風塵だより

 8月30日、ぼくは国会前へ行った。
 安保法制に反対する「総がかり行動」の集会とデモは、午後2時からということになっていたが、ぼくとカミさんは、12時前には地下鉄国会議事堂前駅に到着するよう時間を計算して、東京郊外の我が家を出発した。
 「10万人デモ」とうたっていたが、事前にぼくが得ていた情報では参加者数は10万人をはるかに超えるだろう、ということだった。とすれば、開催時刻の2時直前に着いたのでは、地下鉄の駅から地上へ出ることさえかなり困難なのではないかと、推察していたからだ。
 何度か大きなデモに参加していたので、否応なく身についた「デモ参加の心得」である。
 この予測は当たっていたようだ。
 ぼくらが着いたのは12時少し前だったが、もう地下鉄駅構内は人で溢れんばかり。後で聞いた話だと、1時ごろには、地上へ出るまで30分ほどもかかってしまったという。

 午前中、家を出る時には降っていた雨も、ここでは止んでいた。ぼくの数少ない自慢のひとつは「晴れ男」であるということ。どうか、今日は降らないでくれという祈りが通じたのかもしれない。
 議事堂前駅から茱萸坂(ぐみざか:こんな難しい漢字も、反原発デモに参加するようになって覚えた)を下り、交差点を左にわたって国会正門前へ。先日のデモに参加した時には、警官隊がここを通せんぼ、ぐる~っと遠回りさせられた記憶があるが、今日はすんなり通れた。
 国会正門前へたどり着いたが、もう凄まじい人混み。知り合いの顔も見えたけれど、ここで数時間過ごすのは、ぼくらの年齢ではかなりしんどい。そこで、隣接する憲政記念館の広い庭園へ入ることにした。ここは開放されている。

 しかし、その入り口にたどり着くまでがひと苦労。ようやく入れたが、すげえなこりゃあ、ここも人でいっぱい。ぼくらのように、年配者が多い。やはり体力温存作戦に出ている模様。
 ベンチを探して、持参のおにぎり(新宿駅のコンビニで買った)をほおばる。飲み物は、家の冷凍庫で半分凍らせたペットボトルのお茶。こうしておけば、数時間は冷たいままで飲める。これも「デモの知恵」のひとつ。そうこうするうちに、集会が始まった。あまりに参加者が多いので、開始時間を1時間前倒ししたようだ。
 携帯がどんどん鳴る。「止むにやまれず参加組」の同世代の友人知人たちからだ。懸命に聞こうとするものの、シュプレヒコールや音楽などで、ほとんど聞き取れない。それに、国会前なんてふだんはあまり縁がない連中なのだから、憲政記念館の説明もうまく伝わらない。
 「うん、会えたら会おうな…」でおしまい。
 
 ふるさとの高校の同級生で、年賀状のやりとりはしているものの、もう数十年会っていない友人からも「オレ、病気で透析してるんだけど、今日ばかりはどうしても来たくて…」という電話。いろいろ、場所の説明などもしたのだが、結局は会えなかった。後日、連絡を取り合おうということにした。
 いつもデモで会うフリーライターのKくんは、もう慣れたもの。メールで居場所を確かめると、すぐに現れた。いつも、デモの現場で飴をくれる人物で、ぼくの知り合い女性からは「飴ちゃんオジサン」と呼ばれている。
 憲政記念館の庭園内も、いつの間にか凄い人数。ここは、ちょうどメインステージ(?)の裏側にも行けるから、鉄柵を通してスピーチするゲストの後ろ姿を見ることが出来る。
 そんなわけで、いっぱいの人が入ってきたのだ。多分、この庭園の中だけで、1万人は超えていたと思う。
 いつもの反原発集会で「ファミリーエリア」と呼ばれている場所の扉も、この日は開いていた。ぼくは、そこから集会を見つめていた。

 赤・黄・青の3色旗がひるがえる。創価学会の旗だという。振っているのは若い女性。創価学会員も、かなりの集団でこの「反安保法制デモ」に参加しているようだ。

 まるで湧き出るように、人数が増えていく。
 国会前の大通りを挟んで庭園の向かい側にも大きな公園がある。そこにも人が溢れていたというから、やはり人数は尋常じゃない。
 次々にマイクを握る人たち。坂本龍一さん、映画監督の園子温さん、作家の森村誠一さん、法政大教授の山口二郎さんやルポライターの鎌田慧さん、そして若いSEALDsのメンバーたちがかわるがわるコールを呼びかける。
 森村さんがしみじみ語った「戦争でいちばん傷つくのは女性たちです…」という言葉に、共感の声が響く。

 何時ごろだったか、「規制線が決壊したぞーっ! 車道へ出ようっ!」という声が聞こえた。
 庭園から、ジワジワと人々が押し出していく。しかし、もはや車道も人でいっぱい、なかなか前に進めない。それでも数十分後、ぼくは車道の真ん中に立っていた。なんだか嬉しくて、じんわりと胸の中が熱くなった。

 人々の力が、警察の圧力を平和裡に排除したのだ。国会正門へ続く広い大通り(10車線と歩道、それに路側帯もあるから幅は100mを超えるかもしれない)が、いま解放された! 
 ぼくは、スマホで懸命に写真を撮った。この状況を、一刻も早く誰かに伝えたい。

 白と黒の大きな風船の塊が、さっき、庭園の中で揺れていた。その風船群の下には「安倍はやめろ」と強大な文字をあしらった垂れ幕があった。それが、ふわりと宙に浮かんだ。国会前に、巨大な「安倍はやめろ」の烽火があがったのだ。すごいアイデア。この白黒の風船は「不安な雲」=「不公正と不寛容に憤るブラックレインボー」という意味だそうだ。
 この「不安な雲」はずいぶん反響を呼んでいて、俵万智さんはご自身のツイッター上で、【この夏の宿題として黒白のバルーンあがる国会の前】という歌を詠んでいる。

 安倍はむろん見やしないだろうが、この写真はさまざまな形で流布するに違いない。安倍側近の茶坊主たちは、必死になってこの写真を隠そうとするはずだが、それでもいつか安倍の目に触れるかもしれない。その時の安倍の顔を、想像するだけで…。

 上空をヘリコプターが舞う。報道各社のヘリだ。ぼくが目にしたのは3機。だけど、どれほど報道してくれるのだろう? この巨大な抗議の波を、どのように伝えてくれるのか。そう思いながら空を見上げていた。
 いまさらNHKに期待する気はないが、それでも帰宅してから見たYoJung Chenさんという方のこんなツイートには驚いた。

 日本の国会周辺に10万人が集まったという知らせに急ぎNHKニュースを見たら、なんと!?「野党党首4人が国会前で演説」というニュースだけで終わり…。NHK的には、誰もデモしておらず。あくまで野党党首4人がなぜか演説しただけ。中国国営放送を超えた見事なニュース管制に只々脱帽!拍手!

 なお、このツイートには後送もあって「これは6時のニュースで、7時のニュースではデモについても伝えていました」と注釈されていた。
 それにしても、NHKニュースというのはそんな目で見られている、ということの証しでもある。実は、ぼくも以前、ほとんど同じ感想を持ったことがある。
 2012年6月29日、原発再稼働に反対する国会周辺での巨大デモ。あれは「紫陽花革命」と呼ばれた10万人を遥かに超える規模だったが、その報道での冷遇ぶりに呆れ返った記憶がある。だから今回も、なるほどと納得してしまったのだ。NHKよ、アンタは偉い!

 3時過ぎころから、雨が少し強くなってきた。それでも続々と人々が押し寄せる。周りの人たちの話によると、日比谷公園にもかなりの人数が集まっているという。後で確認したのだが、警官が「もう国会前には行けません。こちらへ回ってください」と、国会前へ行こうとする人たちを、日比谷へ誘導していたのだという。なるべく国会前のデモを小さく見せようとする、姑息な策略だったに違いない。

 しかし、日比谷公園のほかに、議事堂周辺の国会図書館前や首相官邸前、国会裏の議員会館前、外務省や経産省周辺などの霞が関官庁街一帯も警官隊に阻止されて溢れてしまった人々の波でごった返していたという。いったいどれくらいの人が集まってきたことだろう。
 東京新聞のこちら特報部(9月1日付)に、こう書いてあった。

(略)デモ参加者は、主催者発表で十二万人。一部メディアが報じた警察の推計では三万人だった。デモに詳しい高千穂大の五野井郁夫准教授(政治学)は「実際に行ってみたが、国会前に収まりきらず、警察は周囲の官庁街、日比谷公園などに参加者を誘導していた。体感的には十二万人よりも多かった」と言う。(略)

 ぼくも、かなりの頻度で国会前デモ等に参加している。やはりその実感から言えば、この日の参加者は、日比谷公園や周辺官庁街の人数を合わせれば、とても12万人で収まるはずがないと思う。しかし、なぜこうも参加者人数に開きが出るのか。
 それは、この東京都心に10万人規模の人間が集まれる場所がない、という事情もある。
 大きな公園などが使用可能であれば、そこの収容人数はすぐに分かるから、空撮すれば参加者数など簡単に割り出せる。都心でこういうデモの集合場所にもっとも使われているのが日比谷野外音楽堂。しかしここは4000人ほどしか収容できない。立ち見を入れても5000人がやっと。千駄ヶ谷駅から近い明治公園は数万人が集まれる場所だが、ここは現在、例の新国立競技場建設のために使用禁止。
 ほかには代々木公園ぐらい。しかし、ここから国会を目指すのはかなり距離がある。というわけで、国会へデモの力を見せつけるには、ひたすら議事堂周辺に集まるしかない。
 そこで、警察は何とかして参加者を分散させて、その数を少なく見せようと躍起になる。だから、歩道規制をして直接議事堂へは行けないように遠回りさせたり、今回のように日比谷公園へ押し込めたりするのだ。分散されては、人数を確認できにくい。

 それでも、今回はそんな警備の思惑を超えた人数が集まった。だから、規制線を外して車道を解放せざるを得なかったのだ。それだけ、この「戦争法案」への反対が強かったということだ。
 参加者は、高校生・大学生などの若者たちから、MIDDLEsやOLDsと名乗る中高年たちまでと、その幅はとても広かったが、中でも子ども連れのママや若い夫婦の姿が目についた。安保法案を我が事としてとらえているのがよく分かる。
 しかし、それにも増してぼくの目に焼き付いたのは、車椅子や白杖を持った人の多さだった。普段はあまり声高に訴えたりしない人たちが、ほんとうに「已むに已まれず(やむにやまれず)」参加したのだろう。
 戦争になれば、最初に犠牲になるのは、若者と女性、そして弱者だ。それを肌で感じているからこその参加なのだ。

 ぼくは、雨が強まって来た4時半ごろに、国会前を離れた。帰りの駅に向かう道を、まだまだ参加者が歩いてくる。
 道すがら、かつての会社の同僚にも会えたし、学生時代からの親友の奥さんにも遭遇した。「彼は、お店があるので来られなかったんです」と奥さん。いいよ、彼の分まで声を挙げてくれたんだから。
 会えなかったけれど、マガジン9のスタッフたちも、たくさん参加していたという。ぼくの尊敬するある会社の社長さんも、社員に呼び掛けて一緒に参加していたと、駅でバッタリ会ったそこの社員が教えてくれた。嬉しい話じゃないか。

 「民主主義って何だ!」「これだ!」というSEALDsの叫びが、いまもぼくの耳に残っている…。

 

  

※コメントは承認制です。
43 8月30日、ぼくは国会前へ行った……。」 に2件のコメント

  1. 松宮光興 より:

    私が国会議事堂前駅に着いたのは12時40分頃。改札口へ向かう上りエスカレーターは止められて、歩いて登った。しかし改札口付近は人であふれていた。外へ行く階段が封鎖されていたためだ。20分ほどかかって外に出ると、歩道ナイに閉じ込めようとする鉄柵を移動させまいと警察官が抑えていたので、できるだけ冷静な口調で「駅の中は人があふれて、事故寸前です。死傷者が出たら警察は責任とれますか」と言ったら、数人で相談してから鉄柵の移動を認めた。そこからおびただしい人数が出て、たちまち車道が人で埋まっていった。人並みに押されて議事堂東の道路に行くと、やはり警察官が参加者を歩道に押し込めていたが、車道を歩く人並みに飲み込まれてしまい、すごすごと正門側に退散していった。警察は、歩道からはみ出さないように規制すれば、大半の参加者は諦めて帰ることを期待していたのではないか。3万人というのは、それによる期待数なのか、そうでなければ計数が可能だった1時頃の人数なのだろう。

  2. 宮坂亨 より:

    中央の12万人だけでなくローカルの100万人の動きも伝えて欲しいです。
    ミドルズも視野に入ってはいたようですが何故記事にしないのでしょう?
    「民衆の歌」良いじゃないですか。

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すずき こう

すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)など。マガジン9では「風塵だより」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。

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