風塵だより

 時代を表す言葉というのがある。たとえば、古くは「戦後は終わった」「高度成長期」などと右肩上がりを謳歌し、ついには国全体が浮かれまくった「バブルの時代」、その反動の「失われた10年」などなど…。
 1995年、「地下鉄サリン事件」などでオウム真理教が世を震撼させたとき、巷では「サリンな時代」などという言葉が流行った。
 その例に因めば、いまこの国は「ヘイトな気分」という生臭い風に覆われているのではないだろうか。いや「この国」ばかりではなく、世界に「ヘイトな気分」が蔓延していると思える。誰かに向けられる、憎悪…。
 
 米大統領候補のトランプ氏の「メキシコ国境に断絶の壁を!」という異様で不快な叫びが、多くの支持を得てしまっているアメリカだけではなく、欧州各国でも「移民排斥」「異民族排除」「愛国心鼓舞」を高らかに叫ぶ政治家や政党に支持が集まっている。
 それは「不寛容」から「異端排除」へ、遂には「弾圧」と「粛清」に進みかねない危うさを内包している。街にあふれるヘイトスピーチ。それに煽られた一部の人たちが犯すヘイトクライム(憎悪犯罪)。
 日本でも、日の丸を振りかざして街を行くヘイトデモの一群は、明らかにそんな風潮に同調している。
 
 7月26日未明、神奈川県相模原市の障がい者施設で起きた惨劇は、ナチスの優生思想の実現を目指したヘイトクライムそのものだ。
 容疑者は「ヒトラーが自分に降りてきた」と言ったという。SNSなど、巷に溢れかえっているヘイトスピーチに影響されたのかもしれない。それが嵩じて「役立たない者は抹殺すべきだ」という、ナチスの主張に行きついてしまったのか。
 ヘイトデモに時折、見え隠れする「カギ十字」の旗は、ナチス・ヒトラーへの親近感を、そのまま表現したものにほかならない。つまり「ヘイトな気分」を公にするのは、一部の人たちにとってはいまや恥ずかしいことでも何でもなく、むしろ誇るべきことになっている。容疑者は、それにそのまま乗ってしまった…。
 もっと言えば、彼は、自分の考えを安倍首相なら分かってくれる、と思い込んでいたフシもある。彼が衆院議長公邸に持参した「嘆願書」(?)には、ぜひ安倍首相に届けて読んでいただきたい、ともあった。彼の頭の中では、自分のリクツが、この国の方向と同じだ、と思っていたのだろう。
 「ヘイトな気分」は、我々の国でも、もはや特別なものではなくなってしまったのだ。
 だが、ここで大事なのは、容疑者を「特別な人間」「異常者」「頭がおかしくなった者」と、簡単に片づけることはできないということだ。
 彼は彼なりの「論理」を組み立てた。それはむろん、間違いもはなはだしいリクツに過ぎない。だがかつて、ドイツはこの「異常なリクツ」に国全体が巻き込まれたのだ。最初は、数%の票しか獲得できなかったナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)が、その過激な主張で次第に支持者を増やし、“民主的に”政権を奪ったというのが、紛れもない歴史である。
 現在、この国を席巻しつつあるエスノセントリズム(自民族中心主義)は、実にナチスの優生思想(ゲルマン民族優越主義)に酷似し始めていると、ぼくは思う。
 「自民党のネット応援部隊が『植松容疑者の主張は間違っていない』『障がい者は死んだほうがいい』と障がい者ヘイト!」(ウェブサイト[LITERA]より)などという現象も起きている。
 ぼくたちに必要なのは、容疑者や彼を支持する連中のリクツを、きちんと論理でもって打破していくことだ。彼らを「理解不能な異常者」と決めつけて、マスメディアの常套句「心の闇」の中に葬ってはいけない。どこがおかしいか、何が間違っているか、人間の命とは何か、ナチス思想の誤謬を、徹底的に論破して、彼らをそこから救い上げなければならない。
 
 ネット上だけではない。現実に物理的な現象として、ひどい「ヘイト」が起きている地域がある。
 先週も少し触れたけれど、沖縄県東村高江での機動隊による反対派への凄まじいばかりの暴力は「国家のため」との名目で、「沖縄の人たちの『日本国憲法』の下での普通に生きる権利」を一切認めないという、まさに「不寛容」を絵にかいたような所業である。ここでは言葉としての「ヘイト」が、肉体を痛めつけるという物理現象として、立ち現われている。
 しかも、反対をとなえる人たちに対するSNS上での罵詈雑言罵声悪口罵倒揶揄差別は、日を追って激しくなる。それは、口にするのもおぞましい汚語の洪水だ。発する連中の頭の中には、汚穢がつまっている。人を差別することに喜びを見出す思考の歪み。
 だが、そんな連中の薄汚れた発想の裏に、それを煽り立てる一群の政治家や知識人と称する連中がいることを忘れてはならない。そして、そのことを告発しないジャーナリズム(特にテレビ報道)の劣化が、この傾向に拍車をかけている。
 
 テレビではかなり頑張っている番組だとぼくも思うTBS「報道特集」は、ヘイトクライムを取り上げる中で、ヘイトデモの動画を流していた。そのことは正しいだろう。けれど、その火付け役ともいうべき政治家たち(それも、大手を振ってエラそうに存在する)にはまったく触れなかった。ヘイトデモの連中と政治家たちのどちらがより犯罪的か。
 
 例えば、かの石原慎太郎は何を言ったか。1999年、府中市(ぼくの住んでいるところだ!)の障がい者施設を訪れた際、なんと言ったか。「ああいう人ってのは人格があるのかね」と口走り、さらには「ああいう問題って安楽死なんかにつながるんじゃないかという気がする」と、ほとんどヒトラーばりの大妄言を吐いた。
 何もそんな昔のことじゃなくても、例ならいっぱいある。
 なぜかいつもそっくり返っている麻生太郎財務大臣の妄言もすさまじい。今年6月、高齢者について「90歳になって老後が心配? いつまで生きるつもりなんだよ」だと。まあ、麻生太郎といえば暴言失言のチャンピオンのような男だが、2008年には「たらたら飲んで食って、何もしねえヤツの医療費をなんでオレが払わなきゃならないんだ」などとも言っている。働けなくなり、保険に頼って病院通いしている人を揶揄したのだ。
 金持ちだから、そんな心配をしたことがないのだろうが、どう考えても弱者を排除したがっているとしか思えない。「国家財政を考えれば、生産力のない人間は、早々にこの世から退場してくれ」という考えなのだ。
 どうだろう、似ていないか、あの相模原事件の容疑者の言い分に?
 
 小池百合子氏が、圧倒的な票差をつけて東京都知事に当選した。満面の笑みの小池氏が、この先、どんな都政を行うのかは分からない。けれど、彼女が弱いもののための政治をしてくれるとは、ぼくにはとても思えない。
 例えば、小池氏は「憲法については『自民党憲法改正草案』の方向でよろしいのではないかと思っています」と、新聞のインタビューで答えている。「都政と憲法は関係ないだろう」と言う人が多いけれど、それは多分、自民改憲草案の中身を知らないから言えることだ。
 このコラムでも何度か指摘したけれど、自民草案は徹底的に国民の権利を縮小して、国家に尽くす義務を求めている。
 ささやかな生きる権利は縮小して、アレをしろコレをやれ、足りない部分は自己責任で補えというのが自民党改憲案だ。それを実際の政策に投影すれば、次のようになる。
 
 保育所はなるべく人員削減を
 介護施設職員の給与の上昇は抑制的に
 高齢者の介護認定はより厳しく
 年金は段階的に引き下げも
 政府の教育行政に従え
 教師は勝手なことを教えるな
 思想表現の自由は公の秩序のために制限
 緊急事態には地方自治体の権限は剥奪してすべて首相へ一元化
 
 むろん、こんなのは序の口だ。これらを見ても「憲法と都政は関係ない」「都政に国政を持ち込むな」などと脳天気なことを言っていられるか。
 小池百合子新女性都知事は、こんな自民党改憲案を「その方向で」と容認(いや、むしろ推進)しているのだ。彼女が目指す「女性目線の都政」なるものが、とんだ食わせ物だった、と分かるまでにはそう時間を要さないと、ぼくは思うのだ。
 そして何よりも、小池氏が「日本会議国会議員懇談会副会長」だったという事実が恐ろしい。
 むろん、すべてとは言わないが、この国を覆う「ヘイトな気分」のかなり大きな部分を、草の根右翼とも言われる「日本会議」が領導してきたことは間違いないだろう。その要職に小池氏は就いていたのだ。さらに、日本会議以上に「ヘイトな気分」を醸成してきたのが「在特会」というグループだった。小池氏は、そのグループとも親密な関係を持っていたといわれている。
 「異端排除」の最先端に立つグループと親密な都知事は、「多文化共生」「多民族社会」をどう考えるのか。

 ぼくは自分の住んでいる東京を、これからは特に、注視していきたい…。
 静かに、優しく暮らせる街であることを願いつつ。

 

  

※コメントは承認制です。
85 時代は「ヘイトな気分」」 に4件のコメント

  1. 鳴井 勝敏 より:

     小池氏の表情に慈悲深さを感じさせない理由ががよく分かりました。人権の臭いが全くしない右派中の右派であったのです。これからメッキが徐々に剝げ正体を現すのにそんなに時間は要しないでしょう。                都民の皆さん、「そのはずではなかった」とは言わないようにして下さい。行動には責任がつきものです。「皆さんがそうしています」が通用するのは日本だけす。        ところで、なぜそんなに小池氏に酔いしれたのですか。「孤軍奮闘」がそんなに心地良かったのですか。学歴も高く、若い人が多い東京。一体どうしたんですか。      皆さんの力で「ポピリュズム」の土壌はしっかりできあがりました。権力者達は微笑んでいることでしょう。後は好きな種をまき収穫を待つだけです。       

  2. 島 憲治 より:

    >静かに、優しく暮らせる街であることを願いつつ。私もそう願たい。しかし、どうも世相が許してくれないようです。私に好きな言葉があります。
     「花は一輪でも美しい。でも花束は、形や色の違った花々がお互いに引き立てあっているからもっと美しい。」(堀内都喜子時子著「フィンランド豊かさのメソッド」)。   「分別ある人間は自分を世界に適応させようとする。分別のない人間は世界を自分に適応させようと頑張る。したがってあらゆる進歩を生むのは分別のない人間だ。」(バーナード・ショー・英の作家、ノーベル文学賞受賞・「名言は力なり・仕事の成功」・講談社)。

  3. 樋口 隆史 より:

    実は、わたしの勤めている会社の社長のウォッチによると、時期は失念してしまいましたが、空白のン十年の間にも、実は緩やかな好景気の時期が10年くらいあったとのことです。(会社の業種は売り上げの70%が海外という、川上産業です)でも、誰もそれを指摘しない。そのあたり、誰も勉強していない。なんかね、ヘイトというかイライラした雰囲気が何となく世間を覆っている印象がありますと行っても、けっきょくはそれを再循環しているのはメディアだと思う。で、最後は誰かが悪い、自分はマトモだ。で締めくくられている。これじゃもう古い。コメント書いても無視されてしまうようなメディアでは信用できない。特定の人の意見ばっかり載せている。これじゃ言論封殺じゃないですか。いつの間にか、ミイラ取りがミイラになってしまっている。これじゃうまいとこ、今の権力体制側に乗せられてしまっているようなもんじゃないですか。なさけない話です。

  4. 多賀恭一 より:

    小池氏は都知事には成れた。しかし、2020東京五輪を開催できるだろうか? 1940年の東京五輪は第二次世界大戦で中止となった。2020東京五輪は第三次世界大戦で中止となる可能性が高い。
    なんと言っても時代は「ヘイト」。大戦前夜なのだ。

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すずき こう

すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)など。マガジン9では「風塵だより」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。

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