風塵だより

 安倍昭恵さんをめぐる疑問が次々に湧き出てくる。なんだか天然温泉の源泉みたいなもので、湧出が止まらない。止まらないのはテレビのワイドショーの高笑い。とにかく視聴率が取れるのだから、こんなおいしいネタはない。
 少し前までは、東京都の「小池劇場」で沸いていたのに、あっという間に「籠池劇場」に取って代わられた。なにしろ、出演者のキャラが違う。もう「慎太郎って誰だっけ?」状態。それに小池百合子知事ファッションショーも、やや見飽きてしまった視聴者たち。
 そして今度は「アッキー・ショータイム」も加わったのだから、これはかなり強力。しかも、そこに谷査恵子さんという本来なら脇役であるはずの人が主役級に躍り出た。なんとも人材豊富。

「記憶がない」と「事実がない」ということの違いを、まるで理解していない昭恵さんが掘った墓穴

 安倍昭恵さん、それにしても脇が甘すぎる。
 籠池諄子さんとのメールなんか不用心そのもの。あれを暴露されては、言い訳も利かなくなる。
 昭恵さんはメールで「私は後援の謝礼をいただいた記憶がなく、いただいていたなら教えていただけますでしょうか」「100万円の記憶がないのですが」などと「記憶がない」を強調している。
 ところが昭恵さん自身のフェイスブック(FB)では「私は、籠池さんに100万円の寄付金をお渡ししたことも、講演料を頂いたこともありません。この点について、籠池夫人と今年2月から何度もメールのやりとりをさせていただいましたが、寄付金があったですとか、講演料を受け取ったというご指摘はありませんでした。私からも、その旨の記憶がないことをはっきりとお伝えしております」と書いている。
 「そういう事実はありません」と「その記憶はありません」ではまったく意味が違うということを、残念ながら、昭恵さんは理解できないらしい。
 同じFBで、昭恵さんはこんなことも書いている。
 「また、『講演の控室として利用していた園長室』とのお話がありましたが、その控室は『玉座の間』であったと思います。内装がとても特徴的でしたので、控室としてこの部屋を利用させていただいたことは、秘書も記憶しており、事実と異なります」
 籠池氏の間違いを持ち出して、籠池証言全体を間違いにしてしまいたいとの思惑だろう。しかし、こんなことはきちんと「記憶」しているのに「100万円は記憶していない」というのは怪しすぎる。
 さらにこの文章で墓穴を掘ってしまったのは、はっきりと「秘書」と書いていることだ。安倍首相があれほど「妻は私人です」と、まるで吠え立てるように繰り返していたことを「官僚を秘書にしていました」と認めたことで、あっさりひっくり返してしまったのだ。
 どこの世界に、政府から官僚を「秘書」として派遣される「私人」などという存在があるのでしょう? これはもはや「私は公人中の公人です」と告白したのと同じでしょ!
 安倍首相の国会での答弁がデタラメであるというのは、今さら言うまでもないけれど、自分の妻に否定されたのだからみっともない。
 さらに、このFBの末尾では「籠池さん側から、秘書に対して書面でお問い合わせいただいた件については、それについて回答する旨、当該秘書から報告をもらったことは覚えております。その時、籠池さん側に対し、要望に『沿うことはできない』とお断りの回答をする内容であったと記憶しています。その内容について、私は関与しておりません」も書いている。
 ここでも「秘書が…」である。
 都合の悪いことは「秘書のやったこと」で、他については「記憶にない」。まさに、疑惑を指摘された際の政治家の逃げ口上そのものだ。これを、あの脇の甘い昭恵さんが自分で書いたとは、どうも納得しかねる。多分、官僚の入れ知恵に違いない。
 ところがその“入れ知恵人”も、上手の手から水を漏らしたようで「秘書」はほかに書きようがなかったのか、そのままで通してしまった…。

総理大臣夫人という名称自体が「印籠」だということを、総理が気づかないはずがない。安倍氏は痛いところを突かれると興奮してしまう

 
 いかに火消しようとしても、ここまで燃え盛ってしまった火は、そう簡単には消せない。
 安倍首相は2月17日には国会答弁で「もし、私や妻や事務所が森友学園への土地払い下げや認可に関わっていたことが判明したなら、総理大臣も議員も辞めますよ!」と興奮の声を挙げた。
 この人の“キレ芸”は、もはや名人の域に達しているけれど、民進党の福山哲郎議員の質問に激高、こんなことまで口走っている(東京新聞3月7日付)。

(略)首相は「私も妻も誰にも何も言っていないのに、名誉校長で印籠みたいに『恐れ入りました』となるはずがない」と声を荒げた。
 やじが飛び交う中、首相は山本一太委員長(自民)の再三の注意も振り切り「私の名誉がかかっている。私と妻の名誉を傷つけた」「まるで大きな不正や犯罪があったかのように言うのは間違いだ」とまくし立てた。(略)

 これもまた、語るに落ちた典型例だ。
 「安倍総理大臣夫人・安倍昭恵」という人物が「名誉校長」を務める小学校であるなら、その名前こそが「印籠」になるのは、誰が考えたって当たり前のことだろう。「総理大臣夫人の秘書」から問い合わせがあれば、それを無視することなど、官僚ならばできるわけもない。
 その証拠に、谷査恵子“秘書”からの籠池氏への返答ファックスの末尾には
 「平成27年度の予算での措置ができなかったため、平成28年度での予算措置を行う方向で調整中」という文言が書き込まれていた。これが単なる「私人」の問い合わせへの返答とはとても考えられない。それこそ「印籠効果」であったことは間違いない。
 もし、そんなことに思いが至らないとすれば、それこそが権力者の驕り、裸の王様の思い違いなのだ。

国の運営への極右思想の浸透こそが、この問題の最大の肝である

 こんな濃ゆ~いキャラ立ち人物が続々登場するのだから、確かにこの「森友学園問題」が、かっこうの見世物になってしまうのも仕方ない。しかし、実はもっと深刻な問題があると、ぼくは考える。
 国有地払い下げ疑惑や小学校認可の問題は、それはそれとして、裏に隠れているのは安倍首相以下の政治家たちと極右思想の持主らとの結びつきという、国の行方を左右しかねない危険な兆候である。

 一見、リベラルな考え方にも興味があり理解があるような素振りを見せながら、その実、園児たちに教育勅語を暗唱させ「安保法制成立おめでとうございます」などと言わせるような教育を絶賛して、名誉校長さえ引き受けていたのが安倍昭恵さんである。むろん、そこは夫唱婦随、安倍晋三氏も大いに共感していたことは「立派で教育熱心な方だと妻から聞いている」との国会答弁で明らかだ。
 つまり「森友学園問題」は、極右思想を有する人物への安倍首相らの共感という危険な思想問題なのであり、それが小学校建設を巡る経緯から、思わぬ形で水面下から浮上してしまったということなのだ。
 極右思想に立脚した小学校を、最初は「安倍晋三記念小学校」と名付けようとしたことが、何よりもことの重大さを示している。安倍晋三という人に籠池氏が心酔したことが、開校しようとした学校名に表れているのだ。
 そのことを官僚たちも知り尽くしていた。だからこそ、そこに「忖度」が働き、籠池氏がいみじくも「神風が吹いた」と述べたように、すいすいと官僚たちの手で事が運んだのだ。

 国の方向が、そのようにして決められていく。
 学校建設に関する多くの疑惑は、むろん解明しなければならないけれど、その裏側で着々と進行している、国の運営への極右思想の浸透こそが、最も大きな問題ではないかと、ぼくは危惧するのだ。

 

  

※コメントは承認制です。
112「森友学園」のもっとも深刻な問題は、教育勅語を園児たちに暗唱させるような極右教育に、この国の最高権力者夫妻が大賛成していたということ。」 に3件のコメント

  1. 鳴井 勝敏 より:

    >安倍氏は痛いところを突かれると興奮してしまう
    どこかに劣等感があるのかも知れない。劣等感が強まると、他人を批判することによって自分を支えようとするからだ。自分を「被害者」に仕立て、相手に吠える姿はそのように映る。
    >国の運営への極右思想の浸透こそが、最も大きな問題ではないかと、ぼくは危惧するのだ。
    これは土地の値段が8臆から1臆に下がったところの話ではない。「忖度」という根強い文化は「行政手続法」によって封印された筈だ。ところが、国民の内閣支持率というものは恐ろしい。立ち止まる機会を奪い、ブルドーザーのごとく力をあたえてしまう。
     なぜ極右思想を賞賛する安倍内閣が支持されるのか。「忖度」という根強い文化に縋り付きたいという国民感情が思考を不要としている感がある。これは「法の支配」ならぬ「人の支配」を選択しているのだ。つまり、立憲主義破壊の加担者である。そのことに国民は気づこうとしているのだろうか。怖いのは、国民の認知症的症状である。

  2. 佐藤 晃 より:

    「森友」の最大の問題は「教育勅語」を教育方針の基本においていること、それを安倍をはじめ多くの国会議員が称賛していること。重要課題は、「教育勅語は憲法違反」「日本会議の基本理念は憲法違反」の世論づくりが大事。「思想信条の自由」の問題ではないことも明らかにしながら、安倍と自公を追い込んでいくことだと思う。

  3. L より:

     安倍は議員になって以来、日本会議のプリンスとして特権階級万歳な戦前を、国民学校を取り戻そうとずっと戦い続けてきた。
     で、第1次安倍政権で教基法を無理やり改悪して「愛国心」をぶち込み、家庭教育に手を突っ込んだ。まつろわぬ教員を潰すために教員免許更新制を導入した。さらに、教育三法を改悪して学校運営や人事制度に手を突っ込ませた。
     2次政権では学習指導要領を弄って道徳を教科化し地歴・公民は日本会議政権の公式見解のみを書き込ませている。さらに家庭教育支援法を作って家の中まで手を突っ込もうとしている。
     極右カルト教育の森友学園はこのような安倍日本会議融合体が何十年も掛けて推し進めてきた教育政策の槍の穂先に過ぎない。
     教育勅語の暗誦はわかりやすいが、教基法改悪をはじめとする安倍が実行して来た教育行政はすでに教育勅語なき教育勅語体制である。
     

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すずき こう

すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)など。マガジン9では「風塵だより」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。

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