風塵だより

 毎年12月12日(なぜかこの日は「漢字の日」だという)になると、京都の清水寺で「今年の漢字」というのが発表される。日本漢字能力検定協会というところの選定。ちなみに2015年は「安」だった。いったいなんで「安」だったのか、今となってはまるで分らないけれど、まあ、その時はそんな気分だったのだろう。
 では、今年2016年を象徴する漢字一文字とは、いったいどんなものになるだろうか? ぼくは「卑」こそ、今年にふさわしい漢字だと思う。ぼくの気分が落ち込んでいるせいもあるけれど、このところの世間に漂う空気が「卑」であるように思えて仕方ない。
 広辞苑で「卑」をひくと、次のように書いてある。

①身分・地位がひくいこと。「卑賤・尊卑・卑金属」⇔尊 ②いやしいこと。下品なこと。「卑劣・卑俗」 ③へりくだること。いやしめること。「卑下・卑称・男尊女卑」 ④自分をへりくだっていう語。「卑見・卑官」 ⑤土地がひくいこと。「卑湿」⇒ひ(鄙)

 ④や⑤はともかく、ほとんどいい意味では使われない語である。「卑」を使った言葉を思い浮かべてみる。
 卑怯、卑下、卑屈、卑語、卑称、卑小、卑賤、卑俗、卑劣、卑猥、野卑など、他にも、官尊民卑、男尊女卑…。
 これらの言葉を眺めていると、なんだか2016年という年が浮かび上がってくるような気がする。

卑猥

 トランプ氏が次期米大統領に決まった。えっ、あの人が…と、茫然自失の人は多かった。残念ながら、ぼくもそのひとり。
 トランプ氏の暴言ぶりには次第に慣れっこになっていたけれど、ロケバスの中で発した言葉には呆れ返るしかなかった。女性を貶める卑猥な言葉を、平然と口走っていたのだ。当然、批判が沸き起こった。あれでトランプ氏の目は消えたと思っていたのだが、彼に投票した白人女性も多かったと知って愕然としたのだ。まさに男尊女卑の塊だったのに…。

卑怯

 同じ国会会期内で、3度も採決を強行するなんて、これまでに例がない。自民党安倍政権の驕りも、ついに来るところまで来た、という感じだ。TPP、年金法案、そしてカジノ法案だ。
 いずれも、重大な問題を抱えたまま、なんの解決策も示されない段階での採決だ。慎重に議論を重ねて、国民の理解を得てから…なんていう常識的な国会運営はもはや過去のこと。多数を得れば、後は何をやってもいいということになれば、国会なんか必要なくなる。
 「選挙で多数を握った。あとはすべて多数決で決めます」というのなら、議論も国会も委員会も何もかもムダ。「多数決こそ民主主義」という人もいるけれど、少数者の意見を汲み上げて議論する、というプロセスを無視したものを民主主義とは言わない。
 それは「民主主義」に名を借りた、卑怯な「専制主義」にすぎない。

野卑

 城山三郎さんに『粗にして野だが卑ではない』という、三井物産社長から国鉄総裁に転じた実業家・石田禮助氏の生涯を描いた著書がある。タイトルのこの言葉、ぼくは大好きだった。実業家の伝記など、ぼくの好みじゃないけれど、タイトルに魅かれて読んだ記憶がある。
 しかし、こんな言葉があてはまる人物など、もうこの国ではとんとお目にかかれなくなった。
 とうとう、カジノ法案を自民党と日本維新の会でむりやり押し通した。創価学会婦人部の強い反対にもかかわらず、公明党は採決を容認した。これで公明党は、完全に終わった。委員会での公明党議員2名の反対で、とりあえずの姿勢を示したつもりだろうが、採決容認の段階で「バクチ法案」を認めたに等しい。
 アベノミクスは崩壊した。黒田日銀総裁のバズーカだか何だか知らないが、異次元緩和もまったく効果はなかった。しかたなく最後に安倍首相が頼ったのは「原発輸出」と「バクチ」だったというわけだ。
 政府が率先して「バクチ」を経済政策の目玉にし、成長戦略の柱にする。こんな卑しいことがあるだろうか。野卑の「卑」である。

卑下

 カジノのノウハウを持っているのは、むろん、米国を筆頭とする外国企業だ。彼らは虎視眈々と日本の「バクチ市場」を狙っている。
 「日本人のカジノ入場は厳しく制限する」と推進派は言うけれど、賭博依存症者が簡単にあきらめるわけがない。必ず出入りし始める。その結果、日本の富は外国カジノ企業に吸い上げられ国外流出する。日本企業も参入を狙うだろうが、ラスベガスの強者どもに赤子の手を捻るようにあしらわれるのがオチ。
 かつて、ハマコー(浜田幸一)議員がラスベガスで数億円の借金を作り、大王製紙の御曹司が会社の金を106億円もバクチにつぎ込んだという例(『熔ける 大王製紙前会長 井川意高の懺悔録』を読んでみるがいい)を、バクチ法案推進派は知らないのだろうか。
 そんな悪法を「成長戦略の柱」にしなければならないほど、自分たちの経済政策を卑下しているってことか…。

卑劣

 この「カジノ法案」を安倍政権は「IR法案」などと言い替える。これは、安倍首相のいつもの手だ。ぼくはこれを「安倍話法」と呼ぶ。本質をごまかし、当たりさわりのない言葉できれいごとにしてしまう。
 この「IR」とは、Integrated Resort の略で、「統合型リゾート」だという。中身は、大きな国際会議場や家族向けの遊園地、リゾート施設を備えたエンタテインメント娯楽場であり、カジノはそのうちの数%にすぎないという。だが実態は、稼ぎの80%以上をバクチの上がりに頼る。家族向けなどというのは、ほんの付け足しに過ぎない。「バクチ法案」というしかないのだ。
 同じような「安倍話法」は、掃いて捨てるほどある。あのPKO部隊派遣の際の「戦闘」を「衝突」と矮小化。「武器輸出」を「防衛装備移転」、「戦闘介入」を「駆けつけ警護」、「政府開発援助」を「開発協力大綱」、「原発事故」については「アンダーコントロール」。そして極めつけは「戦前回帰」を「戦後レジームからの脱却」…。
 言葉を言い替えて本質を隠し危険な方向へ走ること、これを卑劣と呼ぶ。

卑屈

 トランプ氏が当選してすぐ、安倍首相は飛んでいった。とにかく、一刻も早くお目通りをお願いしたい。なんたる卑屈。
 ところがやっとお会いしていただいた直後、トランプ氏は「TPPは大統領就任初日に破棄する」と発表してしまった。安倍首相、それでも「米国へは丁寧に説明して、日本が率先して条約を批准することで機運を盛り上げたい」と、例によって何を言っているのかわけが分からない弁明でお茶を濁した。
 こんな外交を、普通は「朝貢外交」と呼ぶ。
 米政府は「トランプ氏はまだ大統領ではない。前例のないことはしないでほしい」と、安倍・トランプ会談に強く異議を伝えていたという。だが、オバマ大統領よりもトランプ氏を優先した安倍首相。ほんとうに、儀礼を無視した失礼な卑屈外交だったというしかない。
 オバマ政権の怒りは当然だ。そこで、なんとか失地回復と、安倍首相が打ち出したのが真珠湾訪問。だが、果たしてうまくいくかどうか…。

卑語

 今年ほど、卑しい言葉が飛び交った年も珍しいと思う。その典型が、沖縄の高江ヘリパッド反対運動の人たちへ、大阪府警の機動隊員が投げつけた「クソ」「土人」という酷い言葉だろう。
 若い機動隊員が、こんな言葉をとっさに口にする、ということ自体が恐ろしい。多分、彼らの上司が日常的にこんな卑語を使っていたのが原因だろう。沖縄の歴史を少しでも学べば、使えるはずもないのだが。
 さらに問題なのは、それを沖縄担当相の鶴保庸介なる男が「差別だとは断じて言えない」などと繰り返したことだ。これが差別でなくて何なのか? その上、安倍政権は「個人の意見であり、撤回も謝罪も必要ない」とした。こうなれば、政府が率先して沖縄差別に加担していると言われても仕方ない。いったい、どういう国なのだろう。
 ヘイトスピーチは、卑語の最たるもの。それが街の中に平然と流れる国を、ぼくはとても誇れない。

 1年を締めくくるのに、楽しい話がほとんどないのは淋しい。世界中が「極右」の進出に揺れている。わが日本でも、世界に先駆けてたくさんの極右的言辞が飛び交っている。
 世界に誇るべき不戦憲法、その「憲法9条」を変えようという人たちが増殖している。
 戦後71年。曲がりなりにも、銃声や砲弾の嵐を免れてこられたことの、大きな要因は「憲法9条」にあったと、ぼくは思っている。

 戦争を71年間しなかった国、それが日本だ。なぜ、それを誇れないのか。なぜ、そんな国を変えようとするのか?

 

  

※コメントは承認制です。
99 今年の漢字は「卑」だと思う」 に2件のコメント

  1. 鳴井 勝敏 より:

    >戦争を71年間しなかった国、それが日本だ。なぜ、それを誇れないのか。なぜ、そんな国を変えようとするのか?  そのことが選挙の際の投票基準になっていないからだと見ている。選挙の結果たまたまがそうなったのであって、本人に「国を変えようとする」意識などはないのでは。では一体国民の投票基準は何か。「情緒」「感情」が政策に優先していると見る。キーワードは「一生懸命やっている」である。内容ではない。卑しさを感じないほど国民の感性が落ちているのかも知れない。           「そもそも国政は,国民の厳粛な信託によるものであって」(憲法前文一段)。主権者はこれを放棄している。これは悲劇的欠陥だと思う。更なる悲劇は主権者に逃げ道があることだ。切り札は「皆さんがそうしています」である。没個性が国民の中に浸透しているとすれば、それは民主主義崩壊の萌芽である。

  2. 樋口 隆史 より:

    結局「金」というまったく下々の感覚を無視したようにしか思えない漢字が選ばれました。たまたまお昼のテレビのバラエティ番組で中継していたのを見たのですが、スタジオでもいろいろ当たり障りない程度に現状が良くないことを表す漢字候補が並んでいたのですが、見事にひっくり返されました。漢字を選ぶ側は社会でも上層の人たちでしょう。とてつもない「奢」を感じて、暗澹たる気持ちになりました。

←「マガジン9」トップページへ   このページのアタマへ↑

マガジン9

すずき こう

すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)など。マガジン9では「風塵だより」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。

最新10title : 風塵だより

Featuring Top 10/114 of 風塵だより

マガ9のコンテンツ

カテゴリー