風塵だより

 前にも触れたけれど、このところ「護憲的改憲論」ないし「平和主義的改憲論」とでも呼ぶべき議論が、有力な論者からしきりに発信されている。東京新聞(10月14日)に続いて、朝日新聞(11月10日)も「文芸・文化」欄で、この議論を取り上げている。以下のような内容だ。

「新9条」相次ぐ提案 憲法論議に第三の視点
在日米軍・PKO 規制強化 伊勢崎賢治さん
自衛隊認め 日米関係は重視 田原総一朗さん
同盟は米国とではなく国連と 加藤典洋さん
集団的自衛権の禁止を明記 想田和弘さん

 そしてこの記事は、次のようにまとめる。

(略)憲法論議は、「平和国家」の根幹を形づくってきた規定は維持し続けるべきだという護憲派と、「防衛軍」などを規定して「普通の国」にしようとする改憲派の間で主に繰り広げられてきた。第三の選択肢ともいえる新9条案は、憲法を改めて考える契機になりそうだ。

 つまり、「護憲的改憲論」は、従来の「護憲」vs.「改憲」ではない「第3の選択肢」であると認識され始めたということのようだ。確かに各氏の提案を読んでみると、「護憲派」であるぼくにとっても、中身としては納得できるものが多い。
 この記事で取り上げられている想田和弘さんの論考は、「マガジン9」連載のコラム「観察する日々 No.32 憲法9条の死と再生」(9月16日)からの引用で、かなり踏み込んだ内容だったこともあり、多くの論争を呼んだ。
 それらの論者の言うような「護憲的改憲案」は、例えば、凄まじいほど非民主的な「自民党改憲案」への有力な対案にはなるだろう。だからぼくは、それらを「一切の改憲をしてはならない」というような形で否定しようとは思わない。
 けれど、ぼくにはどうしても違和感が残るのだ。それでほんとうに「抜本的解決」になるのだろうか…と。

 前に書いたこと(「風塵だより」51)の繰り返しになるけれど、どんなにきちんとした「歯止め」になる「新憲法の条文」を制定したところで、安倍晋三首相のような極右が政権を担うことになれば、そんなものはすぐに踏みにじられるだろう。彼らが、どんなところからどんな奇妙なリクツを持ち出したか、少し思い返せば分かるはずだ。
 集団的自衛権行使の解釈を巡って、どう考えても論理に合わない「砂川事件の最高裁判決」を持ち出してムリヤリ安保法制を押し通したではないか。沖縄県名護市辺野古の米軍新基地建設では、「国が一私人である」という、まるでアクロバットのようなリクツを使って行政不服審査法を悪用し、翁長知事の決定を覆してしまったではないか。
 しかも安倍内閣は、それらに対する批判には「選挙で議会の多数を占めたのだから、多数決で物事を決めていくのは民意を反映している。それが民主主義というものだ」というリクツを滔々と述べ立てる。まさに、民主主義の歪曲というしかない。
 「民主主義とは、少数意見をどれだけ尊重するかにかかっている」という「代議制民主主義の根本」を、まったく理解していない。とくに「砂川判決」では「書いていないこと」を持ち出して「書いていないからできる」という途方もないヘリクツを編み出した。「書いていないからできる」となれば、できないことはない。
 このヘリクツに対抗するには、あらゆることを事細かく「憲法条文」に書き込むしかない。なにしろ「書いていないからできる」のだから「すべてを書き込んである憲法条文」しか対抗措置はない。
 どう考えても、不可能である。
 
 「護憲的改憲案」の提案に、さまざまな論者がさまざまな意見を寄せて「百家争鳴」状態になることは、とても大切なことだと思う。そのことに反対するつもりなど、ぼくにはまったくない。けれど、その前にやることがある、いや、やらなくてはならないことがある、とぼくは思うのだ。それが早急な「選挙制度改革」ではないか。

 これも以前の「風塵だより49」で書いたことなのだが、現在の安倍政権は、ほんとうに前回衆院選挙で圧倒的な勝利を収めたのか? 
 そうではない。またも繰り返しで恐縮だが、比例代表のみに限ってみれば、安倍自民党は33%の票しか獲得していない。小選挙区でも得票率は48%に過ぎない。それなのになぜか、76%という圧倒的多数の議席を獲得してしまったのだ。おかしいではないか。
 半分にも満たない得票率の、実は少数政党でしかないはずの安倍自民党が、議席数にモノを言わせて、本来なら通してはならない「戦争法」や「原発再稼働」「沖縄基地建設」などを、次々と強圧的に推し進めていく。これが彼らの言う民主主義だ。許せない。ぼくが金子兜太さんの書「アベ政治を許さない」のポスターを掲げる理由だ。

 どんな立派な「歯止めの条文」を新憲法に書き込んだところで、現在の選挙制度であれば、また同じような「極右政権」が誕生しかねないし、安倍もどきの極右政権が、リクツにもならないヘリクツで「新憲法」を歪んだ解釈で壊してしまうだろう。

 現行の選挙制度は、中選挙区制度につきものだった(特に自民党内の)派閥政治による金権腐敗を打破し、政権交代を可能にして政治の活性化を図る(2大政党制の実現)という目的を掲げて作られたものだった(1994年)。だが、それが機能しなくなっているのが現実だ。
 自民党内の「派閥打破」はある程度実現しかけたかもしれないが、それが逆に首相官邸の意向には誰も逆らえないという現状を生み出してしまった。候補者選定の実権を官邸が完全掌握してしまったのだから、小選挙区で生き残るためには、まず安倍官邸から候補者認定のお墨付きをもらわなければならない。つまり、安倍個人には絶対に逆らえなくなってしまった。
 今回の総裁選において、自民党の全派閥が雪崩を打って安倍再選支持を表明したのは、そういう事情による。ここで逆らえば、次回選挙で自派閥議員たちが党の公認を得られなくなる。小選挙区で公認をもらえず、逆に安倍官邸から刺客公認候補でも立てられたら、完全にアウトだ。民主主義どころか、独裁政治の様相を強めているのはそのせいだ。

 だから、そんな制度は変えなくてはならない。
 まずは小選挙区制の撤廃、ないしは縮小の方向性をはっきりさせることだ。そこで、ぼくの大雑把な提案を記しておきたい。とりあえず、現行の衆議院選挙制度に限って論を進める。

 現行では、小選挙区制(各選挙区から1名のみの当選者)295議席、比例代表制180議席、合計475議席が配分されている(注・前々回までは総数480議席だったが、1票の格差是正という名目で小選挙区が0増5減され、300議席から295議席へ減らされた)。
 総議席数をあまり変えないという前提であれば、最低限、この選挙区と比例区を逆転させるべきだろう。ぼく自身は、比例代表制に統一すべきだと考えているが、過渡的措置として、小選挙区・比例代表の議席数逆転を第一歩とするのもいいかもしれない。
 選挙区の改定については、まず小選挙区制の廃止。各県を1選挙区として、人口に応じて各県に2~8の議席を定数180の範囲内で配分する。それでも1票の大きな格差が生じるようであれば、2県を合区することも考慮しなければならない。前回の衆院選挙で見れば、圧倒的に「死に票」が多い小選挙区制は、民意のほぼ半分を切り捨ててしまった。それを是正する措置が、当然ながら必要なはずだ。
 次に、比例代表を現行の180から300議席に増やす。選挙区・比例区を併せて定数480議席に戻す。
 つまり、選挙区は中選挙区で定数180、比例代表は定数300と、現行とは反対の議席配分にするということだ。比例については全国区とするか、現行のように全国を11選挙区に分けるかは、議論が割れるところだ。
 比例に関しては現行のドント式を採用するが、復活当選という妙な制度は廃止する。つまり、選挙区と比例区への同時記載は認めない。(注・こうすれば、例えば今回の沖縄での落選自民党候補のゾンビ当選者は全員いなくなるということになる)。

 これらのことを行うためには、以下のような制度の改定も含まれなければならない。

•現行の供託金の大幅引き下げ

 世界で例を見ない高額な供託金制度は、立候補する人の範囲を大幅に狭めていると言っていい。現在の衆院選では、300万円が供託金であり、有効投票数の10分の1以下の得票であれば全額没収される。選挙運動費のほかに300万円もの資金が必要であるという制度は、個人の自由な政治参加という民主主義の原則を逸脱している。供託金は10万円とする!

•選挙法の抜本改正

 政党支部がそのまま候補者の事務所と化している現状は、明らかに選挙資金の隠し場所、流用先になっている。現在問題視されている高木毅復興担当相などは、まさにこのシステムを悪用している。それを支部の問題にすり替えて逃げることが法の隙間利用であることは疑いない。したがって、政党支部は選挙候補者が使用してはならないことを明記する。
 また、島尻あい子沖縄担当相のように、選挙民への贈り物に自身のカレンダーなどを使うことは、一切認めない。露見した時点で、候補者資格の取り消しを所属政党に義務づけなければならない。

•SNSの一層の解禁

 これだけネットが普及している以上、それを使うことへの理解をもっと深めなければならない。そこでの運動形態をきちんと規約化する必要があろう。むろん、なりすましや根拠のない誹謗中傷に関しては、プロバイダー等の責任の所在も明確にしておくことが肝要だ。「落選運動」などを認めることも視野に入れなければならないが、その際の行き過ぎなどをどう防ぐのかは、早急に論議を深めなければならない。

 他にもたくさんの解決・改革すべき点はあるが、長くなりすぎるので、今回はここまでにとどめる。
 上に掲げた「改革私案」はまことに大雑把であって、とてもすんなりとは納得してもらえないだろう。だから、多くの人たちがこの議論に参加して、真に民意を反映できる「選挙制度」を創り上げることを切に願う。

 「新9条」=「護憲的改憲」の論議はどんどんやればいいけれど、現行の選挙制度をほったらかしにしておけば、今の安倍内閣のような強権政府がまた出現しかねない。そんな政府の下での「改憲論議」は、危なっかしくて仕方ない。せめて、国会がほんとうに民意に近い議席構成になった暁に、その「護憲的改憲案」に国民的議論が沸騰することこそが、ぼくは本来の意味での「民主主義」だと思う。

 もし「国民投票」をいうのなら、「改憲」より先に、まず「選挙制度改革」を取り上げて国民投票に付すべきではないだろうか…?

 

  

※コメントは承認制です。
53 「護憲的改憲」の前に
まず「選挙制度改革」を
」 に3件のコメント

  1. くるりん より:

    比例代表制の拡大は、反対です。少数しか当選させられなかった政党が大きな力を持ちうるからです。
    比例代表制を主とする制度のもとでは、単独過半数を獲得するのは難しいです。また、少数の意見を代表する政党がある程度の議席を確保することが可能です。このため、選挙後の連立協議において、例えば過半数あるいは多数まであと数議席とする勢力が拮抗した場合、少数政党の動向によって政権の枠組みが決まる可能性があります。
    もちろん、日本共産党を迎えることによって過半数をえて、同党の意向が政権の意思決定に反映される可能性もあります。しかし、逆に極右政党(維新の会の後継や、田母神新党など)がキャスティングボートを握る可能性も考えないといけません。イスラエル議会は比例代表制をとっているため、右派宗教政党が議席数に比して大きな力を持っていることが問題になっています。

    供託金の水準についても反対です。日本の現行の選挙制度においては候補者への補助が充実しているので、あまり下げると当選する気のない候補者が補助を受け取って儲ける可能性が出てくるからです。この辺りは名古屋大・大屋先生の論考をご覧いただければ。
    http://www.axis-cafe.net/weblog/t-ohya/archives/000881.html

    釈迦に説法ではありますが、制度は思った通りには働くものではなく、書かれているとおりに働くものですので、さまざまな可能性を考えないとかえって痛い目に会うと考えます。

  2. より:

     「護憲的改憲論」批判については大いに賛同します。憲法53条さえ正面から踏み潰す手合いを相手にしているという、リアリティを彼らは欠いています。
     しかし、重複立候補・比例復活について誤解したままなんですね。重複立候補を禁じるとこれまでよりも多くの候補者を集めなければならないので、自民のような大政党には都合が良く、供託金を減らしてさえ金と人の乏しい小政党は不利になります。復活当選は、比例区のその党における当選順位を小選挙区の惜敗率で決めているだけのことです。重複立候補した保坂展人さんのような優れた議員が比例のハイテイでツモったり、振込みで上がったときには鈴木さんも喜んだんじゃないですか?比例復活を無くせば、選挙区で落ちたお気に入りの実力議員はそのまま浪人になるしかないので、鈴木さんはその時きっと面白くない気持ちになるでしょう。
     まあ、8人区で落ちた候補に復活が必要かといったら、せいぜい”どっちでもいい”とは思いますけど。

  3. そのさらに前に、前原さんと江田さんの悪巧みを止めないとまずいでしょ。あれ明らかに護憲の野党連合潰し!

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すずき こう

すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)など。マガジン9では「風塵だより」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。

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