風塵だより

 年齢を重ねると時間が早く過ぎていく…と誰かが言っていた。70歳の人の1年は人生の70分の1だけれど、10歳の1年は10分の1だから、だという。なるほど、言われてみればその通り。ぼくの時間も、ほんとうに足早に通り過ぎていく。
 今年も目まぐるしく時は過ぎ、気がつけばもう11月…。
 ノンビリ生きたいと思う。ゆったりと過ごしたいと思う。だけど、なかなかそんなふうには生きられない。なにかに追われるように生きている。毎朝、新聞を開くたびに、それを痛感する。
 ときおり、もう何も見ず何も聞かずに過ごしたい、とも思うけれど、ぼくの性格はどうもそういうふうにはできていないらしい。懲りずにまた紙面に目を走らせている。

 毎日新聞(11月2日付)の「オピニオン・メディア」が、そんなぼくを刺激した。現在の日本という国の状況を映し出している3つの重要な問題が論じられていたからだ。

①琉球新報から [辺野古本体工事着手]
 看過できぬ新「琉球処分」
②元朝日記者の雇用 揺れる北星学園大
 [慰安婦巡る批判警戒]
③原発事故公文書 ネット公開
 NPO「クリアリングハウス」6万ページ

 沖縄と福島、そして、思想表現の危機…。この3つが、現在、ぼくらに突きつけられている、とても重大な問題だと思う。
 ひとつずつ見ていこう。①は、琉球新報編集局長の潮平芳和さんの原稿だ。怒りの言葉で始められている。

 安倍政権の暴政が吹き荒れている。米軍普天間飛行場の沖縄県名護市辺野古への移設に向け、防衛省は10月29日、埋め立て本体工事に着手した。辺野古問題を巡り国と沖縄県の法廷闘争が現実味を帯びる中、工事着手は法治国家にあるまじき強権発動である。断じて容認できない。(略)
 1995年の記憶が脳裏をよぎる。米兵による少女暴行事件を機に、大田昌秀知事(当時)は地位協定改定要求を強め、米軍用地強制使用手続きの代理署名を拒否した。(略)最高裁は強制使用の根拠となる駐留軍用地特別措置法の違憲性や基地過重負担を訴えた県側の主張を門前払いにし、国側全面勝訴の判決を言い渡した。(略)
 戦後の安保政策をふかんすると、この国の三権が安保の運用や米軍駐留にまつわる構造的な「不平等」「不公正」に真剣に向き合ってきたとは到底思えない。本土住民にも本土メディアにも問いたい。この国の平和と繁栄、民主主義が「基地沖縄」を踏み台にして成り立ってきた歴史をご存じだろうか?(略)
 この20年近く、ほとんど「県内移設」「辺野古移設」の一点張りで、県民の求める県外・国外移設、閉鎖・撤去をまともに検討してこなかったのはどこの国の政府か。仲井真弘多前知事が求めた普天間の「5年以内運用停止」を米側にまともに要求しなかったのはどの政府か。(略)こんな不正義を、新たな「琉球処分」を、県民は決して看過しないだろう。(略)

 文章には「安倍政権の暴政」「法治国家にあるまじき強権発動」「琉球処分」と、最大限の強い表現が並ぶ。それほどに、沖縄の人たちの怒りは頂点に達している。ぼくは「デモクラTV」という市民ネットTV局で「沖縄タイムス・新沖縄通信」という番組を、弁護士の升味佐江子さん、沖縄タイムス東京支局の宮城栄作編集部長とともに、毎月1回(最終月曜日の午後8時、その後はアーカイブで常時視聴可能)担当しているが、むろん宮城さんの怒りも相当なものだ。
 その宮城さんの取材を受けて、沖縄タイムス「すばり直言!」(10月20日付)という欄で、ぼくは次のようにコメントした。沖縄タイムスへの直言が欲しいとの趣旨のインタビューだった。

 偏向しているとの批判があるようだが、もっと偏っていい。新聞の第一の役割は権力の監視だ。権力が今、一番むき出しになっている対象が沖縄だ。そういう時に中立、公平などというのは逆におかしい。権力の監視、批判は当たり前で、当然やらなければ新聞の価値がない。沖縄のメディアの役割をきっちり果たしてもらいたい。(略)

 権力の言いなりになり、どこかの放送局のように「アベチャンネル」とか「安倍広報放送」などと揶揄されるよりは、しっかりと「正しい偏向」を貫いてほしいという、ぼくなりのエールだ。
 沖縄の怒りにぼくなりに寄り添うこと、たいしたことはできないけれど、できる限りのことはする。

 ②の元朝日新聞記者・植村隆さんの件も、ないがしろにはできない危険な問題をはらんでいる。
 植村さんがかつて朝日新聞に書いた「従軍慰安婦の記事」が捏造だとして、産経新聞を筆頭に一部のメディアが執拗に批判(というより罵倒)を繰り広げた結果、植村さんが非常勤講師を務める北海道の北星学園大学が、植村さんの来期の雇用を打ち切るかもしれない、という事態に発展している。大学へ「植村を辞めさせなければ、学生に危害を加える」などの脅迫状が寄せられ、警備のために大学側が多額の費用負担を強いられている、という背景がある。しかもそれにとどまらず、植村さんの家族への脅迫も凄まじい。
 だが、ほんとうに植村さんの記事は捏造だったのか。これについては、当の産経新聞のHPに、植村批判の先頭に立った産経・阿比留記者と原川記者と植村さんのほとんど真剣勝負のようなインタビューが掲載されて話題を呼んだ。この記事は「元朝日新聞記者・植村隆氏インタビュー詳報―産経ニュース」と検索すれば、現在でも読むことができる。これを読めば、阿比留記者の完敗であることがよく分かる。植村さんの指摘に、阿比留記者はほとんど有効な反論ができなかった。
 植村さんの果敢な闘いは続いている。そして、その闘いを支えようとする動きも全国へ広がりつつある。

 植村さんの例に限らず、ある考え方に対する批判が少しでもあれば、それが異様な結果をもたらすといった事例が、最近は後を絶たない。
 例えば「SEALDs」と「安全保障関連法に反対する学者の会」の共催によるシンポジウムの会場問題。10月25日に立教大学で開催されるはずだったが、急遽、会場が法政大学に変更された。これは、立教大学総長室の判断で「会合は学術的だが、主催団体の活動からみて政治的な意味を持ちうる」として、会場使用を拒否したことによる。
 学者たちと学生らが安保法制の問題点を「学術的」に議論するということが「政治的」であるとするなら、ほとんどの会合が何らかの「政治的要素」を含むことになるだろう。それらを拒否するなら、大学での事例研究などほぼ不可能になってしまうのではないか。
 大学が、自ら研究や思想、表現の自由をかなぐり捨てて権力に身を売ったと批判されても仕方ないだろう。
 同じようなことが、各地で起きている。丸善ジュンク堂書店渋谷店が開催していた販売促進フェア「自由と民主主義のための必読書50」が、突如、中止になってしまった“事件”もそうだ。同書店の従業員と思われる人のツイッターで「夏の参院選まではうちも闘うと決めました」と書き込んだことに対し、このフェアが偏向しているとの批判が、一部から寄せられたことがきっかけという。なんなんだこれは、と思う。
 こんなことで自主規制するような事例が増えれば、ほんとうに息苦しい世の中になってしまうだろう。
 イヤな事例はまだある。東京都日野市での封筒を巡るアホらしい顛末だ。日野市が市民に配った古い公用封筒に印刷されていた「憲法の理念を守ろう」という文言が黒塗りされていた、という唖然とするような出来事だ。これがネット上で話題となり、日野市の大坪市長は「封筒は古いデザインで、現行型に合わせるためだったが、誤った事務処理で市民のみなさまに誤解を与えた」と、市のHPで釈明した。
 けれどこれでは、なぜ「憲法の理念を守ろう」という文言だけを黒塗りしたのかの説明にはなっていない。他の部分は消さずに、なぜ「憲法」の部分だけだったのか?
 結局、担当者が「最近は、憲法についてのことはどうも危ないらしい。消してしまおう」と自主規制に走ったというのが真相ではないか。むろん、この担当者は「日本国憲法第99条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」という条文など読んだこともないのだろう。それとも日野市の担当者は、公務員ではなかったとでも言うつもりか。
 しかし考えてみれば、安倍首相以下、現在の閣僚や自民公明の政治家たちが憲法を踏みにじり続けているわけだから、日野市の公務員が「オレだって」と思ったとしても仕方ないか。
 なんとも哀しい国になってしまった…。

 ③は、原発についての貴重な情報公開の報告である。懸命に事故原因の解明を行おうと苦闘している人たちがいる。ここで紹介されているNPO法人「情報公開クリアリングハウス」もそのひとつ。まさに頭が下がる活動だ。記事を紹介しよう。
 

(略)「クリアリングハウス」は、東京電力福島第1原発事故について情報公開請求で入手した公文書約6万ページをインターネット上にまとめて公開している。「福島原発事故情報公開アーカイブ」と名付け、事故対応の経過や責任を将来にわたって検証することを目指す。研究者やジャーナリストらに公文書の提供を呼びかけ、中身を充実させていくとしている。
 7月に公開したアーカイブは、政府・東電統合対策室の会議録やメモなどの政府文書、福島県の県民健康(管理)調査を実施する福島県立医大内の会議資料をはじめとする自治体文書など、約3000件をPDFファイルにして収録している。検索画面に、文書を作成した行政機関名と「除染」「甲状腺」などのキーワードを入力すると、関連文書一覧が表示される。
 クリアリングハウス理事長の三木由希子さんが、2011年の事故発生直後から準備を進めてきた。①事故の最終的な収束が見通せない ②放射性物質による健康被害は表面化するまで時間がかかる ③因果関係を巡る論争が激しい―ことを受けて、被災者やジャーナリスト、専門家らが必要な公文書をいつでも閲覧、分析、検証できる仕組みを作る必要があると考えたという。(略)

 ぼくもさっそくアクセスしてみた。これは凄い。これまで探すのに苦労していた資料がほとんど入手できる。こんな素晴らしい仕事をしている方たちがいるのだから、世の中捨てたものじゃない。
 なお、この記事を書いた日野行介記者は、ぼくの尊敬するジャーナリストのおひとり。今月末の「デモクラTV・原発耕談」で、日野さんをゲストにお招きして、著書『福島原発事故 県民健康管理調査の闇』『福島原発事故 被災者支援政策の欺瞞』(いずれも岩波新書)についてじっくりお話を伺う予定だ。

 確かに、世の中は息苦しい。だが、いろいろな形での「反撃の態勢」は整いつつある。
 11月3日午後1時の、澤地久枝さんの呼びかけによる「アベ政治を許さない」(金子兜太さんの書)のプラカードをあらゆる場所で一斉に掲げるというイベントには、全国各地でいったいどのくらいの人が参加したか分からないほどだったという。
 ぼくも、地元でのスタンディングに参加した。

 

  

←「マガジン9」トップページへ   このページのアタマへ↑

マガジン9

すずき こう

すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)など。マガジン9では「風塵だより」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。

最新10title : 風塵だより

Featuring Top 10/114 of 風塵だより

マガ9のコンテンツ

カテゴリー