風塵だより

 当初は「熊本地震」と名付けられた巨大災害だが、もう熊本だけではおさまらなくなった。4月14日の本震と思われていた地震が実は前震であり、本震は16日未明に襲ってきた。
 凄まじい連続破壊。その広がりは、まだとても予測できない。しかも、これで収束へ向かうのかどうかも分からない。天下の名城と謳われた熊本城すら崩れかけている。

 テレビ映像を見ながら、ぼくは思い出す。
 1995年1月17日火曜日、阪神淡路大震災。
 あのとき、ぼくはある週刊誌の編集長を務めていた。前日の酒の入った打ち合わせがたたって、9時ごろまで寝ていたのだが「あなた、大変よ」というカミさんに起こされた。テレビ映像で見たのは、横ざまに崩れ落ちた高速道路の橋桁だった。ぼくは「うおっ!」と唸って、あとは絶句してしまったのを憶えている。
 すぐに出かけた編集部は、てんやわんやだった。普段は昼過ぎにならないとスタッフも集まらず閑散としている編集部が、いつにない活気(?)でざわめいていた。
 それからの数日は、ほとんどわけが分からなかった。ぼく自身、雑誌経験は長かったが、こんな大災害に遭遇したのは初めてだったのだ。京都に取材に出かけていて連絡がとれない部員がいるとか、さっそく被災地へ取材に出かけたのはいいが名古屋で立ち往生、などという連絡が入って来る。スタッフが、やっと大阪に入ることができたのは翌日。だが、そこから動きがとれない…という電話が入る。
 別班のチームは、まず四国へ飛行機で入って、そこから何とか神戸入りを目指す。とにかく、編集部から何人が被災地に向かっているかも分からなくなるほどの大混乱。大阪や神戸在住のフリージャーナリストやカメラマンに何とか連絡を取ってレポートを頼む…。
 何しろ20年以上も前のこと、携帯電話もまだ普及せず(総務部に数台のデカイ携帯電話がやっと入ったばかりだったという記憶がある。そんな時代だったのだ)、現在のようなネット連絡もままならない。いったいどうやって記事を作ったのか、いま考えれば不思議な気がする。テレビ映像と公衆電話からのスタッフの連絡が主だった。ぼくはそれから数日、ほとんど編集部に張り付きっぱなしだった。
 多分いま、ぼくの古巣の編集部は、あのときとそう変わらない喧騒の中にあるだろう。
 ただ、今回の「熊本・大分大地震」が「阪神淡路大震災」の報道と決定的に違う点がふたつある。「原発」と「憲法」である。

「原発」をめぐる問題

 ぼくはそれ以前に、何度も雑誌で「原発特集」を組んだ。しかし、阪神淡路大震災の時には、原発はまったく頭に浮かばなかった。特集記事で多少は原発に関心を持っていたとはいえ、ぼく自身もやはり「安全神話」に洗脳されていたのだろう。多分、あの週刊誌の阪神淡路大震災の記事の中で、原発に言及しているものは皆無だと思う。また、読者からも「原発はどうした?」という声はまったく届かなかった。
 だが今回は違う。現在の日本で稼働中なのは、鹿児島県の川内原発だけだ。しかも、この2基は今回の地震の震源となった活断層の南西側の延長線上にある。さっそく、川内原発を一旦停止して点検をすべきだ、という声が挙がったのは当然のことだろう。
 しかも、川内原発に関しては、その再稼働への道筋にもかなりの疑問が持たれ批判を浴びていたのだからなおさらだ。

 主な批判点はふたつあった。
 福島第一原発事故の際、最後の砦となって事故に対処できたのは「免震重要棟」という施設だった。原子力規制委員会もそれは認識していた。だから再稼働の際には「免震重要棟」の建設を九州電力に求めたのだ。ところが九電側はそれを無視。「他の施設で代替できる」として、免震重要棟の建設を行わないまま再稼働へ突っ走った。開き直りと言うしかない。
 結局、規制委も、うやむやのうちに再稼働を認めてしまった。安倍首相は口を開けば自動人形のように「世界一厳しい安全規制基準」と繰り返すが、そんな重要な施設もない基準のどこが「世界一厳しい」のか?
 激しい批判を浴びることになったのは当然だった。

 ふたつ目の問題は、避難計画のずさんさだ。
 どんなに厳しい基準があろうが、どれほど最新鋭の設備であろうが(川内原発の場合、最新鋭などとはとても言えないが)、全能の神ならぬ人間が運転に携わる限り、事故は必ず起きるのだ。
 これまでの数多くの原発事故の原因のほとんどが「人為ミス」であったというのは隠しようのない事実である。しかも、それを徹底的に隠蔽するのが電力会社の習性だということは、東京電力を見ていれば、悲しいほどよく分かるではないか。
 もし過酷事故が起きた場合、住民はどうやって逃げるのか?
 福島事故の際の、道路や鉄道の寸断、車列の大渋滞などを思い起こせば、住民避難計画策定は、再稼働の最低限の条件でなければならない。ところが、九電と地元自治体、政府が関わった避難計画は、呆れるほどのずさんなものだった。そして、今回の大地震でその計画のひどさが、余すところなく露呈してしまったのだ。
 九電と鹿児島県や薩摩川内市などは、事故の際は、周辺のバス会社と契約して、住民避難に民間バスを利用するなどとしていた。それには、道路事情や在来線や新幹線の運行が必須条件となる。だが、道路がひび割れ波打ち、高速道路は寸断、さらに在来線も九州新幹線も脱線で動かなくなった。この状況の中で、どうやって原発事故から住民を避難させられるというのか。
 つまり、川内原発再稼働の条件ともいえる「原発事故避難計画」というものが「絵に描いた餅」でしかなかったことを、この大地震がいみじくも教えてくれたのだ。
 こんな証拠を見せつけられてもなお、政府や電力会社は「原発は安全、免震重要棟がなくても安全性に瑕疵はなく、事故の避難計画は万全」などと言い続けるのだろうか。
 安倍内閣の大番頭の菅義偉官房長官は、地震についての記者会見で「川内原発、玄海原発、それにえーと…イヨク原発…については、異常はありません」と発言してしまった。それがバッチリ映像に残っている。イヨク原発ってどこだ?
 どうも、伊方原発を言い間違えたらしいが、呆れて言葉もない。今回の地震の震源でもある中央構造線という断層帯の線上に伊方原発が位置している、危なくないのか…と、かなり話題になっている原発の名前を、安倍内閣の中枢中の中枢・官房長官が知らない。冗談じゃ済まされない!
 かつて、川内原発を「カワウチ原発」と言って物議をかもした宮沢洋一経産相という方もいたけれど、そんな連中が大臣なのだから、まともな原発行政など、期待するほうが無理なのかもしれないのだが。

出た!「緊急事態条項」という妖怪が!

 今度の大地震では「憲法問題」も浮上した。安倍政権が画策する「緊急事態条項」についてである。
 日経新聞が16日に次のような記事をネット配信した。

緊急事態条項「極めて重い課題」
熊本地震で菅官房長官

 菅義偉官房長官は15日の記者会見で、熊本地震に関連し、大災害時などの対応を定める緊急事態条項を憲法改正で新設することについて「極めて重く大切な課題だ」と述べた。「憲法改正は国民の理解と議論の深まりが極めて重要だ」とも語り、慎重に検討すべきだとの立場を示した。
 自民党は野党時代にまとめた憲法草案で、緊急事態条項の新設を明記している。

 おお、またも菅官房長官か。さっそく出てきたな、とぼくは思った。
 何でも自分たちに都合よく利用する安倍政権だから、こんな大災害の時には、必ずそれを「改憲」の名目に使ってくるだろうと思っていたが、まさにその通り。まったく分かりやすい政権である。大災害の場合は、権力を総理大臣に集中させる必要がある、というリクツで、ある種の「独裁的状況」を作りだそうというわけだ。
 では、この記事に言う「自民党が野党時代にまとめた憲法草案」の中で「緊急事態条項」はどのように位置づけられているかを見てみよう。
 「日本国憲法改正草案」(自由民主党 平成二十四年四月二十七日決定)とされる文章の中に、それはある(むろん、現行憲法の中に、そんな条項はない)。

第九章 緊急事態
(緊急事態の宣言)

第九十八条 内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等の大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる。
2 緊急事態の宣言は、法律の定めるところにより、事前又は事後に国会の承認を得なければならない。
3 内閣総理大臣は、前項の場合において不承認の議決があったとき、国会が緊急事態の宣言を解除すべき旨を議決したとき、又は事態の推移により当該宣言を継続する必要がないと認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、当該宣言を速やかに解除しなければならない。また、百日を超えて緊急事態の宣言を継続しようとするときは、百日を超えるごとに、事前に国会の承認を得なければならない。
4(略)

(緊急事態の宣言の効果)
第九十九条 緊急事態の宣言が発せられたときは、法律の定めるところにより、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができるほか、内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い、地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる。
2 前項の政令の制定及び処分については、法律の定めるところにより、事後に国会の承認を得なければならない。
3 緊急事態の宣言が発せられた場合には、何人も、法律の定めるところにより、当該宣言に係る事態において国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる国その他公の機関の指示に従わなければならない。この場合においても、第十四条、第十八条、第十九条、第二十一条その他の基本的人権に関する規定は、最大限に尊重されなければならない。
4 緊急事態の宣言が発せられた場合においては、法律の定めるところにより、その宣言が効力を有する期間、衆議院は解散されないものとし、両議院の議員の任期及びその選挙期日の特例を設けることができる。

 長くなってしまったが、じっくり読んでみてほしい。読みにくい文章だけれど、読めば読むほど、この条項が恐ろしい意味を持っていることに気がつかれると思う。
 話は逸れるが、これを作ったのは「現行憲法の文章は古臭い」と批判する連中だ。だが、こちらのほうがよっぽど古臭い。「大日本帝国憲法」並みの旧態依然とした文章ではないか。
 98条の1「特に必要があると認めるとき」の、認める、の主語は内閣総理大臣である。つまり、首相が「こりゃ緊急事態だな」と判断すれば、閣議にかけて宣言できるのだ。しかも、98条の2では、この宣言の国会承認は「事後」でもいいとされる。まず宣言ありき、なのだ。
 宣言してしまえば、99条の1により「法律と同一の効力を有する政令」が制定できる。国会審議も何もなく、法律と同じものを内閣で勝手に決められるのだ。秘密保持指定でも、令状なしでの捜査でも、ときには逮捕でさえ勝手にできる。さらに、財政上の支出も国会審議なしで首相の思いのままだし、地方自治体の首長権限を首相が取り上げることも可能だ。それこそ「国民総動員令」だって不可能じゃない。
 99条の2、こんな恐ろしい政令制定も、国会での承認は「事後」でいい。作ってしまえばこっちのもん…。
 そして3では「国その他公の機関の指示に従わなければならない」。国民はすべて、国家の命令に従属させられることになる。一応は「国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる」とのエクスキューズはついているものの、国家が一人ひとりの国民のことを思いやってくれるとは、とうてい思えない。
 さらに、国会議員の任期でさえ、首相の思惑で左右される。例えば参議院議員選挙は3年に一度行われ、そのたびに国民は1票を投じることによって、最低限の意思表示の権利を持つはずだが、その権利すら圧倒的な権力を持つ首相によって否定されてしまうのだ。
 条文に繰り返し出てくるように、これらは「法律の定めるところ」で規定される。しかし、実際はすでに法律はあるのだ。例えば、早稲田大学で開かれた集会では、こんな発言もあった(朝日新聞18日付)。


 長谷部恭男・早大教授(憲法)は「熊本の地震で緊急事態条項を加える改憲が必要との声が上がるが、災害対策基本法などがあり、対応するための措置はできている」と指摘。

 つまり「緊急事態条項」で改憲などをしなくても、実際に有効な法律はすでに整っているということだ。

 安倍内閣の「この機に乗じて」というやり方は、まだある。例えば「米軍のオスプレイで物資輸送を行う」と、米軍支援を受け入れる方針だという。だがなぜオスプレイなのか。
 軍事ジャーナリストの田岡俊次さんは「大災害時には、オスプレイを使うより、自衛隊が保有している輸送用ヘリを使うほうがずっと効率的。山間部などではオスプレイはむしろ危険性が高い」と指摘している。
 沖縄・普天間基地周辺住民の反オスプレイ運動を弱め、自衛隊のオスプレイ導入へ向けた、あからさまなパフォーマンスであることは自明だろう。

 まだまだ言いたいことは山ほどあるが、長くなるのでここまでとする。
 とにかく「緊急事態条項」が恐ろしい代物だということだけは、分かってもらいたい。今回の大地震を利用して、この条項を「改憲」の目玉にしようというのが安倍内閣のやり口だ。

 気がついたら、まともにものも言えない社会になっていた…なんてことには絶対にしたくない。

 実は今回のこのコラム、憲法改定のための「国民投票法」について、ある方からの示唆を受けて書こうと思っていたのだが、この大地震と、それにまつわる問題、避けては通れないと思った。
 国民投票法については、来週にコラムで書こうと思う。

 テレビ画面を見るたび、心が痛む。
 亡くなった方、傷ついた方、家を失った方たちへ、心からの哀悼とお見舞いの言葉を…。
 そして、ぼくにできること。少しだけれど募金しよう。

 

  

※コメントは承認制です。
72 大地震と原発と憲法と…」 に2件のコメント

  1. 7.1 より:

     ”住民避難に民間バスを利用”ですが、会社と県の細則で運転手に1mSv以上の被爆が見込まれる場合は実施しません。0.5mSv/時以上が避難決定の基準なので道路事情等を考えると会社は避難バスを出せないでしょうね。従業員を護る会社に非はありません。組合も頑張ったのでしょうし、避難・疎開ではなく教職員による”自発的な”除染などを美談にした日教組(本部)に比して遥かに正しい。
     悪いのは県で、使えもしない”見せ金”で地域住民を引っ掛けたということです。まあ、騙される側にも罪はありますが。この細則はサラリとだけ報道されて何を意味するかは伝えなかったメディア幹部と記者の罪も重いです。

  2. 7.1 より:

    >「米軍のオスプレイで物資輸送を行う」と、米軍支援を受け入れる
     米海兵隊のサイトにはハッキリと、安倍”日本政府の要請”でオスプレイを出したことが記されている模様。
    理由は色々あるけど、佐賀空港への自衛隊のオスプレイ受け入れ促進に向けたマヌーバーの意味もあるようで。米軍は許せないが自衛隊のオスプレイならOKという人びとが3分の2くらいいるそうで、ダメ押しみたい。
     距離も短いので自衛隊のヘリを活用したほうが小回りも利くし量も運べたようですね。

←「マガジン9」トップページへ   このページのアタマへ↑

マガジン9

すずき こう

すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)など。マガジン9では「風塵だより」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。

最新10title : 風塵だより

Featuring Top 10/114 of 風塵だより

マガ9のコンテンツ

カテゴリー