風塵だより

 先日、前新潟県知事の泉田裕彦(いずみだ・ひろひこ)さんにお会いする機会があった。
 東京の四ツ谷駅前の、小さな貸会議室。ぼくも参加した市民ネットテレビ「デモクラシータイムス」でオンエアする「エコノミスト・インタビュー」の第1回目の収録だった。インタビュアーは「週刊エコノミスト」編集長の金山隆一さん。歯切れのいい質問が見事。
 これはすでに4月5日からYou Tubeで流れている。このコラムの最後に動画をリンクさせておくので、ぜひご覧になっていただきたい。また、インタビュー記事は「週刊エコノミスト」(毎日新聞出版)に掲載されるので、こちらもぜひ。

 その場にいたのは、泉田さんと金山編集長のほかに、ぼくを含め5人。撮影担当と、ぼく以外は著名なジャーナリストたち。インタビューの後に、質問タイムがとられたが、ここでも多くの「目からウロコ」のやりとりが続く濃密な時間だった。
 インタビューではままあることだが、実は、収録終了後の話がいちばんおもしろい、というケースがある。今回もそうだった。申し訳ないが、そこはその場に居合わせた者の“役得”ということにしていただこう(ゴメン!)。

 初対面だったけれど、ぼくが抱いていたイメージよりは、泉田さんはとても穏やかに話す方だった。それが時折、キッと語調を強める。話したいことをたくさんお持ちなのだな、と感じた。
 今回のインタビューのいちばん大きなテーマになったのは、「原発事故時の避難計画」。
 たとえば、あの「3・11福島原発事故」の際、実際にロシア、韓国、中国から避難援助の申し出があったけれど、それに日本はどう対処したか。
 柏崎刈羽原発(東京電力)の半径30キロ圏内には、いったいどのくらいの人たちが暮らしているのか。その人たちの事故時の避難経路や避難手段は確保されているのか。事故時には、各地の道路は大渋滞で身動きが取れなくなる。福島ですでに経験済みだ。
 渋滞を避け、スムーズな避難を行うためには、大型バス1万台の確保が必要になるし、当然のことながら1万人の大型車のドライバーも必要となる。しかし、放射能被害を被りかねないことを承知の上で応じてくれるドライバーが果たしてどのくらいいるのか。私企業の社員である運転士にそれを強制することはできないし、そもそもそんなに多くの運転士が県内にいるはずもない。新潟県内には、約1千人しかいないのだと泉田さんは言う。足りない分は、他県の応援を仰ぐしかないけれど、そんなことが果たして可能か?
 つまり、避難計画そのものが絵に描いた餅なのだ。その計画を机上で作り上げるのではなく、実現可能なものとして実際に示してくれなければ、原発再稼働など不可能だ。

 また、免震重要棟の意味についても、泉田さんの指摘は重大だった。
 実は、2007年の中越沖地震の際に、柏崎刈羽原発は火災を起こしている。新潟県は「原発震災」の疑似体験をしているのだ。その経験から「免震重要棟」の大切さは身に沁みている。だから、福島原発の「免震重要棟」は、新潟を例にして造られたと言ってもいい。
 その「免震重要棟」が、最近になって「巨大地震の揺れに耐えられない」ということが判明、東電はそれをひた隠しにしていたとして大批判を浴びることとなった。
 しかし泉田さんは、そこには他の電力会社および政府筋からの圧力があったのではないかという疑念を持っているという。
 もし「免震重要棟」が絶対に必要なものであり、柏崎刈羽原発の「免震重要棟」が大地震に耐えられるのであれば、他のあらゆる原発にも、それを建設しなければならないことになる。関西電力や九州電力などは「事故対処施設」は「耐震設計」で済ませたいと言っている。要するに経費のかかる「免震棟」ではなく、もっと安い「耐震棟」で代替したいというわけだ。
 そのために、東電には悪者になってもらってでも「免震重要棟」建設にかかる費用を節約したいというのだ。つまり「柏崎刈羽原発の『免震棟』は役に立たないので、同じものを他の原発は造る必要がない」というリクツを考えたのではないか、というわけだ。
 それほどに、再稼働のための修理費が膨れ上がっている証しだ。

 「免震重要棟」のことでも分かるように、原子力の世界は「圧力の世界」でもある。
 各国間の原子力協定、とくに日米原子力協定は重要で、これは2018年7月に満期を迎える。6カ月前に通告がない限り自動延長されるのだが、アメリカの圧力はすさまじい。裏でCIAなどの情報機関が動いているという話は有名だ。いったいどういう動きをするのか、闇の中の原子力(原発)なのだ。

 新潟県には県独自の「原子力技術委員会」がある。国の独立機関である原子力規制委員会にも負けないほどの専門家たちが議論している。
 同じような委員会を、川内原発を持つ鹿児島県の三反園訓知事も設置したはずだが、ほんとうに原子力に精通した専門家はそう多くない。鹿児島県の委員会がきちんとした議論の上で結論を出せるのかどうか、これから注視していく必要があるだろう。
 少なくとも、熊本大地震の経験は議論の俎上に載せるべきだ。川内原発と地震や火山の噴火などの「複合災害」にどう対処するかは、人間の想像力の問題でもある。

 原子力規制委員会についても、泉田さんはかなり厳しい意見をお持ちだった。規制委のもっとも大きな問題は「現実の経験者が誰一人いないこと」だという。確かに、机上の計算や審査には長けているだろうけれど、それだけではやはり物事を判断するには足りない。
 しかも、規制委側は泉田さんにはなかなか会おうともしなかったという。
 「泉田氏は新潟県知事であり、利害関係があるのだからお会いするわけにはいかない」というのがその理由だった。泉田さんの「福島原発事故の徹底的な事故原因の解明がなされない限り、柏崎刈羽原発の再稼働は認められない」という意思に対する、それが規制委の態度だったのだ。
 さらに「たとえば、原発に対する航空機テロへの対策はどう考えるのか」とただしても「それは我々の所管ではない」と規制委は逃げるばかり。これでは、地方自治体の長として県民の生命財産を守る立場の知事が、原発再稼働を認めるわけにはいかないと拒否するのも当たり前だ。

 泉田さんは「原発の是非」そのものについては触れなかった。原発を認めるべきか、すべてを廃炉にすべきか、という点は明らかにしなかった。しかし、住民の安全を最優先にするのが国というものであり、それを実際に行うのが各地方自治体であるのなら、最低限の「避難計画」さえ整備されていないような原発を、いま動かすのは不可能だ、というのが泉田さんの基本的立場なのだった。
 二者択一の反原発論ではなく、たくさんの疑問を挙げて、それらをクリアしない限り「再稼働」は認められないとするほうが、確かに説得力を持つ。これが、現場感覚としての「反原発論」なのだということを、ぼくは痛感した。

 ここではほんの一部だけを紹介したが、泉田さんのお話は、もっと理路整然としていて、ひとつひとつに頷くばかりだった。
 ぜひ、動画ですべてを視聴してほしい。

 

  

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すずき こう

すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)など。マガジン9では「風塵だより」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。

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