風塵だより

 触れるのもバカらしいし、激しく不愉快だから、無視しようとも思ったけれど、そうもいかない。こんな連中が政権政党の中を跋扈しているのだ。徹底的に追及する必要がある。

 6月25日に自民党本部で行われた、例の「文化芸術懇話会」というふざけた名称の自民党若手の“勉強会”と称する会合だ。
 この会合、まるで飲み屋の冗談の花盛り。
 でも“飲み屋の冗談”って、ぼくが言ってるんじゃないんだ。講師として出席した百田尚樹氏自身が、「飲み屋でしゃべっているような冗談」と言っている。批判されて、「飲み屋で『あいつ殺したろか』って、これ殺人未遂(になるのか)」と釈明したそうだ(毎日新聞6月28日)。
 それが「文化芸術懇話会」なるものの実態なのだ。いったいこんな話の、どこが文化か芸術か。言葉に対する冒涜、文化も芸術も、ここまで貶められては立つ瀬がない。
 しかも百田氏、沖縄タイムスと琉球新報を「潰したほうがいい」と発言、それだけでは物足りず、普天間飛行場の周辺の住民たちをも侮辱する発言を重ねた。

 批判には馴れている、とはいいながら「沖縄の2紙は潰すべき」とまで罵倒されて、さすがに腹に据えかねたか、沖縄2紙(沖縄タイムスと琉球新報)は共同で百田氏に対する反論声明を発表した。
 ぼくは「デモクラTV」という市民ネットテレビ局で「新沖縄通信」という1時間番組(毎月最終月曜日午後8時からオンエア、その後はデモクラTVのアーカイブでいつでも視聴可能)を受け持っているが、一緒に担当してくれている沖縄タイムスの東京支社編集部長の宮城栄作さんも「中身そのものも、あまりにデタラメ」と、ほんとうに怒っていた。
 沖縄タイムス(6月27日付)、反論した。

 百田尚樹氏が「田んぼで、何もなかった」とする米軍普天間飛行場が建設された場所は沖縄戦の前、宜野湾村の集落があった。宜野湾市史によると、1925年は現在の飛行場に10の字があり、9077人が住んでいた。宜野湾や神山、新城は住居が集まった集落がほぼ飛行場内にあり、大山などは飛行場敷地に隣接する形で住宅があった。
 最も大きかった宜野湾は村役場や宜野湾国民学校、南北には宜野湾並松と呼ばれた街道が走り、生活の中心地だった。
 飛行場は、まだ沖縄戦が集結していない45年6月、住民が収容所に入っているうちに、米軍が土地を占領して建設を始めた。住民は10月以降に順次、帰村が許されたが、多くの地域は元の集落に戻れず、米軍に割り当てられた飛行場周辺の土地で、集落の再編を余儀なくされた。(略)

 この記事を読むだけで、百田氏の「米軍の飛行場ができてから、商売目当てに基地の周りに人が集まってきて現在のような形になった」などという発言が、いかに根拠のないものか明らかだろう。
 また、宜野湾市基地政策部2015年3月作成の資料には、次のように記されている。

 沖縄戦前の宜野湾村の中心は字宜野湾で、現在の普天間飛行場の中にありました。普天間飛行場の場所は、もともと役場や国民学校、郵便局、病院、旅館、雑貨店がならび、いくつもの集落が点在し田畑が広がるのどかな丘陵地でした。
 普天間から真栄原間の県道両脇には琉球松の大木がうっそうと茂り、並松(ナンマチ)街道として県民に親しまれていました。また字普天間には、沖縄県庁中頭郡地方事務所や県立農事試験場など官公庁が設置され、沖縄本島中部の中心地でもありました。(略)
 普天間飛行場は、1945年の沖縄戦の際に、上陸してきた米軍に日本本土への爆撃基地として強制的に土地を接収され建設されたのが始まりで、1972年沖縄返還がなされた際に、普天間飛行場として日本政府から米国へ提供されました。
 1972年の本土復帰の頃まで、普天間飛行場は今のような運用はされておらず、補助飛行場としてパラシュート降下訓練が行われる飛行場でした。(略)
 宜野湾市は復帰前の1962年には市制が施行され、1975年時点で人口は5万人を超えておりました。普天間飛行場が現在のような運用がされ始めた時にはすでに、基地周辺には市街地が形成されておりました。

 いささか引用が長くなったけれど、これで百田発言が自分勝手な妄想の産物だということが分かる。
 さらに、百田氏は「基地の地主はみんな年収何千万円」とも発言しているが、これもほとんど根拠がない。前掲の沖縄タイムス記事を参照する。

 百田尚樹氏は「基地の地主はみんな年収何千万円」と発言した。しかし、地主の75%は200万円未満の軍用地料しか得ておらず、実態は百田氏の発言した内容と大きくかけ離れている。
 沖縄防衛局が発表した2011年度の軍用地料の支払額別所有者数(米軍・自衛隊基地)によると、地主4万3025人のうち100万円未満の地主が全体の54.2%に当たる2万3339人で最も多い。
 次いで100万円以上~200万円未満が8969人で20.8%を占め、200万円未満の割合が75%にのぼった。
 500万円以上は3378人で7.9%だった。(略)

 いくら「飲み屋の冗談話のようなもの」とはいえ、公的な(自民党本部8階の会議室2部屋ぶち抜きで行われた)会合での発言で、これだけ無根拠なことを並べ立てるのは、もはや常軌を逸しているとしか思えない。冒頭の数分を映像取材させておいて「後は非公式」という言い訳もおかしい。
 それにしても“勉強会”が聞いて呆れる。何をいったい“勉強”したの? それほど飲み屋の冗談にしたければ、自民党本部などではなく、赤坂辺りの居酒屋で、みんなの割り勘でオダをあげればよかったのだ。
 しかもこの会合、官房副長官の加藤勝信氏や自民党総裁特別補佐の萩生田光一氏なども出席している。ベタベタの“安倍親衛隊”である。加藤氏は「途中で退席したので、百田氏の講演しか聞いていない」などと釈明しているが、それは弁明にならない。政府のれっきとした幹部の一員なのだ。責任逃れは許されないだろう。

 同会合で「マスコミを懲らしめるのは広告収入をなくせばいい」と発言したとされる大西英男議員(66歳、東京16区)に至っては、昨年の国会で「早く結婚して子ども産め」など、セクハラの極みのような下品なヤジを飛ばして謝罪に追い込まれたといういわくつきの人物。
 こんな連中が、安倍側近を自認してはしゃぎまわっているのが、現在の自民党の有りようなのだ。
 「親分が極右だから、オレたちはもっと激しいことを言って、親分を応援しなければ」とでも思っているのだろうか。とにかく、冒頭の百田発言の「反日、売国を煽っているとしか思えない記事を書いているマスコミ」などに大笑いしながら拍手するような、まさにネット右翼と同じメンタリティーの議員集団。自分たちの気に入らないものには、もう条件反射的に「反日」「売国」「非国民」などという戦前用語を投げつける。

 東京新聞のこちら特報部の「デスクメモ」に、こんな文章が載っていた。

 福島原発事故以降、あれこれ崩壊の兆しに気づく。自民党の報道圧力事件では「発言者の言論の自由」を説く者がいた。記すのも恥ずかしい。言論を抑圧する「言論の自由」などない。言葉が生業の作家や議員なら万死に値しよう。だが、党総裁は無傷、当事者も辞職しないようだ。人の理性も崩れつつある。(牧)

 ぼくは同感だ。ほんとうに、「言葉を生業とする」人たちの勉強会だとは、とても思えない代物だった。
 けれど、彼らにまるで反省の色は見えない。

 この会とは別に25日、「チャンネル桜」という動画サイトで、勉強会の代表で、自民党青年局長を更迭された木原稔衆院議員が「(沖縄の戦没者追悼式で、安倍首相に怒号を浴びせた参列者について)あれは明らかに動員されていた」などと発言していた。なおこの動画は、なぜか29日までに削除されていたという。これには沖縄県側も憤激。「県が動員をかけたことなど、これまでに一度もない」と激しく反発している(沖縄タイムス30日)。
 木原氏は、更迭処分がよほど悔しかったのだろう。事実、最初は「自分から辞めるつもりはない」と言っていたのだが、世論の雲行きを恐れた谷垣幹事長に詰め腹を切らされた、というのが真相だ。
 さらに、同勉強会の発言で“厳重注意処分”を受けた大西英男議員、彼も処分に不服なのか30日、国会内で記者団に「(安保関連法案に批判的な報道機関について)懲らしめなければいけないんじゃないか」「誤った報道をするようなマスコミに対して広告は自粛すべきじゃないか」と述べたという(時事ドットコム配信)。
 まさに「国会の中の懲りない面々」である。

 こういう“議員たち”が推し進めているのが「安全保障関連法案」だ。このまま好き勝手をさせておいていいのだろうか。種々の調査で、安倍内閣の支持率の低下はこのところ顕著だし、「安保法案」に対する反対もどんどん高まりつつある。
 この法案を成立させてはならない。
 そして、次回選挙で苦杯をなめさせてやる必要がある。少しは国会をキレイにしなければなるまい。だから、この会合に出席した議員の名前と選挙区を記しておこう。
 あまり調子に乗ると、しっぺ返しが待っているよ。
 地元のみなさん、ぜひ、このリストを次回選挙まで保管しておいてください。

衆議院
堀井 学 ②(北海道9区)  簗 和生 ②(栃木3区)
薗浦健太郎③(千葉5区)   白須賀貴樹②(千葉13区)
大西 英男②(東京16区)   松本 洋平③(東京19区)
萩生田光一④(東京24区)   坂井 学 ③(神奈川5区)
星野 剛士②(神奈川12区)  高鳥 修一③(新潟6区)
田畑 裕明②(富山1区)   佐々木 紀②(石川2区)
宮沢 博行②(静岡3区)   熊田 裕通②(愛知1区)
大岡 敏孝②(滋賀1区)   武藤 貴也②(滋賀4区)
宗清 皇一①(大阪13区)   山田 賢司②(兵庫7区)
山下 貴司②(岡山2区)   加藤 勝信⑤(岡山5区)
井上 貴博②(福岡1区)   鬼木 誠 ②(福岡2区)
木原 稔 ③(熊本1区)   前田 一男②(比例北海道)
藤原 崇 ②(比例東北)   石川 昭政②(比例北関東)
今野 智博②(比例北関東)  宮川 典子②(比例南関東)
青山 周平②(比例東海)   池田 佳隆②(比例東海)
大西 宏幸①(比例近畿)   岡下 昌平①(比例近畿)
谷川 とむ①(比例近畿)   長尾 敬 ②(比例近畿)
参議院
滝波 宏文①(福井)     長峯 誠 ①(宮崎)
宮本 周司①(比例)

 

  

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すずき こう

すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)など。マガジン9では「風塵だより」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。

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