風塵だより

 ある晩、友人と都内の居酒屋で楽しく一杯やっていた。わりと真面目なぼくら(笑)なので、ちょっと真面目な話。そう、原発について話していたんだ。大きな声で話していたわけじゃないのだが、隣の席で飲んでいた2人組の中年サラリーマンらしき人の片方が、いきなりぼくらの話に割り込んできた。
 「あんたらさ、原発反対なの?」
 少々酔っているらしい。面倒である。でも、原発にかかわることとなると、ぼくも黙っているわけにはいかない。
 「ええ、もちろん反対ですよ、あんな危ないもん」と、こちらもいささか酔っているので言い返す。
 「じゃあさ、これからの日本経済をどーすんのよ。エネルギーもなくて、どうやって世界に立ち向かっていけばいいんだよ。あんたらは、そういうことを考えてモノしゃべってんの? 原発に代わる対案はあんの?」
 出たーっ、世界を憂えるサラリーマン。というより“日本経済を背負って立つニッポン男児サラリーマン”。口調も威丈高で不快。こんな居酒屋で飲んでないで、日本経済を立て直す仕事に邁進してろよ、と言いたいところをぐっと我慢。こういう“日本経済を背負うサラリーマン”って感じのエラソーな人、ときどき居酒屋にいるよね。
 ぼくは、日本も世界も背負う気はない。ただ、恐ろしいことがイヤなだけだ。福島原発爆発で怯えたあの日々を、もう経験したくないだけだ。
 こんな時、彼らが必ずといっていいほど使う言葉が「対案」だ。ぼくはそういう連中を「対案お化け」と呼ぶ。ミョーな時に出てくる「お化け」みたいだからだ。相手が対案を出さなければ“論争”に勝ったつもりになるらしい。すぐに“論破”などと言って得意顔。だから「対案」は彼らにとって、絶対のマジックワードなのだ。

 憲法論争でも同じだ。安倍首相は必ず言う。
 「私どもは、自民党憲法改正草案をすでにお示ししております。ですから、それに反対ならば、対案をお出しになればいい。その上で、堂々とどちらが新憲法にふさわしいかの議論をしようじゃありませんか」
 これが「対案お化け」の親玉である。
 だが、よく考えてみれば、すぐにこのリクツのおかしさに気づくはずだ。例の古めかしい「自民党改憲草案」に反対する人の多くは「いま、改憲する必要がないから反対している」のだ。ぼくもその立場だ。「護憲的改憲論」を唱える人たちもいるけれど、ぼくはそれに与しない。
 必要のないものに「対案」などありえない。それでも「対案を」と迫られるのであれば「変えないということが『対案』です」と答えればいい。

 話がそれた。原発の話だった。
 “日本経済を背負うサラリーマン”氏は、ちょっと酔いすぎていて、後輩らしき、もう少し温厚そうなサラリーマン氏に「まあまあ、もういいじゃないですか、先輩。すみませんねえ、どうも」となだめられておとなしくなったので、議論にまでは至らなかった。けれど、こちらも気分を害してしまい、ぼくと友人は、その店を早々に出ることにした。
 居酒屋で他人の話に無遠慮に割り込んではいけない。ことに世界情勢や日本経済に関しては慎んだほうがいい。
 だいたい、こういう話では、後になって「ああ、あの時、こう言い返せばよかったなあ」と悔しがることが多いもの。口の重いぼくのような人間は、いつもそうだ。あの居酒屋でだって、お互いに素面ならば、きちんと説明できたかもしれない。だって、最近「これはいい!」と、思わず膝を叩いてしまうような本を読んでいたのだから、その話でもゆっくりと聞かせてやればよかったのだ。かなり“目からウロコ”のエネルギー論。これなら、あの“日本経済を背負うサラリーマン”氏も納得してくれたかもしれなかったのに、惜しいことをしたなあ。
 その本とは『水力発電が日本を救う』(竹村公太郎、東洋経済新報社、1400円+税)だ。サブタイトルに「今あるダムで年間2兆円超の電力を増やせる」とある。著者は元国土交通省河川局長。

 「序 一〇〇年後の日本のために」で、こう書いている。

 私はダム建設の専門家で、水力発電を心から愛する人間の一人だ。(略)
 私には原子力を否定する気持ちも、火力を否定する気持ちもない。私には今日のエネルギー政策を云々するような資格はない。なにしろ、エネルギー全般に関して断定的なことを述べる素養を持ち合わせていない。
 ただ、言いたいのは、五〇年後、一〇〇年後、そして二〇〇年後の日本にとって、水力発電は必ず必要になるということだけだ。(略)
 水力のプロの私は、純国産エネルギーである水力発電の価値を知っている。日本のダムは半永久的に使える。たとえ一〇〇年経っても、ダムは水を貯めている。ダム湖の水を電気に変換できる。
 しかも、ちょっと手を加えるだけで、現在の水力の何倍もの潜在力を簡単に引き出せる。この事実を、今、日本の人々に伝えることが、数少なくなった水力の専門家としての義務であると考えている。

 おお、それはいったいどういうことなのか。
 年間2兆円を超えるほどの電力を、簡単に生み出せるというのだ。しかも、これからダムを造るのではなく、現在あるダムを有効利用すればすぐにでも可能だという。そんな宝の山(いや、宝の水)を放っておく手はない。詳しく読んでみた。

 日本列島はアジアモンスーン地帯にあり、雨が多い気候帯に属する。その上、国土の7割が山地であり、急峻な河川が多い。つまり、水を貯めるためのダムに適した地形ということになる。しかもこの狭い国土には、すでに多くのダムが建設されていて、新しく造る必要はない。
 さらに、このダム群は堅牢で、これまで多くの地震によってさまざまな建築物が崩壊したが、ダムが壊れた例は1件もないという。その理由は、①コンクリートに鉄筋がない、②基礎が岩盤と一体化している、③壁の厚さが100メートル。だから、既存のダムはこれから100年~200年経っても大丈夫なのだと著者は言う。
 ただし、既存ダムのほとんどは「多目的ダム」。洪水などを防ぐための「治水」と、発電や農業用水として使う「利水」という、相反する目的を持っている。この運用法を変更することで、発電を効率的にできるようにする。
 さらに土石流を防ぐための「砂防ダム」などの活用による中小水力発電の具体的イメージも、著者は提示する。
 詳しくは、ぜひ本書を読んでほしいが、具体的には以下の4項目に著者の主張はまとめられる。

  1. 発電に注目した既存ダムの運用の変更
  2. 既存ダムの嵩上げによる電力増強
  3. 発電していないダムに発電させる
  4. 逆調整池ダム建設によるピーク需要への対応

 化石燃料は、将来的には必ず枯渇する。しかし、雨が降らないことはない。雨を貯めてそれを利用する、というだけのシンプルな方法は、だから絶対に廃れない。もし雨が降らなくなったら、それは地球全体が終わるときだ。
 その意味で、日本列島はエネルギー源の宝庫だと著者は説く。再生可能エネルギー(自然エネルギー)の中でも、水力は優等生であり、その潜在発電力は優に年間2兆円を超えるのだという。

 「原発が稼働していなくても、日本で電力は足りている」というと「それは、老朽化した火力発電所をむりやり動かしているからだ。火力発電所で事故が起きれば電力不足になる」「原発の代替エネを確保するために、膨大な化石燃料を輸入している。そのことによる国富の喪失で国力は衰える」などと反論する人たちがいる。
 だが、水力はそれらの火力発電を補うことができるという。しかも、ほとんどが既存ダムを使用するので費用はほんの少しで済む。そして既存ダムをもっと嵩上げすれば、現状の何倍もの電力を得ることも可能だというのだ。
 多分、これでも納得しない人は大勢いるだろう。限られたスペースで、すべてを説明はできない。疑問を持たれた方は、ぜひご一読を。かなりの霧が晴れると思う。
 
 本書を読んだ後で、これに関連したような、面白い(とても有効な)記事を見つけた。
 『ビッグイシュー日本版』(VOL.298、2016年11月第1号)に掲載されていた特集「循環が社会を変える シビックエコノミー5」の中の「田中水力 株式会社 国産の水力発電機開発のパイオニア。市民出資の小水力発電所が採用、上下水道で発電も」という記事だ。
 小見出しをピックアップするだけで、なんだか希望が湧いてくる。

◎水流による小水力発電はベース電源 農業用水、ダムの維持放流も活用
◎ニッチな条件下でも設置可能 「ターゴ水車」国産化に成功
◎小水力発電を導入した地域は発展。水車の設計工夫で土木工事費カット 発電効率上げ売電収入をアップ

 と、こんな具合だ。そして、最後にはこの「田中水力 株式会社」の代表取締役社長の田中幸太さんのメッセージが載っていた。

 小水力発電はポテンシャルのある場所探しと水利権の調整といったハードルがありますが、「落差×流量×水車の効率」で出力が決まるシンプルなシステムだけに、全国に何千カ所もある農業用水路も含め、設置可能な地点はまだまだあります。
 ローカルなコミュニティにとって水は大切な資源なのに、利用されていないところがあまりにも多い。自分たちの電源として使えるだけでなく、売電収入も得られるし、そのお金で雇用や移住も促進できる。地域経済に貢献できるチャンスを秘めているのが電力事業なのです。
 (田中水力 株式会社)
http://www.tanasui.co.jp

 単行本と雑誌記事、このふたつは互いに補うような関係にある。一方が既存ダムの活用を説き、もう一方は小河川、農業用水、上下水道の水流などを視野に入れる。これらを組み合わせれば、電力の未来は大きく開ける。しかも、費用は原発に比べれば、ほんの雀の涙ほどだ。

 いまもなお原発推進を言う人たちは、明らかに時代遅れだ。
 省エネ技術はますます進歩している。
 2020年までには、新築の家屋やマンション及びすべての建築物に、電力消費の極めて少ないLED設置などによる省エネが義務づけられるという。これが普及すれば、省電力は現在使用電力の20%以上にも及ぶという試算もある。となれば、原発電力は不要になる。なぜなら、現在の日本のすべての原発の発電容量は、全電源の22%ほどしかないからだ。いや、今では廃炉決定の原発もあるのだから、原発由来の電力は多分、10%台まで下がるはずだ。しかも説明したように、再生可能エネルギーは、原発分を補って余りある。
 かつて「原発電力は全電源の30%」といわれたのは、原発を優先稼働させるために他の発電を停めていたからにすぎない。電力会社と原子力ムラの合作の偽装だったのだ。
 莫大な投資と気が遠くなるほどの廃炉費用、さらには核のゴミの処理費用などを必要とする原発など、「負の遺産」「歴史的建造物」とでも命名して、上物だけを遺しておくしかなくなるだろう。

 原発の未来は、すでに見えている……。

 

  

※コメントは承認制です。
96 「原発・対案お化け」さまへの回答」 に3件のコメント

  1. 樋口 隆史 より:

    わたしは電気関係の畑で飯を食べてきた一人ですが、現在の電気業界は昔の「大艦巨砲主義」に毒されてる一面があると感じています。現場の我々は、だ安定して安全に電気が供給されればそれでいいし、どんな方法で電気を作ろうが、メンテさえちゃんとできるようにしてあればなんだってやれます。そのための機器や商品もすぐ開発できますし、実際に発売されているものがけっこうあります。ただ、どうも雲の上の人たちはなんか勘違いしているようです。

  2. 菅野 より:

    小水力発電の要素に落差があるのなら、都心の高層ビルも発電に向いてるかもしれませんね。
    晴れの日は太陽光発電、台風なら風力+水力発電、大雨なら水力発電と、天候に合わせた発電ができそうな気がします。
    もちろん高層ビルだけに限ったことではありませんが、大型施設の自家発電率が上がるのは、人目にもつくし良い効果がありそう!
    何事も地産地消がエネルギー効率もいいと思います(^_^)

  3. なると より:

    東日本大震災により福島第一原発が爆発した後では原子力発電に対する安全神話がなんの意味も持たないように、東日本大震災により藤沼ダムが決壊した後ではダムに対する安全神話などなんの意味も持たない。
     
    ダムが決壊すれば下流の人間は大勢死ぬ。これまで世界で多くの人がダムの決壊で亡くなっている。原発事故同様に取り返しがつかない。
     
    小規模水力に希望はあると思うが、原発に反対していながらダムを用いた発電を推進しようというのは筋が悪いだろう。命を大事に。

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すずき こう

すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)など。マガジン9では「風塵だより」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。

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