風塵だより

「麻薬撲滅戦争」の陰で

 世の中には、スゴイことを言う人がいる。例えば、フィリピンのドゥテルテ大統領。彼は、9月30日の演説でこう述べた。
 「ヒトラーは300万人のユダヤ人を虐殺した。フィリピンには現在、300万人の麻薬中毒患者がいる。私は喜んで彼らを虐殺してやる」
 ゾッとする。
 ドゥテルテ大統領は「私は、麻薬撲滅戦争を大統領選での大目標に掲げており、それを実行しているだけだ」と豪語する。
 その言葉通り、すでに2000人を超える人たちを、警察は法的根拠もなく疑いだけで射殺した、と伝えられている。巻き添えを食った無実の人も多数含まれているともいう。これは、国家権力の言いなりになった警察(武装)組織がどんなに恐ろしいものかを、如実に示している。
 しかも恐ろしいことに、麻薬ビジネスに絡んでいた腐敗警官たちが、自分の悪事が露見しないように、その事実を知る人たちを選んで射殺している、という情報もある。やたらに銃をぶっ放すハリウッド映画だって、とてもこんなストーリーは作れまい。
 その大統領の支持率は、いまのところ、なんと90%を超えているという。どこかが“狂っている”としか、ぼくには思えない。

あるフリーアナウンサーの場合

 とにかく気に入らない者を非難し、あまつさえ「死んでしまえ」「殺せ」とまで言い募る。そんな風潮が、フィリピンだけではなくさまざまな場面で見え隠れする。日本だって例外じゃない。
 比較するのもバカらしいが、フリーアナウンサーの長谷川某が自分のブログで垂れ流した文章も凄まじい。
 「自業自得の人工透析患者なんて、全員実費負担にさせよ! 無理だと泣くならそのまま殺せ! 今のシステムは日本を亡ぼすだけだ!!」(長谷川ブログ「本気論 本音論」9月19日付 ※現在はタイトル変更)というものだ。
 やたらに“!”が付けられている文章は品のいいものじゃないが、この長谷川某の文章がその典型。ぼくも、つい使ってしまうことがあるけれど、自戒しよう。
 要するに、自堕落な生活を続けて病気になり、人工透析を受けなければならなくなったような人の医療費を、国は負担すべきじゃない。さっさと殺してしまえ、ということ。
 ヘイトスピーチやヘイトデモを思い出してほしい。
 在日コリアンなどに対し「日本から出て行け」「あいつらに日本の税金を使うな」などと罵ったあげく、ついには「ゴキブリは踏み潰せ!」「死ね!」「ぶっ殺せ!」などと威嚇する。
 長谷川某は、こういう動きに親和性を感じていたのではないか。「自分と違う者、自分にとって異物である者は排除せよ」という主張に似ている。
 だが、さすがに彼の “歪んだ主張”は多くの人たちの猛反発を受け、起用していたTV局も彼を降板させざるを得なくなった。
 安倍政治に批判的なキャスターやコメンテーターを、すぐに降板させてしまう昨今のTV局の在り方はひどいと思うけれど、この長谷川某の“主張”は、そんなこととはまったく違う。弁解の余地はない。
 ある状況下の人たちをひとまとめにして「殺せ!」と言うなど、とても許されるべきではない。ヘイトスピーチと同じほど質(たち)が悪い。個人でブログをやることは「どうぞ勝手におやんなさい」だけど、公の場にはもう顔を見せないでほしい。
 だが、一部でそんな長谷川某を擁護する書き込みも、ツイッターなどでは散見される。「国の役に立たないヤツは死んだほうがいい…」と。

「何が彼をそうさせたか」の解明を

 「相模原事件」を思い出す。
 7月26日未明、神奈川県相模原市の障がい者施設「津久井やまゆり園」で、入所者19人が殺害され26人が重軽傷を負わされた事件だ。まさに、日本の犯罪史上でも稀に見る大量殺人事件だ。しかも容疑者は以前、この施設で働いていたという。つまり、ケアすべき対象者を殺害してしまった、という事件だったのだ。
 警察は容疑者の精神鑑定を行うとしているようだ。むろん、それは必要だろうが、もうひとつ、彼の思想的背景もきちんと解明しなければならないとぼくは思う。
 容疑者は、何度も「世の中の役に立たない者は、生きている価値がないし、抹殺してやったほうが本人のためにもなる」などと述べているという。ナチス・ヒトラーが標榜した「優生思想」そのものだ。彼はまた「ヒトラーが自分の中に降りてきた」と語ったともいう。なぜ、容疑者がそんな考えを持つに至ったか、それはきちんと解明されなければならない。容疑者を“異常”で片づけてはならない。
 そして、社会的な環境、世の中の流れが彼に及ぼした影響も併せて解明するべきだと、ぼくは強く思う。
 役に立たないヤツは殺せ。それは、長谷川某の歪んだ意見とよく似ているし、その規模を拡大すれば、フィリピンのドゥテルテ大統領に行き着く。少なからぬ人数の支持者がいることも、不気味さを増幅する。
 自分らと違うものは排除せよ。「排除の思想」である。そんな“正しき者”や“役立つ者”ばかりの“清潔で美しい社会”を求めた極北がナチス・ヒトラーだったではないか。「優生思想」というが、そんなものは「思想」ではない。「妄想」という。

不気味な事件

 多くの謎に包まれたままの、横浜市の大口病院での入院患者死亡事件。現在は、2名の入院患者の死が殺人事件だったとされている。実際はこの2カ月間ほどで50名近くの死亡者が出ていて、その中にも死因の怪しい事例がかなりあるともいう。どうにも気味の悪い事件だ。
 ここから先は、ぼくのまったくの個人的推測でしかないのだが、この事件の陰にも「ヘイトクライム」の臭いが漂っているような気がしてならない。
 患者さんたちの多くは、自立移動も不可能な重症者だという。とすれば、あの相模原事件の容疑者の言う「役に立たない者」の範疇に入ることになろう。同じような考えに染まった者が、相模原事件に触発されて「役に立たない者の抹殺」を試みた……。
 これだけ「排除の思想」が世の中に蔓延すれば、そんな歪んだ考えに染まる者が出てきてもおかしくはない。それが、あの病院の中で起きたことと関係はないだろうか。そう考えるぼくは、間違っているのだろうか。むろん、間違っていれば嬉しいのだが。

 自分と違う者、自分が勝手に「役に立たない者」と認定した者。それらはこの世界からいなくなったほうがいい、という主張。
 トランプ米大統領候補だって「排除の思想」の信奉者のような言動を繰り返している。
 こういうことを「他山の石」として我が身を省みる、というのであればいいのだが、いまや、この日本でも同じようなことが起きているし、それを肯定するような書き込みがネット上にも散見される。
 「日本の良き伝統」とか「和の精神」とは、そんな差別や排除を助長するものだったのか。

不寛容ということ

 イヤな事例はあとを絶たない。
 大阪の寿司チェーン店で、外国人(とくに韓国人や中国人)に許せない行為に及んでいたことが発覚した。不愉快なので詳しく内容は書かないが、店の責任者が行為を認めたことで、これがネット上のデマでなかったことは明確になった。それにしても、他者への不寛容がここまで蔓延してしまったのかと思うと、ほんとうに暗い気持ちになる。

 TBS「サンデーモーニング」(10月2日)で、かなしい統計が映し出されていた。
 世界各国で行われたアンケート調査で「社会的弱者を国が救うべきか」との問いかけに「救うべきだと思わない」と答えた人の率が、日本は他の国々と比較して異常なほど高かったというのだ。
 「救うべきだと思わない」
 ドイツ:7%、イギリス:8%、イタリア:9%、中国:9%…
 新自由主義的傾向の強いアメリカでさえ28%なのに、なんと日本はダントツの38%という結果。
 ここにも「役に立たない者は要らない」という傾向が現れている。日本、どうしちゃったんだ?

 本来は、弱者をケアすべき人間がその対象者を殺害し、マスメディアで活躍する人間が自己責任論を振りかざして「人工透析患者は死ね」などと口走り、店にとって大事な海外からの観光客を差別するような言動の寿司職人が出てくる…。
 「鯛は頭から腐る」というけれど、弱い層への「思いやり」が、いまの為政者たちには弱すぎると思う。米軍基地への「思いやり予算」は異常すぎるほどの額なのだが、自国の社会的弱者への「思いやり」はどうか。

 この国を、本来の「優しい民の国」に取り戻すには、いったい何が必要なのだろう?

 

  

※コメントは承認制です。
92 「役に立たない者」は殺していいのか?
「異物排除」という考え方
」 に3件のコメント

  1. 鳴井 勝敏 より:

    排除の思想は自信を失った人たちの裏返しと見る。 自分に自信がなければ、人との違いを認めることはなかなか難しいからだ。「 無知、偏見、不安」という構造は人の自信を奪う。排除の感情によって不安から逃避しようとするからだ。しかし、これが最も楽な対症療法なのだ。この流れは人間の弱さからは自然なのかもしれない。だとすれば、どうすれば良いのか。              > この国を、本来の「優しい民の国」に取り戻すには、いったい何が必要なのだろう?
    教育に尽きると考える。 伊藤真氏は著書「憲法のことが面白い程分かる本」に次のように記している。
    「今まで私たちは、子どものころから人と同じように生きることのメリットを叩き込まれてきました。そんな風に育てられれば、そこから逸脱した集団や個人を排除しようという、いじめやマスコミの暴力が横行するようになったとしても、いわば当然の結果なのかもしれません。」
     「人はみな違うのだから違って当たり前、それを特別のものと思わないようにする教育が必要なのです。」                   

  2. うまれつきおうな より:

    失礼ながら「本来の優しい民」というのが幻想なのでは?日本は本来武士の国であり、最も重要なことは戦に勝つこと。そのためには役に立たないものは切り捨てる非情さや禁欲性こそが正義であり、仏教の慈悲や儒教の済民などは<負け組のたわごと>というのが最近までオジサン向けの読み物だけでなく教科書的な本でも基本的なトーンだったと思いますが。

  3. ぎゅう より:

    アリや蜂の世界では、必ず何割かの何もしない個体がいるそうです。
    何もしない個体を排除しても、またその残りのうちの何割かは何もしなくなるそうで。
    逆に何もしない個体だけを取り出すと、何割かを除いて働くようになるとか?
    そういった、ゆとりがその集団全体の存続に必要と、考える専門家もいるとか?

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すずき こう

すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)など。マガジン9では「風塵だより」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。

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