伊藤真のけんぽう手習い塾

 以前よりこちらのサイトで連載をしていた「けんぽう手習い塾」を再開することにしました。また日々感じている社会の問題や、憲法や法律について、いろいろと書いていきたいと思っていますので、どうぞおつきあいください。
 まずは今、私が最も関心を寄せているというか、大問題だと考えているのが、「一人一票の問題」=投票価値の平等についてです。実は、私自身もこの問題に気がついたのは、つい最近のこと。升永英俊弁護士からの指摘を受けてはっとしました。と同時に、これまで何を教えてきたんだろうか、という激しい後悔の念もこみあげてきたのでした。私は、2倍ぐらいの格差は合憲、といういわゆる「教科書通り」のことを、塾でも話していたからです。
 しかし、民主主義の根幹である「一人一票」が、この国では保障されていなかったのです。いったいどういうことなのでしょうか? 少し長くなりますが、説明していきましょう。

相次ぐ高裁の憲法違反判決

 最近、各地の高等裁判所では、憲法違反の判断が相次いでいます。2009年8月31日に行われた第45回衆議院議員総選挙が憲法に違反するかどうかを争った9つの裁判で、実に7つが違憲判断を示しているのです。大阪高裁2009年12月28日判決を皮切りに、2010年に入り広島高裁1月25日判決、東京高裁2月24日判決、福岡高裁那覇支部3月9日判決、福岡高裁3月12日判決、名古屋高裁3月18日判決、高松高裁の4月8日判決において、前年8月の選挙を憲法違反と判断しています。合憲と判断したのは東京高裁2010年3月11日判決、札幌高裁4月27日判決のみです。近く、最高裁判所の判断も示されるでしょう。
 何が憲法違反と判断されているのでしょうか。それは、選挙権の重さが選挙区によって違うことです。憲法は選挙権について一人一票を保障しています。ところが実際は、選挙権の重さが、地域によっては2倍以上の違いがあるのです。たとえば、千葉4区では、48万9437人の有権者が1人の議員を選ぶのに対して、高知3区では、21万2376人で1人の議員を選びます。高知3区の有権者は、千葉4区の有権者に比べると、2.3倍の選挙権をもっているのです。
 2倍以上重い選挙権、といってもぴんとこないかもしれません。しかしこれは、一人一票が保障されている高知3区の有権者に比べて、千葉4区の人は1人0.46票しか保障されていないということです。1人前に扱われていないのです。こういう事態を重く見たからこそ、各地の高裁は憲法違反の判断を連発しているのです。

一人一票の問題を
法の下の平等だけから捉えてはならない

 一人一票の問題は、「1票の格差」の問題として、たびたび裁判で争われてきました。最初に憲法違反と判断したのは1976年の衆議院議員定数不均衡判決でした。最近の最高裁判所の判決では、2005年9月11日に行われた衆院選について、2.171倍だった投票価値の最大格差が合憲とされ(最高裁判所大法廷判決2007年6月13日)、また、2007年7月29日に行われた参院選についても、4.86倍だった投票価値の最大格差が合憲と判断されています(最高裁判所大法廷判決2009年9月30日)。4.86倍ということは、実に1人0.2票の人がいても仕方がないというのですから驚きです。
 このような従来からの「1票の格差」論は、「法の下の平等」を中心に展開してきたものでした。男女のちがい、教育の程度、貧富の差など、個々人の事情を考慮しないで、すべての人を全く同じに扱うことを「絶対的平等」といいます。憲法が保障する法の下の平等は、この考え方とは違い、個々人の具体的な違いに応じて異なる扱いを認める「相対的平等」という考え方です。たとえば、所得が多い人にはそれだけ税を重くする累進課税や、ハンディをもつ人に補助金を与える仕組み等は、相対的平等を実現するものです。
 このように法の下の平等の意味が、違いに応じて別扱いを認める相対的平等だとすると、選挙においても、「地方は地方なりの配慮が必要だ」と考えがちです。地方は弱い立場にあるのだから都市住民との投票価値に差をつけた方が実質的に平等だと考えられたりもしました。
 たとえば、衆議院議員選挙では「1人別枠方式」という仕組みが取り入れられています。これは、議員定数300のうち、まず47を各都道府県に割り振り、残りを人口に比例して振り分ける方式です。結果的に人口の少ない県は多めに配分される選挙制度です。
 また参議院議員選挙では、衆議院と違って人口比例的要素よりも地域代表的性格を重視すべきだ、という考えも、そういう発想から出てくるものともいえます。
 地方の声を国の政治に反映させることはたしかに大事なことです。しかしそれは、都市の住民の選挙権を0.2票に押さえるようなやり方で実現すべきことではありません。選挙制度を中心とする民主政の過程はあくまで中立的であるべきです。地方の発展なくして都市の発展はありえないのですから、都市から選出された議員が都市の利益しか考えないはずはありません。ですから、票の重さを人為的に操作するようなことをしなくとも、地方の利益を実現することは十分可能なのです。そもそも国会議員は全国民の代表者であり、選挙区民の代表ではないのです。過疎の問題をはじめとする地方の問題に対して国がどのような手を打つかという政策問題は、都市から選出されたか地方から選出されたかを問わず、何が全国民の利益にかなうかという点から議論して判断すべきことなのです。
 しかも、従来から与党議員が必死に誘導してきた「地元の利益」というものも、地元住民の利益ではなく、地元業者の金銭的な利益ですから、憲法が求めている国会議員に課せられた仕事からはかけ離れたものでした。このような従来までのしがらみを断ち切り、もう少し憲法に則した選挙制度にしていく責任が、私たちにはあるのです。

一人一票の問題は、
国民主権・民主主義から考えるべき問題

 国民主権とは、国の権力行使を最終的に決める力が国民にあるという考え方です。有権者は、衆議院議員や参議院議員の選挙を通じて投票を行い、多数決で議員を選びます。代表者に選ばれた国会議員は、国会の多数決で政治的な事を決めていきます。内閣総理大臣も、国会の多数決で指名されます。その内閣総理大臣は国務大臣を選んで内閣を作ります。その内閣が最高裁判所の裁判官を選びます。このようにして、国会、内閣、裁判所を誰に任せるかということについて、国民の意思を反映させていくのが日本の国民主権の骨格なのです。
 注意してほしいのは、国会、内閣、裁判所のメンバーが選ばれるのが、すべて多数決によっているということです。ですから、多数決原理がきちんと動いていることは、国民主権がきちんと働くのに欠かすことのできない前提なのです。
 では、多数決とは何でしょうか。ここには大切な約束事が2つあります。ひとつは、きちんと話し合いをすることです。違う意見のメリット、デメリットをはっきりさせることです。そうしない多数決は、少数派を無視した多数派の数による横暴です。
 もうひとつの約束事は、そのような話し合いでまとまらなければ、多数意見に従って意思を決定することです。多数派が1票でも多ければそちらの考えを「人々の意思」と扱うのです。100人中、多数派51票、少数派が49票でも、51票を「人々の意思」とするのが多数決です。
 では、100票中、多数派にあと一歩に迫った49票の意思を退けてまで、51票を「人々の意思」とするのはなぜでしょう。多数意見のほうが正しい確率が高いからという考え方もありました。しかし、正しさや真実さと、多数かどうかとは関係がありません。
 多数派の意見で意思を決める理由は、少数派の意見によって決めるよりも、個人を尊重することになるからです。敢えていえば、49人分の個人を尊重するよりも、51人の個人を尊重することがよりよいからなのです。
 多数決原理を個人の尊重という点から理解すれば、物事を多数決で決めるときに、ある人には投票権がなかったり、0.5票しかないように、一人一票のルールが守られていないのならば、それはそれらの人を個人として尊重していないこと、もっと言えば、一人前の人間として扱っていないということです。
 たとえば、家族でどこに遊びに行くかを多数決で決めるときに、おとうさんはいちばん偉いから2票、おにいさんは1票をもち、おかあさんと妹さんは2人合わせて1票をもつような場合です。2人合わせて1票ということは、各々0.5票です。おとうさんは磯釣りに行くと言い、おにいさんは川でバーベキュー、おかあさんと妹さんは動物園に行きたいとします。話し合っても決まらないときに、多数決をとれば、磯釣りに行く案に2票、バーベキューが1票、動物園が1票となりますから、行き先は磯釣りに決まってしまいます。「一人一票」でないと、この例のように、多数派とはいえない意見、場合によっては少数派の意見が結論になってしまうようなおかしなことになってしまうのです。
 もうひとつ、例を挙げましょう。

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 ある村でごみの処分場を作る計画がもちあがりました。ごみを処分するときには煙や臭いが出るため、処分場周辺の住民は、近くにそういう施設が建設されることをいやがります。そのため計画がまとまりません。そこで、選挙を行って各地区で代表者を1人選び、その代表者が話し合って決めることにしました。A地区とB地区の住民の数は各々400人、C地区は1000人でした。
 候補地は、図で示したA地区とC地区のそれぞれの場所に絞られましたが、3人の代表者が話し合ってもまとまりません。そこで多数決で決めることにしました。
 A地区とB地区の代表はC地区を候補地とする案に投票し、C地区代表はA地区を候補地とする案に投票しました。多数決ですからC地区に決定することになります。
 この結論は、形の上では多数決を採っています。しかし、地区の代表者を選ぶときの投票価値を数字に換算すると、A・B各地区の住民は、400人に1人の代表者を割り当てられているのに対して、C地区の住民は1000人に1人です。A・B各地区の住民には、代表者を選ぶのに一人一票が保障されているのですが、C地区の住民には1人0.4票しか認められていないのです。
 それがどういう不都合を招いているかというと、A・B各地区を合わせた800人の住民を代表する意見が、1000人を代表する意見を退けて意思が決定されており、この点が多数決ではなく「少数決」になってしまっているのです。その結果、住民がたくさん住むC地区にごみ処理場が作られることになってしまい、多くの人に迷惑施設の犠牲を強いているのです。
 一人一票というルールは、それぞれの住民ないし有権者が同じ人格価値をもつ個人として尊重することから導かれるものです。ですから、代表者1人あたりの背後にいる住民ないし有権者の数は、地区ごとに同じでなければならないのです。そうでなければ、一人前の人間として扱われていないことになるのです。
 この事例は架空の事例です。しかし、実際の日本の選挙では、今、1人0.4票どころか、1人0.2票しか認められていない選挙区すら合憲とするのが日本の最高裁判所の立場なのです。さらに、1票に満たない票しかもたない有権者が半分以上いるのです。ですから、日本の現状は、この事例以上に、少数決という民主主義的でない政治が行われているのです。それを改め、投票価値の面でも完全な一人一票を実現することが、日本の民主主義の出発点になるのです。

一人一票実現国民会議について

 日本には1票すら認められていない人が大勢いるのです。しかも、日本の法律も、最高裁判所の判例も、選挙で一人前に扱われない人がいてもそれでいいと考えているのです。これはきわめて正義に反すると思います。私はこの不正義を正して一人一票を実現するために「一人一票実現国民会議」という組織の事務局長を担当しています。みなさんにも、この不正義を正す力を貸してほしいのです。インターネットで「一人一票」と検索するとすぐにホームページが出てきます。ぜひアンケートに答えて、サポーターになってください。皆さんの参加によってこの不正義を改めることによって民主主義を実現し、この国の憲法現実を変えることができますし、それは日本人が自ら手に入れるおそらく最 初の民主主義制度になると思います。憲法を知ってしまった者の責任を果たしてくださることを心から期待しています。

 

  

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伊藤真

伊藤真(いとう まこと): 伊藤塾塾長・法学館憲法研究所所長。1958年生まれ。81年東京大学在学中に司法試験合格。95年「伊藤真の司法試験塾」を開設。現在は塾長として、受験指導を幅広く展開するほか、各地の自治体・企業・市民団体などの研修・講演に奔走している。著書に『高校生からわかる日本国憲法の論点』(トランスビュー)、『憲法の力』(集英社新書)、『なりたくない人のための裁判員入門』(幻冬舎新書)、『中高生のための憲法教室』(岩波ジュニア新書)など多数。近著に『憲法の知恵ブクロ』(新日本出版社)がある。

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