」とポロリと本音を漏らして大批判を浴びた。
 さらに高市早苗自民党元政調会長も、ヘイトスピーチにかこつけて「デモの大声は仕事に支障、取り締まりの対象に」と口を滑らせた。ヘイトスピーチの本家のような高市氏などに言われたくないが、こんなふうに彼らがデモ批判を繰り返すのは、デモが彼らにとって決して無視できない「のどに刺さった魚の小骨」のようなものだからだ。
 いまも各地で毎日のように行われている反原発の集会やデモ、それらの規模や回数を、官邸も含めた原子力ムラがどれだけ気にしていることか。もし、デモがなかったなら、安倍政権はもっと早く(原子力規制委員会など無視して)原発再稼働に走ったことだろう。
 規制委員会だって、もし反原発デモの声が届かなければ、もっとひどいことになっていただろう。規制委と国会事故調との軋轢が示すのは、実はそういうことだ。

 沖縄での住民たちの抵抗運動は、安倍政権にとってはそうとうな頭痛の種だ。ことに、辺野古の浜でのカヌー隊や、キャンプシュワブ・ゲート前での激しい住民の抗議活動に「こんなはずではなかった…」と、官邸は頭を抱えてしまっている。
 住民の抗議船(規制海域の外)に何の法的根拠もなく強引に乗り込み、カメラを回していた女性の首を両足で締め付ける、というほとんど考えられない蛮行を犯した海上保安庁職員の写真は、琉球新報がスクープ撮影、それがネット上で膨大に拡散している。これだけの証拠写真を突きつけられながら、海上保安庁は「女性の脇を通り過ぎようとして抵抗され、偶然にこうなったが暴行はしていない。規制行動の範囲内だ」などと、詭弁にもならない言い訳で逃げようとしている。
 それにしても、規制海域外の個人の船に強引に乗り込んで暴行するというのは、それこそ家宅侵入(?)罪にあたるのではないか。法の番人が聞いて呆れる。
 この辺野古の米軍新基地建設にしても、もし住民の行動やデモがなければ、安倍政権はさっさと工事を着工していただろう。そうできないのも、明らかにデモの成果なのだ。同じことは、沖縄県東村高江区のオスプレイ訓練用の米軍ヘリパッド建設反対にも言える。
 正当な異議申し立ての手段としてのデモが、このように、強引な政府のやり方に一定程度の歯止めをかけている。
 「デモが何の役に立つのか」という人には、このような現状を見せてあげればいい。もっとも、そういう人たちは見て見ぬ振りをしてしまうかもしれないけれど。

 デモは大いに力を発揮している、といっていい。
 ぼくはそう信じているから、行ける時にはなるべくデモへ参加する。
 小さな声ひとつひとつの積み重ねが、政治の歪みを糺すはずだ。
 だから、ぼくはデモへ行く。
 後藤健二さんの早期解放を祈りつつ…。

 

  

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15 「デモは世を動かす力にはならない」か?」 に1件のコメント

  1. 松宮 光興 より:

    私も時々デモに参加しているが、時折「こんなことをして、効果があるのだろうか」と考えてしまう。
    でも、他に何が出来るだろう。
    原発廃止に向けて、住民投票条例を求める署名がどんなに集まっても、無視されてしまう。
    国会議員にお願いしても、1強多弱ではどうにもならない。
    それを良いことに、憲法改定・集団的自衛権・秘密保護法・TPP・原発再稼働・沖縄の基地建設……
    次から次と国民のいやがる政治を進める政府に、黙っていなくてはならないのだろうか。
    もっと良い方法があるなら、是非教えてもらいたい。

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すずき こう

すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)など。マガジン9では「風塵だより」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。

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